2017年6月28日 水曜日
何だか ココロが わさわさする事が有って、 ブログの更新も、 苦手なインスタグラムも全く更新できずに居ました。
インスタグラムは 相変わらず苦手で、 もう 「 完全に お手上げ状態。 」 です。
何でもない日の 木曜日 ぱん屋さんの日 を始めて、 少しでもプラスになる様に取り組みましたが、
展開の速さに、 一人で取り組む私には、 お返事をする時間も、 更新する時間も出来ず、
頂いたコメントに 何日も過ぎた時に気付く。 何て 日常茶飯事で、 優しいお言葉に失礼ばかりする事が ココロ辛く、
「 見ない。 触れない。 」 の、 逃げの一手を決め込んでいます。
ってか、 逃げたくなくても、 一人で取り組む私には、 全く 余裕が無く、 絶えず、 ジタバタ。 ジタバタ。 の連続。
おまけに、 私に瓜二つの次女が、 私のココロを 「 わさわさ。 」 させてくれるので、
ジタバタ × 2 の感じで・・・。
「 母子同一 」 私の子育ては、 いつも、 この言葉で言い表される物でした。
若い頃 本当に 貧しく、 なのに 主人は、 「 自分で立つ。 」 生き方をする人だったので、
実家にも頼らず、 夫婦二人で、 貧しさと、 子育てに向き合っている日々でした。
コンピューターのシステムの設計をする主人は、 いつも 仕事に追われ、
私は 実家も遠く、 長男の主人の出身地の群馬に戻っても、 主人の両親の下には、 いつも 主人の妹や姉が来ていて、
私は、 「 自分で立つ。 」 生き方をする主人との日々しかありませんでした。
新幹線で東京に通う ほとんど帰っても来ない主人と、 誰も知る人のいない場所と、娘達との日々。
絵に描いた様な、 最低、 最悪な 母親化した私に、 優しさと しあわせをくれたのは、 娘達。 でした。
「 頑張れ。 頑張れ。 」 って言う、 お尻ばかり叩く母親に、 精一杯 答える努力をしてくれた娘達。
いつしか 娘たちの出す結果は、 「 私の結果。 」 ってな、 おかしな ココロモチの自分が居ました。
娘達が 学校や 就職で出て行ってしまった時、 一番狼狽えたのは、 私。 でした。
「 何で、 私は 子供たちと生きれないんだ。 」 と、 狼狽える私に、 主人は 只々、
「 自立しなさい。 」 と言い続けました。
それは とても辛い事でしたが、 それが とても正しく、 必要な事である事も、 父が亡くなって、 気付きました。
中学生の時から 「 獣医さんになる。 」 って宣言し、 努力していた次女が、 獣医師から 研究員になりました。
中学の時から、 努力し、 勉強し、 頑張ってきた娘が、 獣医師になった時の 希望に満ちた、 活き活きとした姿。
一年後には、 「 獣医師は、 向かない。 」 って 言い出した娘。
かかりつけの獣医さんにお話しすると、 先生も、
「 僕も、 独立するまでは、 奴隷。 でした。 」 の お返事。
これって、 何だろう・・・。
都会は、 小動物対象の 動物病院は、 飽和状態。 です。
その中で 生き残る動物病院になる為には、 「 人を育てる 」 道では無く、 「 生き残る 」 道である事。
社会に出せば、 母親 の出る幕はありません。
後は、 「 社会が、 その人を育てる。 」 しかありません。
娘の、 「 獣医さんになる。 」 の 努力も、 時間も、 全て、 形が変わりました。
「 研究員の方が、 向いてるし・・・。 」 って、 本人は、 至って元気なのに、
なぜだか、 めちゃめちゃ凹んでいる私が居ます。
きっと、 娘の努力や、 娘の過ごした時間や、 時や、 思いや、 夢や、 希望や、 活き活きした姿や、
全ての物が、 私のココロに残っているからだと思います。
私は、 大人として、 若い人たちを きちんと 育てる事が出来るでしょうか・・・。
私は、 大人として、 若い人たちの夢を守る事の出来る 大人でしょうか・・・。
自分を 見つめて、 ココロが、 わさわさ。 する 自分が居ます。
何だか ココロが わさわさする事が有って、 ブログの更新も、 苦手なインスタグラムも全く更新できずに居ました。
インスタグラムは 相変わらず苦手で、 もう 「 完全に お手上げ状態。 」 です。
何でもない日の 木曜日 ぱん屋さんの日 を始めて、 少しでもプラスになる様に取り組みましたが、
展開の速さに、 一人で取り組む私には、 お返事をする時間も、 更新する時間も出来ず、
頂いたコメントに 何日も過ぎた時に気付く。 何て 日常茶飯事で、 優しいお言葉に失礼ばかりする事が ココロ辛く、
「 見ない。 触れない。 」 の、 逃げの一手を決め込んでいます。
ってか、 逃げたくなくても、 一人で取り組む私には、 全く 余裕が無く、 絶えず、 ジタバタ。 ジタバタ。 の連続。
おまけに、 私に瓜二つの次女が、 私のココロを 「 わさわさ。 」 させてくれるので、
ジタバタ × 2 の感じで・・・。
「 母子同一 」 私の子育ては、 いつも、 この言葉で言い表される物でした。
若い頃 本当に 貧しく、 なのに 主人は、 「 自分で立つ。 」 生き方をする人だったので、
実家にも頼らず、 夫婦二人で、 貧しさと、 子育てに向き合っている日々でした。
コンピューターのシステムの設計をする主人は、 いつも 仕事に追われ、
私は 実家も遠く、 長男の主人の出身地の群馬に戻っても、 主人の両親の下には、 いつも 主人の妹や姉が来ていて、
私は、 「 自分で立つ。 」 生き方をする主人との日々しかありませんでした。
新幹線で東京に通う ほとんど帰っても来ない主人と、 誰も知る人のいない場所と、娘達との日々。
絵に描いた様な、 最低、 最悪な 母親化した私に、 優しさと しあわせをくれたのは、 娘達。 でした。
「 頑張れ。 頑張れ。 」 って言う、 お尻ばかり叩く母親に、 精一杯 答える努力をしてくれた娘達。
いつしか 娘たちの出す結果は、 「 私の結果。 」 ってな、 おかしな ココロモチの自分が居ました。
娘達が 学校や 就職で出て行ってしまった時、 一番狼狽えたのは、 私。 でした。
「 何で、 私は 子供たちと生きれないんだ。 」 と、 狼狽える私に、 主人は 只々、
「 自立しなさい。 」 と言い続けました。
それは とても辛い事でしたが、 それが とても正しく、 必要な事である事も、 父が亡くなって、 気付きました。
中学生の時から 「 獣医さんになる。 」 って宣言し、 努力していた次女が、 獣医師から 研究員になりました。
中学の時から、 努力し、 勉強し、 頑張ってきた娘が、 獣医師になった時の 希望に満ちた、 活き活きとした姿。
一年後には、 「 獣医師は、 向かない。 」 って 言い出した娘。
かかりつけの獣医さんにお話しすると、 先生も、
「 僕も、 独立するまでは、 奴隷。 でした。 」 の お返事。
これって、 何だろう・・・。
都会は、 小動物対象の 動物病院は、 飽和状態。 です。
その中で 生き残る動物病院になる為には、 「 人を育てる 」 道では無く、 「 生き残る 」 道である事。
社会に出せば、 母親 の出る幕はありません。
後は、 「 社会が、 その人を育てる。 」 しかありません。
娘の、 「 獣医さんになる。 」 の 努力も、 時間も、 全て、 形が変わりました。
「 研究員の方が、 向いてるし・・・。 」 って、 本人は、 至って元気なのに、
なぜだか、 めちゃめちゃ凹んでいる私が居ます。
きっと、 娘の努力や、 娘の過ごした時間や、 時や、 思いや、 夢や、 希望や、 活き活きした姿や、
全ての物が、 私のココロに残っているからだと思います。
私は、 大人として、 若い人たちを きちんと 育てる事が出来るでしょうか・・・。
私は、 大人として、 若い人たちの夢を守る事の出来る 大人でしょうか・・・。
自分を 見つめて、 ココロが、 わさわさ。 する 自分が居ます。