日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

「ひた青に照る」の歌推敲、その他

2012年01月23日 | 日記
12月27日に載せた歌の推敲です。

きぎのまゆ さしいるひかり あまさかる やまなみのきわ ひたあおにてる
木々の間ゆ さしいる光 天離る 山並の際 ひた青に照る 
(木々の間から斜めに差し込む光を、切れ切れに浴びながら歩いていくと、木立の途切れたところで、遠くの山並の上に、雲一つないまっ青な空が広がっていました)

 改悪になる危険を犯して、推敲してみましょう。「木漏れ日」「天離る」を分解、活用させて、かつ枕詞「天離る」が「日」「ひ」にかかることを流用します。技術的な説明すればそうなりますが、読み上げてみると、むしろ素直な調べになっており、わかりやすくなっているのではないでしょうか。

つちのへに こもるるひかり あまさかり ひたあおにてる やまなみのはて
地の上に 木漏るゝ光 天離り ひた青に照る 山並の果て
(木々の間から斜めに差し込む光を、切れ切れに浴びながら歩いていくと、木立の途切れたところで、遠くの山並の上に、雲一つないまっ青な空が広がっていました)

 あるいは、最初の歌は、2、4句めで切れて、かなり古風な響きがしますので、4、5句めを入れ替えて推敲すると、つぎのように、やや中世風に滑らかになります。これを最終版とします。

木々の間ゆ さしいる光 天離り ひた青に照る 山並の際 

 ついでにざれ歌を1つ。
 だいぶ前に、「となふれば・・」という言葉が浮かびました。一番有名なのは、「我も仏もなかりけり南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」という、一遍上人の歌でしょう。この歌の連想が強すぎたからでしょうか、続いて出てきたのは、「あいうえお南無阿弥陀仏」というものでした。まるで空念仏のようです。「あいうえお・・」は、子供が小さい時の私の子守唄で、五十音に単調なリズムと旋律をつけて歌って聞かせていました。
 小高い森に歩み入る情景と重ねながら、一遍上人の本歌取りとして、つぎのようなざれ歌になりました。

とのうれば あいうえお なむ あみだぶつ くさをむすびて やまにいらなん
となふれば あいうえお 南無 阿弥陀仏 草を結びて 山に入らなむ
(ふと口をついで出た「あいうえを」「南無阿弥陀仏」という言葉を唱えながら、古人にならって、草を結んで道行の幸いを願い、山に踏み入ろうと思います)


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***
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夢信仰と和歌・謡曲

2012年01月21日 | 日記
 だいぶ前のブログで、夢信仰と和歌について言及し、そのリアリティがなくなったあとでも、恋歌ゲームのような和歌の舞台装置として使われたことを述べました。今日はその補足です。

 恋しい人を夢に見たことで、古代信仰そのものではないにせよ、夢のリアリティが強まることもあったはずです。現代の私たち(少なくとも私)の夢は、それなりのリアリティを持っています。小野小町のつぎの歌も、夢のリアリティが新たに高まったことを表現しえています。

仮寝の夢に恋しい人を見たときから、夢の出会いは自分にとって真実であるという実感が強くなってきて、夢を徒や疎かなものとは思わなくなった。
(うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼みそめてき 古今・恋2)

この恋歌は広く長く愛唱されたようで、謡曲『清経』で主人公が登場するときにも謡われて効果を高めています(平清経は源平の戦いで戦わずして入水した武将で、この能は反戦的な軟弱なものとされ、戦時中には上演が憚られました)。
 謡曲は「錦の綴織」と表現されたほど、また西洋的知識人からは「バッハのポリフォニーよりも多声的・多重的」と言われるほど、掛詞、縁語などの多用によって文脈が複層しています。それが夢幻的・魔術的な効果を持つことにもつながるわけですが、催眠的な音声や所作のところどころに、耳慣れた通俗的な言葉(歌枕、地名、人名など)や、一節(名歌)が入ることで、現実に引き戻されます。世阿弥はそのような大向こう受けのする効果をよく知っていて、「ところどころに、耳慣れた通俗的な部分を入れる」ことを教えました。そのような効果を持つものとして、小町のこの流行歌のような和歌が使われています。
 主人公清経が死者として登場し(何者かの登場)、「聖人に夢なし」云々と難解な詞章を謡います。その結びにこの和歌が詠まれると、それを聴いた観衆はにわかに陶酔から覚めて、つぎの事件の展開を期待します(何事かの始まり)。はたして、主人公(シテ)が「いかに古人清経こそ参りて候え(ねえ、昔なじみの貴女、この私、清経がこうしてやってきましたよ)」と名乗って、一夜の夢物語の2幕目が始まります。


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冬晴れの日の歌、2首

2012年01月14日 | 日記
 年末年始の混雑を過ぎたたころ、用事で空の旅をしました。夕方の便で、西の空が見える窓際の席から、雲海の果てに日が刻々と暮れてゆく様子を見ていました。夕映えの赤みが色を失い、かつ昼間の明るさがまだ消え失せない、ほんのわずかのあいだ、天と地がモノクロの印画のように、世界に張り付きます。雲海の静かな襞が山並を覆い、そのヘリから見える集落には、まだ灯りが点っていませんでした。
 つぎの歌だけを読むと、夜明け方の情景を思い浮かべるだろうと思います。詞書や現代語訳を読み合わせてはじめて、上空からの景色であること、夕方の情景であることがわかります。しかしこの状況説明を短歌に盛り込むのは、字数からしても無理ですので、誤解も可として、このままにしておきましょう。

ほのしろき くものふすまに おおわるる さとのねむりや やままにさむる
ほの白き 雲の衾に 覆はるゝ 里の眠りや 山間にさむる
(夕映えが消え、ほの白い雲が薄べりとなって地を覆うころ、その下で眠っていた山間の里が、やがて灯りを点しはじめて、目が覚めたようになるのでしょうか)

 帰宅後、いつものように、森の散歩を終えて、人気のない広い公園に座っていると、ほとんど風もない中、落葉した木々のあいだから、ときおり鳥の立てる音や小さな草ずれの音が、耳のすぐそばに聞こえてきました。すると、にわかに吹き始めた荒々しい風が、いつ止むともなく吹きすさび、耳を聾しました。

ふゆがれて もだすこだちに ききいるを あれたつかぜの なおふきやまず
冬枯れて 黙す木立に 聞き入るを 荒れ立つ風の なほ吹きやまず
(落葉して音もない木々のあいだから、ときおり鳥の立てる音や小さな草ずれの音が、耳のすぐそばに聞こえてくるのに聞き入っていると、にわかに吹き始めた荒々しい風が、いつ止むともなく吹きすさび、耳を聾しました)

 見入り、聞き入っていると、歌の形をとりやすいような気がします。


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祈り言の長歌、および反歌

2012年01月12日 | 日記
 古語短歌を詠んでいて、長歌を作りたいと思うことがあるのですが、私の魂の中には叙事詩を作るほどのドラマはありません。万葉の長歌で多いのは、高貴な人物を悼む歌と、祝祭の賀詞です。そのような場面とも無縁の私にとって、長く言葉をつなげることのできるジャンルは、祈り言になります。下記は、年末年始にかけて、初めて作った祈り言です。多少は祝詞のたしなみがありますので、聞いてくださる方によっては、その響きを聞き取られるだろうと思います。

世と人を導きたまふ神々の御前にて、自らに宣りあぐる歌

明け初(そ)むる 天つちの際(きは)
固め成し いや生(あ)れ継ぎし
天つ神 国つみ神の
民くさを うつくしみまし
まがことは い直し立たせ
八十隈は いや大広(おほひろ)に
平らけく 開きいまして
里の幸 海山の幸
うるはしき 国内(くぬち)にありて
をのをのの 世のなりはひを
安らけく いよよ多けく
栄ゆくや とはにとこよに
われ人の とものよろこび
暮るる日を 明くる日に継ぎ
行く年を 来る年に継ぎ
一日(ひとひ)ごと 一年(ひととせ)ごとの
幸はひを いや増しませと
集ひくる うからやからの
大前(おほまえ)に 恩頼(みたまのふゆ)を
かがふりて 命かしこみ
礼言(いやごと)を 礼代(いやじろ)と宣(の)る
うづなはしをせ

反歌
人とわれ 天つしるべを まぎゆかな ゆくへは知らね あとなもしるき


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年頭のご挨拶

2012年01月03日 | 日記
 あけましておめでとうございます。<m(_ _)m>
 ブログを読んでくださっている方から、お年賀状で「読んでますよ」とお伝えいただき、パソコン、ウェブという無機質なメディアを通して、暖かい心の交流があることに、不思議な思いがします。今年もぼちぼちと歌を詠んで参ります。お暇な折はご訪問くださり、ご感想などありましたら、メールでお寄せください。コメントは受け付けない設定になっておりますので、私のアドレスが分からない方は、ブログその他で、「日守麟伍の歌は・・・」とコメントくだされば、ときどき検索して、発見させていただきます。
 今年最初の投稿は、和歌ではなく、和歌をめぐる解説です。

私が古語短歌を意識して詠み始めたのは、二〇〇〇年前後の世紀の変わり目くらいから、そして集中して詠むようになったのは、二〇〇八年からです(二月二日、つまり節分ころから、『日記』を『歌日記』に変えました)。「古語短歌」をタイトルにしたこのブログを始めた二〇一〇年からは、自分で言うのは僭越ながら、素人の域を脱してきて、古人や古歌と直に対話するようになりました。もう発展の余地はないと思われるかもしれない古語短歌というジャンルで、かつて詠まれたことのない姿と心を、いくつか新たに詠み出し得た気もしています。しかし何といっても、古語という言葉の壁その他があって、趣向を同じくする人の数は僅少ですから、ごく少数の人からの評言をいただくほかは、不可視の古人と内面の対話をする日々を送っています。
 二〇一一年のことに触れないわけにはいきません。この年は、日本と世界にとって、大きな転機の年となったと、語られ続けることでしょう。世界では、中東の市民による民主化の波が起こり、ヨーロッパでは恐慌前夜の危機が続き、何よりも日本国内で、人類史的なマグニチュードの大震災と、人類史的なレベル7の原発事故が起こりました。それぞれの問題そのものについては、古語短歌をテーマとする本書ではこれ以上触れませんが、年が明けて二日に放送された「震災の歌」(NHK)という番組について、一言だけ触れておきたいと思います。
 放送では、震災の被災者、原発事故の被害者の方々の、大きな苦しみとそれを乗り越える強さを託した和歌が、いくつか紹介されていました。多くの方は、和歌の稽古をされたことはない(はずである)のに、使い慣れない(はずの)古語を使って、抑制された和歌を詠みあげておられました。悲しみや苦しみは消えなくても、こうして言葉の記念碑が建つことは、有形の記念碑が建つのと同じような、永続する落ち着きにつながります。
 植民地時代に日本語教育を受けた世代の台湾の方の、「自分たちの最も深い感情を表現できるのは和歌である」という証言を読んで、政治の圧力が深い感情にまで影響する問題の深刻さを考えさせられました。和歌で用いられる古語のいくつかも、同じような背景を持っているかもしれません。しかしここでは、口語では表現できない心の深みが、遠い過去から伝わる言葉と、とくに一定の形式によって、苦しい経験が刻まれて立ち上がるという、古語短歌の持つ力を痛感します。
 自由詩と比べてみると、言葉ととくに形式の共有がいかに心を支えるかが、わかります。苦痛や恐怖を自由詩に読むことは、天性の詩人ならでは困難ですが、無数の時代、無数の人が親しんだ形式そのものには、何も自己主張すべきものはありません。言い慣らされた言葉にも、自己主張するものは何もありません。ほとんど同じような形式と言葉に、自分の経験と感情を盛り込むことで、無数の心との無償の共感につながるのだと思います。
 ある高僧が、「嬉しいときも座禅、悲しいときも座禅」「嬉しいときも念仏、悲しいときも念仏」と教えておられますように、悲しいにつけ嬉しいにつけ、古語短歌を詠んでいきたいものです。


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