ひなたぱん

天然酵母ぱんと過ごす、のんびり日々の記録です

パン焼きやは、 とてもヤクザなお仕事。 ・・・です。

2022年07月27日 | 日記
2022年7月27日 水曜日曜日


明日のパン販売に向けての仕込み開始早々、 実家の88歳の母から 携帯電話に連絡が入り、

「 今、 いいかしら?? 」 って。 

「 ごめん。 今 ぱん仕事の最中だから、 後で 時間が出来てからで良いかなぁー、、、 」 って、 私。

「 5分で良いから。。。。 」 って、 母。

一人で取り組むパン焼きは、 身体も、 頭も一つだし、 使える腕は2本しかないから、 世界で二番目に小さな取り組みとは言え、 ← 世界で一番小さな取り組みは、 高山村の山小屋ぱん屋。

お見えくださるお客様にご迷惑のならない様に、 仕込みでは オートリーズを駆使した、 5分間隔で捏ねに入るという とても複雑なオルガニグラムを立ててます。

父が亡くなってから 数年たって、 松江の実家には、 横浜に住んで居た長女の姉が帰ってくれて、 母との同居をしてくれる様になりました。

同居の当初は、 色々な事が起きた様で、 時折 母は、 愚痴やボヤキを口にしていましたが、 姉が関わってくれる様になったら 尚の事、 私は 実家と距離を置く様に務めました。

その有り方を 私に学ばせてくれたのは、 主人の姉の存在でした。

姉と妹と主人の3人兄弟の我が家は、 男一人、 長男の主人の存在よりも、 お嫁に行ってからも実家の近所に住む 義妹夫婦の存在が大きく、

「 長男だから。 」 って戻って来た群馬のこの地に 何ねん暮しても、 私達家族の立ち位置はありませんでした。

そんな中で、 主人の姉だけは、 「 二人の事が頼りだから。 私は、 出た身の人間だから、 二人に全てお願いするしかないんだよ。 」 って言ってくれて、

私達夫婦と 姑と意見が合わなかった時、 姑が、 一升瓶抱えて、 「 農薬呑んで 死んでやる。 」 って口にした時でも、 只々 知らん顔をしてくれました。

長い事関わっていて、 「 死ねば良いと思っているんだろう。 」 とか、 「 縁を切ってやる。 」 等と 何度言われた事か、、、

出来の悪い長男夫婦で、 申し訳ない。。。。

それでも、主人の姉たち夫婦は、 私達夫婦に 一切 口出しをしませんでしたし、 それどころか、 私達夫婦の考えを尊重し、 私達夫婦の味方。 になってくれました。

何も言わない事。 が、 どんなにありがたく、 どんなに難しい事で有っただろうと思いますが、 その義姉夫婦の有り方の賢さを私は、 いつも、 感じていました。

って、 いつもの様に下らん愚痴になってしまいました。。。。


実家から距離を置く様に務めていた私に、 「 5分だけでいいから、、、 」 って事は、 相当な事なのかと思い、 「 こりゃ、 早急に実家に帰る事になるかなぁー。 」 と覚悟を決めて話しを聞くと、、、


「 昨日ね、 病院に行ったのよ。 」 って、 話しが昨日から始まって、、、、← 母は、 先日、 体調を崩して、1週間ほど入院していました。

「 そうしたら、 急に、 お姉ちゃんが小刻みに震え出して、、、、 」

「 熱を測ったら、 38℃で。 その間、 私は、 ずーっと待っていて、 PCR検査では、 陰性だったのよ。 」

「 今、 2階で寝ているんだけれど、 朝ご飯を ドアの前に置いておいたら、 食べれません。 って、 震える文字で 返事が返って来たんだけど、 救急車よんだ方が良いかしら?? 」 ってな電話でした。

5分おきの捏ねの計画に追われる私は、 携帯を耳に当てながら、 捏ねを継続しながら、 母の話しに耳を傾け、

「 多分、 お薬を飲んで 耐えるしかないと思うよ。 呼吸困難な状態なら 救急車だけれど、 そこに至っていなければ、 救急車を呼ぶ必要は無いと思うよ。 」

と 答えながら、 「 母は、 不安なんだろうな、、、 」 と感じました。

「 準備した 全ての材料や、 酵母や、 明日 お見えくださるお客様や、 始めたばかりの高山村の山小屋ぱん屋 全てお休みにして、 早急に 新幹線に飛び乗って実家に帰った方が良いのかぁ、、、 」

って、 携帯を耳に当てながら 不安の固まりの母と話しながら、 何度も、 何度も、 考えました。



結局、 騒ぎを聞きつけた 姉が、 「 抗生物質のお薬を飲んで、 寝て居るしかないのよ。 」 って、 2階から 母を叱って、 母は、 落ち着きを取り戻して、

「 大丈夫だから。 ごめんなさいね。 」 ってな、 急な展開で 終わりを遂げました。

今、 母と姉は どうしているのだろう、、、、


私は、 明日 お見えくださるお客様の事を考え、 仕込んだ生地の事を考え、 始めたばかりの土曜日 高山村の山小屋ぱん屋の事を考え、

取る物も取りあえず 新幹線に乗って 実家に向かう事が出来ませんでした。


有休も、 変わる事の無い信用も、 変わる事の無い時間も、 パン焼き屋の私は 持ち得て居ません。

今の、 母と姉を思う時、 悲しくて、 悲しくて、 泣けてきます。

私は、 口では、 「 何かあったら、 言ってね。 」 なんて、 調子のよい事を母に言いました。 サイテーです。


たった 週に一度しかないパンの取り組みでも、 それをきちんと熟す事で、 私は、 必死です。

始めたばかりの 高山村の山小屋ぱん屋の取り組みを しっかりと熟す事に、 私は、 必死です。

それだけ、 不器用で、 情けないパンおばちゃんなのです。  ってか、 人は、 それだけ、 不確かなモノなのです。

人が、 人を救う。 なんて、 あり得ないのです。

人は、 自分の髪の毛の色さえ、 自分で自由に差配する事が出来ないのですから、、、、  人は、 神様では 無いのです。




明日 取り組む予定のパンは、、、

栗のリュスティック。 イチジクとくるみ ビール風味のパン。 くるみあんぱん。 チーズたっぷりのクッペフロマージュ。 2色のクロワッサン。

バーリのフォカッチ。 ブラックオリーブのチャバタ。 ノワレザン。 ノワレザンクリームチーズ。 定番の長時間発酵バゲット。 南部小麦の田舎ぱん。 チーズコッペ。

ひなたの贅沢しふぉん、 季節違いのクリスマスフルーツケーキ。 カヌレも焼きました。



今、 母に電話をすると、 「 お姉ちゃんは、 まだ、 熱は下がらないので、 明日、 病院に行くそうです。 私は、 変わりがありません。 もう、 電話、 切りますね。 」


88歳の 母は、 気丈に 踏ん張って居ました。

明日も、 良き日で有ります様に、 お見守り下さいませ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする