2018年11月30日 金曜日
「 何だかなぁー。 」 の 木曜日ぱん屋 から一夜明け、 たっぷり睡眠をとって、 ピーカン晴れた朝に、 お洗濯物をガンガン干したら、
凹んだ中年おばちゃん ココロ復活。
早々に 愚痴口のブログを抹殺して、 何事も無かった様な顔で過ごしております。 ← これぞ、 趣味の世界。 と言われる所以。
講釈ぶっても、 差し当たっては、 楽しい事、 美味しい物 以外の目的は存在しない私のぱんの取り組み。
それなのに のめり込み過ぎて、 世界が狭くなって、 視野が狭くなって、 ココロの自由を奪われてしまって、 右往左往。
こんな講釈ぶちの ぱんお宅中年おばちゃんの処に 相変わらず、 おじさん生徒さんが 月一ぱん教室で通っておられます。
毎回 毎回 学生時代の同級生のおじさん生徒さんは、 「 何か 面白い事、 やってやろうぜ。 」 ってな 作戦会議になり、
毎回 毎回 「 あそこのパン屋のぱんは、 美味しいぜ。 」 ってな 情報交換を行い、 ← そこには、 残念ながら 私のぱん屋は含まれません、、、
毎回 毎回 「 パン屋 巡りに行こうぜ。 」 ってな 行動会議になり、、、
そんでもって やっぱり 振り出しに戻って、 「 何か 面白い事、 やってやろうぜ。 」 ってな 会話になります。
その横で 私は、 滔々と自分のぱん信念を語り、 自分のぱんへの取り組みを語り、
おじさん生徒さんは、 ( 優しいおじさんたちなので、 ) 「 はぁー、、、。 」 って言いながらも、 取りあえずは聞いて下さり、 取りあえずは お付き合い下さる。
本当に 優しい方達なのです。 ありがたい。
おまけに、 講釈ばっかりぶつくせに 一向に 制裁をかく私のぱん販売にお付き合い下さる様に、
「 何でも良いから 買いますよ。 」 って 声をかけながら、 木曜日毎に ぱん屋さんを覗いてくださる。 くぅー。 面目ない。
南部小麦の白生地 何度かやって、 「 コッペパン屋、 面白そうじゃん。 」 ってな 会話の延長で、 エース生地に取り組んで、 一斤食パンと コッペパンに取り組んでみたり。
そんでもって、 やっぱり会話は、 「 何か 面白い事、 やってやろうぜ。 」 になります。
生真面目で 口うるさく、 お節介の私は、 「 やるなら 何かを極める位に取り組んだ方が良いですよ。 」 とか、
「 ぱん屋は 体力も大変ですよ。 」 とか、 「 私のぱんは、 パン屋さんで学んだ物ではないので、 全てが効率が悪く、 お宅でしかありませんよ。 」 とか、
「 上手くなる為には、 ぱん作りに取り組む回数を重ねるしかありませんよ。 」 とか、 「 自分の作りたい物を探して下さい。 」 とか、 etc. etc
やっぱり 講釈をぶちます。
それでも おじさん生徒さんは、
「 先生。 出来の悪い生徒だから 助かっているんですよ。 これで 生徒がどんどん上手になったら、 先生は あっという間に 抜かされますよ。
出来が悪いから、 同じ事の ゼロスタートで 良いじゃないですか。 」 って、 全く 痛い事を仰います。 ← ごもっともです。
「 次の時は、 何のぱんをしたいですか。 」 の私の問いに、 「 ぱんの基本なら なんでも良いですよ。 」 って言いながら、
「 クロワッサンとかできませんかねぇー。 」 って 仰います。
講釈ぶちの私は、 「 私のクロワッサンはねぇー、 最終発酵に 3時間かけています。 」 って、 やっぱり 半切れ状態で、 講釈ぶちます。
売れ残りの私のクロワッサンを をかじりながら、 ( ← 相変わらず、 売れ残りが存在する事が 悲しい。。。 )
「 パリで食べたクロワッサンは メチャクチャ美味しくて、 あんなに美味しいのは、 日本では出会えませんねぇー。 」 って 仰います。
私の 最終発酵 3時間のクロワッサンは、 撃沈。 でした、、、、
それでも負けずに 中年おばさんの私は、 ぱんへの思いを講釈ぶちます。
すると、、、
「 先生のこだわりを聞いていると、 先生のぱんや、 お店を、 なまじのぱんの好みの人に紹介するのは、 はばかられて、 言えなくなってしまいます。 」 って台詞になってしまいました。
講釈ばかりぶっていると、 最終的に ぐうの音も出ない結末に辿り着いてしまうのでした、、、、、
こんなの日常茶飯事で、 お店でお客様への対応でも、 講釈ばかりぶっていると、 最終的に ぐうの音も出ない結末に辿り着いてしまう事が 多々あります。
そんな時 自分のアホさに呆れますが、 やっぱりぱん作りが好きな私は、 毎回 同じ様に 滔々と ぱんへの思いを語りながら、
「 何だかなー。 」 の 木曜日 ぱん販売に勤しみます。
ぱんへの煩悩が消えれば 「 何だかなぁー。 な 流れから脱する事が出来るのかもしれません。 」 と、 ふと思う私が居ます、、、
「 何だかなぁー。 」 の 木曜日ぱん屋 から一夜明け、 たっぷり睡眠をとって、 ピーカン晴れた朝に、 お洗濯物をガンガン干したら、
凹んだ中年おばちゃん ココロ復活。
早々に 愚痴口のブログを抹殺して、 何事も無かった様な顔で過ごしております。 ← これぞ、 趣味の世界。 と言われる所以。
講釈ぶっても、 差し当たっては、 楽しい事、 美味しい物 以外の目的は存在しない私のぱんの取り組み。
それなのに のめり込み過ぎて、 世界が狭くなって、 視野が狭くなって、 ココロの自由を奪われてしまって、 右往左往。
こんな講釈ぶちの ぱんお宅中年おばちゃんの処に 相変わらず、 おじさん生徒さんが 月一ぱん教室で通っておられます。
毎回 毎回 学生時代の同級生のおじさん生徒さんは、 「 何か 面白い事、 やってやろうぜ。 」 ってな 作戦会議になり、
毎回 毎回 「 あそこのパン屋のぱんは、 美味しいぜ。 」 ってな 情報交換を行い、 ← そこには、 残念ながら 私のぱん屋は含まれません、、、
毎回 毎回 「 パン屋 巡りに行こうぜ。 」 ってな 行動会議になり、、、
そんでもって やっぱり 振り出しに戻って、 「 何か 面白い事、 やってやろうぜ。 」 ってな 会話になります。
その横で 私は、 滔々と自分のぱん信念を語り、 自分のぱんへの取り組みを語り、
おじさん生徒さんは、 ( 優しいおじさんたちなので、 ) 「 はぁー、、、。 」 って言いながらも、 取りあえずは聞いて下さり、 取りあえずは お付き合い下さる。
本当に 優しい方達なのです。 ありがたい。
おまけに、 講釈ばっかりぶつくせに 一向に 制裁をかく私のぱん販売にお付き合い下さる様に、
「 何でも良いから 買いますよ。 」 って 声をかけながら、 木曜日毎に ぱん屋さんを覗いてくださる。 くぅー。 面目ない。
南部小麦の白生地 何度かやって、 「 コッペパン屋、 面白そうじゃん。 」 ってな 会話の延長で、 エース生地に取り組んで、 一斤食パンと コッペパンに取り組んでみたり。
そんでもって、 やっぱり会話は、 「 何か 面白い事、 やってやろうぜ。 」 になります。
生真面目で 口うるさく、 お節介の私は、 「 やるなら 何かを極める位に取り組んだ方が良いですよ。 」 とか、
「 ぱん屋は 体力も大変ですよ。 」 とか、 「 私のぱんは、 パン屋さんで学んだ物ではないので、 全てが効率が悪く、 お宅でしかありませんよ。 」 とか、
「 上手くなる為には、 ぱん作りに取り組む回数を重ねるしかありませんよ。 」 とか、 「 自分の作りたい物を探して下さい。 」 とか、 etc. etc
やっぱり 講釈をぶちます。
それでも おじさん生徒さんは、
「 先生。 出来の悪い生徒だから 助かっているんですよ。 これで 生徒がどんどん上手になったら、 先生は あっという間に 抜かされますよ。
出来が悪いから、 同じ事の ゼロスタートで 良いじゃないですか。 」 って、 全く 痛い事を仰います。 ← ごもっともです。
「 次の時は、 何のぱんをしたいですか。 」 の私の問いに、 「 ぱんの基本なら なんでも良いですよ。 」 って言いながら、
「 クロワッサンとかできませんかねぇー。 」 って 仰います。
講釈ぶちの私は、 「 私のクロワッサンはねぇー、 最終発酵に 3時間かけています。 」 って、 やっぱり 半切れ状態で、 講釈ぶちます。
売れ残りの私のクロワッサンを をかじりながら、 ( ← 相変わらず、 売れ残りが存在する事が 悲しい。。。 )
「 パリで食べたクロワッサンは メチャクチャ美味しくて、 あんなに美味しいのは、 日本では出会えませんねぇー。 」 って 仰います。
私の 最終発酵 3時間のクロワッサンは、 撃沈。 でした、、、、
それでも負けずに 中年おばさんの私は、 ぱんへの思いを講釈ぶちます。
すると、、、
「 先生のこだわりを聞いていると、 先生のぱんや、 お店を、 なまじのぱんの好みの人に紹介するのは、 はばかられて、 言えなくなってしまいます。 」 って台詞になってしまいました。
講釈ばかりぶっていると、 最終的に ぐうの音も出ない結末に辿り着いてしまうのでした、、、、、
こんなの日常茶飯事で、 お店でお客様への対応でも、 講釈ばかりぶっていると、 最終的に ぐうの音も出ない結末に辿り着いてしまう事が 多々あります。
そんな時 自分のアホさに呆れますが、 やっぱりぱん作りが好きな私は、 毎回 同じ様に 滔々と ぱんへの思いを語りながら、
「 何だかなー。 」 の 木曜日 ぱん販売に勤しみます。
ぱんへの煩悩が消えれば 「 何だかなぁー。 な 流れから脱する事が出来るのかもしれません。 」 と、 ふと思う私が居ます、、、