日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

『歌物語 花の風』決定版(連続掲載)3章

2011年02月28日 | 日記
三の巻、行き違い

 女と会ってから一年が過ぎ、男の波立った生活は、また起伏の小さな日常になってきた。

まちつづけ いまあいえたる いもなれば そうもそわぬも いかになるとも
待ち続け いま会ひ得たる 妹なれば 添ふも添はぬも 如何になるとも
(待ち続けて、今こうしてあなたに会うことができました。ともに生きることになろうとなるまいと、もうどちらでもよいことです)

よしわれら みわおちこちに へだつとも たまおうさちを かさねゆかまし
よし我れら 身は遠近に 隔つとも 霊合ふ幸を 重ね行かまし
(私たちはこの人生を別々に生きることになるかもしれませんが、魂の世界で会う喜びを重ねていきましょう)

こぞよりわ いずちゆけども うらぐわし いもがかたみを いだきてあれば
去年よりは いづち行けども うら細し 妹が形見を 抱きてあれば
(去年あなたと会ったときから、どこにいってもそこが美しく見えます。あなたの面影が心に宿っているからです)

偶然にというより、何か仕掛けがしてあるかのように、男と女は路上でも行き違うことがあった。

あくがるる こころかたみに たまおうわ さだめなるべし なりゆくままに
憧るゝ 心互に 魂合ふは 定めなるべし 成り行くまゝに
(お互いに魂があこがれ出て、どこかで出会うのは、定めにちがいありません。どのようにでも成り行きにまかせましょう)

 ある日、男が所用で都会の神社に行くと、女も偶然お参りに来ていた。肌寒い小雨の中、側廊から見る女の俯いた横顔は、日陰に浮かび上がって、人形のように見えた。

おおかみを まつるやしろの おんまえに いもぬかずきて なにいのるらん
大神を 祀る社の 御前に 妹額づきて 何祈るらむ
(神様を祀るこのお社のご神前に、しばらく頭を垂れて、あなたは何を祈っていらっしゃるのですか)
 
女が祈り終わるまで、男は待っていた。男が見ているのに気づいた女は、すこし驚いた様子をみせて、歩み寄ってきた。「思いがけないところでお会いしました」という意味の挨拶のあと、女は「友人と約束があって、その序にお参りに寄りました」と言って立ち去った。

あめのひを えりてあわなん みやこなる かみのやしろに ふそうわれらわ
雨の日を 選りて会はなむ 都なる 神の社に 相応ふわれ等は
(都にあるこの神様の社に、私たち二人が静かにお参りするのは、似つかわしいことです。いつかまた、このようにしめやかな雨の日を選んで、お会いしましょう)

 この由緒ある神社には、神馬が巡行する神事があり、男はそれを一度見たことがあった。美しい白馬は、綱や布や鈴で飾られ、早く遅く走るたびに、鈴の音が響き渡り、聞き入っていると、耳を聾するほどに聞こえた。

あおうまの かみのみまえに かけめぐる むながいのすず もりにひびきて
白馬の 神の御前に 駆け巡る 繋の鈴 杜に響きて
(この神のお社は、白馬が駆けめぐるお祭りがありますが、その胸につけた鈴の音が、今も杜に響いているようです。あなたには聞こえませんか)

 思いがけず、女の美しい祈る姿を見て、男は神社にいながら、女のことで頭がいっぱいになっていた。

ついにゆく かみのみくにわ またるれど いもとかたろう ときすぎがたし
終に行く 神の御国は 待たるれど 妹と語らふ 時過ぎがたし
(人はこの世を去ると、神様の国に帰ると聞いています。そこへ行く日も待ち遠しいのですが、あなたと語り合っているこの時間は、いつまでも終らないでほしい思いです)

男は女の後姿を見送ったあと、女の言葉と様子を思い返しながら、雨の降り止まない長い参道を歩いた。

ふるあめに しとどものこそ おもわるれ ひとのこいしき はれもやらずて
降る雨に しとゞものこそ 思はるれ 人の恋しき 晴れもやらずて
(降り続く雨にも、あなたのことが思われてなりません。あなたへの恋しさは晴れることがありません)

 彼岸に入り、所々の家では法事の様子が見られるようになった。男は習慣的で形式的な行事とは別に、また誰かれのためというより、すべての生者と死者の平安のために、一人で祈ることが多かった。

くりかえす ひとのいのちの かなしさに きょうのひとひを ふかくこもろう
繰り返す 人の命の 愛しさに 今日の一日を 深く籠らふ
(人の命は繰り返されることを思えば、あれこれが愛おしく、今日という日を深い物思いで過ごしています)

なつかしき いにしえびとを おもいつつ みたままつりて ひとりこもろう
懐かしき 古へ人を 思ひつゝ み魂祀りて 一人籠らふ
(なつかしいかつての思い人を偲んで、一人しずかに部屋にこもって、死者の冥福を祈っています)

もろかみの まもりぞせつに いのらるる ひとよのさちを いおうこのひも
諸神の 守りぞ切に 祈らるゝ 人世の幸を 斎ふこの日も
(世の人々の幸せを祈るこの日も、神々の守り導きが、心から願われます)

 祈りの中で思い浮かべる女の姿は、この世のものとも思われない気高さを帯びていた。

かみまつり いみきよまりて わがいのる ひとよのさちと いもがまさちを
神祀り 斎み浄まりて 我が祈る 人世の幸と 妹が真幸を
(心身を清めて神の御前に参り、私は世の人々の幸とあなたの幸を祈ります)

 その頃、ある知人の法事の手伝いで、男は女と一緒に机に座っていた。
芝居のような儀式や、騒がしい参列者の中で、女は白い花のように静まり返っていた。

かくりよと うつしのよみち かようとき みたままつりて むつみあわなん
幽り世と 現し世の路 通ふとき み魂祀りて 睦み合はなむ
(あの世とこの世が通いあう時、霊の喜びと悲しみを知る私たちが、親しく寄り添って、先人の霊を祀りましょう)

 真新しい本堂の向こうには、桜の木立ち越しに、古い墓地が広がっていた。

たちなめる いわやにそそぐ はなのかぜ ゆめのなごりを とむろうごとく
立ち並める 石家に注ぐ 花の風 夢の名残りを 弔ふ如く
(死者の見果てぬ夢を、まるで貴方が静かになぐさめるかのように、音もない風が花びらを散らして、立ち並んだ墓石に降り注いでいます)

にびいろに せめておんみを つつまばや えもかくさえぬ はなにしあれど
鈍色に せめて御身を 包まばや えも隠さえぬ 華にしあれど
(せめて服装だけでも地味な色で、今日のあなたを包ませてください。持って生まれたその華やぎは、隠すことができませんけれども)

 法事が終わり、女は先に帰っていった。

かのひとも ひとりいえじを たどりけり いきかうひとの なみにまぎれて
かの人も 一人家路を 辿りけり 行き交ふ人の 波に紛れて
(あなたが人ごみのなかに紛れて、一人家へと帰っていく様子を、道順にそってずっと想像しています)

 日が落ちようとするころ、男は駅までの道を辿りながら、女の横顔を思い浮かべていた。

ゆうばえの はつるかなたに あくがるる くれゆくそらの まなかにありて
夕映への 果つる彼方に 憧るゝ 暮れ行く空の 真中にありて
(もうすぐ暮れようとする夕空の真下を歩きながら、夕映えの向こうにある永遠の世界に、魂があこがれ出る思いでいます)

これもかも いもゆえにこそ かなしけれ めにみゆるもの てにふるるもの
これもかも 妹ゆえにこそ 愛しけれ 目に見ゆるもの 手に触るゝもの
(あれもこれも、目にみえ、耳に聞こえるものはすべて、あなたがいるからこそ、愛おしく思われます)

 早く目覚めたある休日、男は広い河川敷に出て、川の音と風の音を聞きながら、高い葦の中を歩いた。

はるがすみ たなびくそらに さそわれて まださむきのを ひとりあゆめり
春霞 棚引く空に 誘はれて まだ寒き野を 一人歩めり
(空に春霞がたなびくころ、あなたの影に誘われるように、まだ寒い野原を、一人で歩きました)

 堤防から山側に分け入っていくと、まばらな人家の間に、旧跡を記した古い石碑が立っていた。見知らぬ地名や人名が、この土地で生まれ育った女と縁深そうな錯覚を起こさせた。

いもがなを くちずさみつつ たどらなん いにしえびとの すまいしあたりも
妹が名を 口ずさみつゝ 辿らなむ 古へ人の 住まひし辺りも
(あなたの名前を口ずさみながら、縁深い人が昔住んでいた辺りを、辿っていきます)
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