おはようございます。
一晩考えて今回の書籍の予約はやめました。
以前あった先生の記事の彼のエピソードはとても微笑ましく初めて知った事も多かったので本が出る情報を見たときには嬉しかったです。目次を見るまではすぐにでもポチろうと思ってたくらいでした。
目次だけでは判断は出来ないし、もしかすると出版社の方で付けたかもしれない。
だけどそれだけで彼のプライバシーを想像させてしまうような文章はあるのではないかと思います。残念ですが私はそう判断しました。
人間誰しも表と裏があり、人によっては全てさらけ出せる人と徹底的に見せない人がいる。だけど、自分が書くのならともかく
第三者が明かしていいものなのか甚だ疑問です。
特に人間関係の事は相手がいるのだから片側だけが晒していいものなのかどうか、それを本人以外がやるのはやっぱり違うと思う。
書いた本人はそこまで深刻に捉えてないかもしれないし読んでみないと分からないけど、あの目次とそれを良しとした出版社の姿勢が嫌です。これではただの暴露本にしか捉えられないし、勉強ノートという題名は例の残された日記を想像する人もいそうで冷静になってみると粗が見えてきました。これはあの牧師本と同じような騒動になりそうな予感がします。
彼は過去の恋愛について赤裸々にテレビで語ったことがあります。でもその話は相手を特定させず、自分の考え方や人生の出来事の一部としてとても配慮されたものでした。長谷川開さんがある本で語った言葉そのものの周囲に対して思いやりを持った人です。その彼の気持ちを蔑ろにするような行為を信頼してた人にされる。
こんな悲しい事はないです。
それと私もそうだけど、一部のファンはそろそろ彼の周囲に自分のグリーフケアを求めるのはやめた方がいいと思う。
再放送希望や映像化要請も含めて企業や彼を知る人達に要求するのはやめましょうよ。それって全部自分たちの欲望でしょ、好奇心でしょ。本当に春馬君の事を考えていますか。
彼の足跡を追って旅したり、聖地巡礼は別にいいと思う。でもプライベートで訪れたであろう場所で彼の事を聞き出すのはやめてほしい。それって今回の本の作者と同じことをしているんですよ。それがわかってないみたいで本の事批判してる人がいるけど、自分のこと棚に上げまくって何言ってんのって感じです。
春馬君と関わった人から彼のエピソードを聞けるのは嬉しいです。でも仕事以外の彼はその人だけに見せていた姿なのだからファンが共有する必要はないし、要求なんてもってのほかです。
いつまでも「ファン様」の気持ちでいるから彼の周囲に求めてしまう。もう甘える時期はとっくに終わって自分達で乗り越えなくてはならないと思います。
最初こそ気落ちしているファンを気遣って彼の事を語ってはくれたけど、その行為すら無にし、自分たちの都合のいい話をしてくれる人だけ支持していたらそりゃあ話す人も減りますよ。彼とその人とのプラベ話はファンにはお裾分けみたいなものなのに、それを話してもらって当たり前みたいな気持ちでいるから満足できないし、それどころか直接要求したりそれを平気で拡散する。
そもそも距離感が間違っているんです。
彼と仲間は同じ場所にいるけれど、ファンは一枚壁の向こうにいてそれをのぞいているだけ、その現実を認めない限り前に進めないのは不幸でしかない。
春馬君が見せてくれたのはあくまで役者としての彼で、背中を向けた先に彼のプライベートがありその顔はファンに見せる事は良しとしなかった。これが私が思う彼です。
それを無理やり入り込んで自分の方に向けさせようとする追求派や一部の人達は彼を本当に好きなんでしょうか?ただただ自分の理想の彼だけが好きなだけではないでしょうか。
今回の事だけはネガティブな意見を書きました。
この本が出版されても杞憂に終わることを願っています。
どうかこれ以上傷つく人が出ませんように。
追記
1日モヤモヤして今もすっきりしませんがある一人のファンの呟きに癒されました。
カネ恋がパラビで北村君関連作品として表示されてることについて、共演者の活躍が春馬君を未来に連れて行ってくれるって書いてたんですよ。ああ、こういう考え方っていいなあって、私も自然にそういう風に思えたらいいなあ。
まだまだ修業が足りませぬ。
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