陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

乾いた九月 ウィリアム・フォークナー その4.

2005-09-06 22:23:32 | 翻訳
II


 彼女は三十八か、九になっていた。病身の母親と、痩せて顔色が悪い割には年を取らない叔母といっしょに、小さな木造の家に住んでいたが、毎朝十時か十一時までには、レースのふち飾りがついたつばのない帽子をかぶった姿をポーチに見せると、昼までそこに吊ってあるブランコ椅子に、坐ってゆらゆらと揺れているのだった。昼食がすむと、昼下がりの涼しくなるころまでしばらく横になる。それから、毎年夏になると作る三、四着の新しい薄手のドレスのうちのひとつを身にまとって街へ出かけ、店に入ると、ほかの女と一緒に、品物をいじくりまわしながら、愛想も遠慮もない言い方で値切ったりして、午後いっぱいを過ごすのだった。

 彼女は豊かな家の出だったし――ジェファーソンで最上、とまではいかなかったが、十分に良い家柄と言えた――、平凡な容姿ではあるものの、まだ華奢な身体つきを失ってはおらず、仕草もドレスも、多少の衰えは隠せなかったが、華やかものだった。若い頃は、痩せて神経質そうな体つきで、一種、きつい感じの明るさを持っていたために、街の社交界、ハイ・スクールでのパーティや教会の親睦会といった場で、同年代が未だ子供らしく、階級意識に目覚めていないしばらくの間は、花形だった。

 自分の牙城を失いつつあることに、彼女はずっと気がつかないでいた。つまり、自分のほうが少しだけ明るくあでやかに輝く炎だったはずなのに、仲間たちは、嬉々として紳士を気取るようになったり(男の場合)、報復の喜びを味わい初めていたり(女の場合)したのだ。そのころから彼女の表情は、派手だけれど、とげとげしいものになっていったのだった。そうなってもなお、その表情をマスクか旗印のように貼り付けて、日陰になったポーチや、夏の庭で催されるパーティに出向くのだったが、その目には、真実をなど決して見ようとしないところから来る当惑が現れていた。ある晩、パーティの場で、もとは同級生だった青年とふたりの女の子が話しているのを耳にしたのだが、それ以来どんなパーティの招待にも応じなくなったのだった。

 自分と一緒に大きくなった女の子たちが、結婚して家庭を持ち、子供を有無のをじっと見ていたが、彼女には定期的に訪ねてくるような男は現れず、数年後、仲間の子供たちが彼女を「おばちゃん」と呼ぶようになり、母親の方が、ミニーおばちゃんは子供のころすごーく人気があったのよ、と、明るい声で話すようになる。やがて街の住人たちは、彼女が毎週日曜の午後、銀行の出納係といっしょにドライブに出かけるのを見るようになる。四十代のやもめで、いつもかすかに床屋かウィスキーのにおいをさせている、血色のいい男だった。街で最初に自家用車を持ったのはこの男で、赤い小型車だった。いっぽうミニーは、この街初のドライブ用のヴェールつきの帽子の持ち主となる。街の住人たちは「かわいそうなミニー」だの、「だけど自分の始末は自分でつけられる頃合いだ」だのと言うのだった。ちょうどそのころ、彼女は昔の同級生たちに、子供に「おばちゃん」と呼ばせるのはやめて、「いとこのおねえちゃん」にしてよ、と頼んだのだった。

(この項つづく)