喜♪きりん

人が苦手なのに何故か販売員をしてる人の日々あれこれ

同じ人ばっか

2019-04-29 23:28:52 | weblog 2019
紅白の特別番組見てたけど、同じ歌手が何度も出てきて何だかなあって感じだった。特に某女性アイドルグループと某事務所男性アイドルグループは一部でいっぱい出たんだから2部ではもっと違う歌手に焦点を当ててほしかったなー。ウッチャン好きだけどどうも好みが偏ってたし、同業者贔屓が露骨で残念。

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国語の勉強

2019-04-11 10:37:35 | weblog 2019

ツイッターを見ているとたまに好きな芸能人の悪口を見つける。最初はショックなんだけど嫌いなものはしょうがない。しかしネット情報をうのみにした物や、ただの誹謗中傷でかなり頭にくるものもある。

そうなると自分はねちっこい性格しているのでその人のプロフィールやTLを遡ってみる。

あんな短い文章でも見えてくるのだ。

例1 悪口が度を越している人のTL

3つに分かれる

① 普段からすべての出来事に懐疑的批判的、フォロワーも同じような人が集まっている。上から目線で苗字は呼び捨てが多い。

② 悪口の捌け口に使うために作ったツイッター、プロフィールが短い 投稿数が少ない 愚痴垢は人物をあだ名や名前のローマ字子音表記が多い。やはり上から目線、
  芸能人の恋愛騒動や刑事問題が起こると急増する。

③ 人物で検索したときにたまに見つける猛毒な呟きを吐く、が本人の投稿は極端に少なくRTが多い。毒文と毒文の間ほどそれが多い。小心者かなと予想する。

共通するのは全部上から目線ってとこだろうか。

後、ファンからアンチになった人のTLは愛称呼び→呼び捨て(または蔑称)悪口、昔話エピソード満載なので分かりやすい。ここまで恨みつらみ語るのは何故なのか、好きななったのもお金を出したのも自分で決めたんでしょと思うけどね。余談だが愛称呼びと呼び捨てとさん付けのファン層はほぼ交わらない。

例2 前後の文章を読むと意味が逆転

一つのつぶやきを見ると「見たくない」とか「見なくてよかった」とか書いてあってそれだけだとあー嫌いなんだって思ってしまうが前後の文章を読むことで全然逆にとらえてたことが分かる。「見たくない」のは見たら「嵌ってしまうから見たくない」であり、「見なくてよかった」は「見たら絶対沼落ちするところだった」であった。まあ実際このパターンは少ないがツイッターの制限文字数の弊害で誤解される呟きがあるのも事実だ。

例3 拡散された文章は伝言ゲームである

何十万とRTされた呟きは広がる事で大元の本人の意図する所と別な意味で解釈されることが多い。ネットニュースがそうだが制限文字数で真意が伝わるとは思えない。少ない文字のなかにある印象的なフレーズが独り歩きし題名に使われたりそこだけクローズアップされたり、文字数の裏にある真意を汲み取れないまま「感動した」とか「頭にきた!」とか他人が振り回されその気持ちを爆発させるように回していく。実は本の受け売りだったり呟いた本人も「真実」を知らずに書いてしまった文章もある。拡散する人達は大元を掘り下げる事はしない。「この(自分の)感動を皆に知ってほしい」「この悪事を皆に怒ってほしい許せない」と回していくだけだ。何百万と巡った伝言板のノンフィクションはフィクションどころでなくおとぎ話になるだろう。


ツイッターは一つの短い文字数が善にも悪にもなる。故に使いこなすのは難しい。文章力、構成力 推敲力 センスが必要だ。がしかし読む方はすごく勉強になる。

一人のツイッターを探っていくことでその人の日常や考え方や接し方に触れることが出来るし全体でみると一つの私小説である。これからの時代ツイッターを国語の教科書にしてもいいくらいだろう。社会勉強にもなるしいい題材だと思うけど個人情報が煩いか。が、その個人情報をさらしまくってる悪のツールもまたツイッターなのも皮肉な話である。

ただ冷静になってみると、こんなに他人のツイッターを執着してる自分が本当に気持ち悪い。もともとはアンチの言葉に勝手に傷ついて頭にきてその人のTLを辿っていったのが始まりだったんだけどなあ。ただこれやると気持ちが落ち着くのも確か。ファン同士でほんわかするのもいいけど違う価値観ピリッとするのもいいスパイスになるのではと思う。(度を越したのは除く)

そんなの見たくないって人は検索するときに人名にさん付けするか愛称で調べるのがおすすめ。神格化してるのにもぶち当たるけどほぼ優しい世界である。ファンもそうじゃない人も。
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