今年最後の月命日
月曜日に「天外者」を観に行くことになった。
春馬君が全身全霊で取り組んだ新たな作品だ。
感想がチラホラ出てるけど、なるべく入れないようにしよう。
今日もいい天気で空が青い
あっちでは元気に過ごしてるんだろうな。
今日のBGMはエレカシの「シグナル」
私がこのバンドに嵌って最初に好きになった歌
去年初めて野音ライブに参加して生で一曲目がこの曲だった時泣きました。
色々春馬君の事噂や憶測で可哀想な人とか一部で言われているけど、私はこの曲の一番みたいな人だったのではなかったかと思う。そして二番は彼が旅立った後の残された人の思いとして勝手に自分の中で感動してます。全然昔の曲なのにイメージソングにしてる。悲しい曲や別れの曲をイメソンにするのはよくあるけど私は生き様みたいなのを感じるのがいい。「命燃やし尽くす」とか侍みたいじゃないですか。う~んやっぱ私って宮本さんと春馬君を重ねてるところがあるなあ、ていうか生き方が不器用な人が好きなんだよね。
春馬君は生前は自分の中で綺麗で無垢ででも自分をしっかり持ってる役者さんのイメージだった。だからこの先も順風万端で行くと思ってたんだ。後からいろいろ知ってああこの不器用さをもっと早く知ってたらなあってずっと後悔している。生で演技見たかったな、生であの歌を聞きたかったな、もう叶わないから必死で過去を辿っている。彼がどういった役者でどんな思いで演じていたのか歌っていたのか。
過去のインタビューは今の結果に紐付けず、その時に演じた役にリンクさせている、だって人の気持ちは変わるし過去と今では違うのだ。彼だって毎日生まれ変わっていた。あの日は彼にとって最後の自分だったんだろう。私は決意したと書いたけどそれも憶測、もしかすると息を吸うように何気なく旅立ったのかもしれないしそれはもう誰にも分からない。
♪どのみち俺は道半ばに命燃やし尽くす
その日までさき続ける花となれ♪
人の命の期限なんて誰にも分からない。
死んでしまえば占いだって何だって言える。その日を当てる事なんて出来ない
病気も事故も心の事故も誰も予想出来ないし自分だって明日は生きてるかも分からない。だったら毎日を懸命に生きていたい。
春馬君は30年咲き続いた。
命を燃やし尽くした。今は心からお疲れさまと言う。
これから先彼の作品を初めて見た人が新たにファンになった時、彼の結末に驚くだろう。だけど「彼は亡くなった」其の一行だけで留めて作品を演技を愛して欲しいと思う。彼は見せなかった、頑なに三浦春馬として存在したのだ。インタビューで話していること以外の内面をほじくり返すことは、役で生きた人に「裸になれ!」と強要しているのと同じだ。
CDBさんが書いた記事を引用する
【2020年の7月18日に起きたことは彼が30年生きた日々のたった一日でしかない。その死は確かに彼の人生の一部だが、それは大きなジグゾーパズルの一片でしかなく、オセロゲームの終端に置かれたコマのように、人生の意味をパタパタとひっくり返して色を変えていくものではない。死は逆算して生を定義する物ではなく、生の最後の一部として片隅に置かれるべきものなのだ。】(週刊文春エンタより抜粋)
人生は未完成のパズルでありその全貌は完成して初めてわかる、だけど最後のピースがどんな形と色であっても青空が出来ていたらその人の人生は青空だし嵐だったら嵐なのだ。片隅に置かれた一コマはその過程に影響は及ぼさない。何と優しく冷静な表現なんだろう。
筆者は最後にこうも言っている「これからも新しいファンが三浦春馬に出会う」と
【(中略)だから少しでも多くの人が、SNSやメディアや、あるいは日常の場所で、彼の死ではなく彼の生の記憶を語り続けてくれることを望む。未来のファンたちが道に迷わないように、彼が何者であり、何者でありたいと願ったのか、彼が生きた目印をできるだけ多く残してくれることを望む。30歳で死んだ俳優としてではなく、30歳まで生真面目に、そして懸命に生きた俳優として、三浦春馬を僕たちの社会が記憶するために】(同記事より抜粋)
彼の美しさ、優しさ、役者としての素晴らしさ、心に残る歌はいつでも会える
19歳の小太郎も23歳の広斗もチェリート君も田中君も佐藤君も残り続ける。私たちは永遠にジェシーに騙され続けてうっとりするのだ。
辛い事があったらローラの歌を聞いて励ましてもらおう。そしてなりたい自分になろう。拓斗やヒロの生きざまを見て、風早君の笑顔に癒されよう。結城さんにドキドキしてファルコンの活躍に燃えよう。他にもたくさん生きている彼を感じよう。
ふいに喪失感に見舞われたら空を見上げて話しかけるだろう。
自由に駆け回ってる駿馬を思い浮かべながら。