日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

『古語短歌物語 花の風 [読み仮名・現代語訳付]』6の巻(前半)

2010年12月22日 | 日記
六の巻、結び

男は今、鬱蒼とした樹木に囲まれた森の中か、あるいは分厚いガラスに囲まれた温室のような、生活音の届かない空間の中で、物言わぬ女の面影を心に抱いて、暮らしていた。

かれてより いかにかすぐし たもうらん みるものごとに とわまくおもう
離れてより 如何にか過ぐし たまふらむ 見る物ごとに 問はまく思ふ

(お別れしてから、何かを見るにつけて、あなたはどこでどうしておられるかと、お聞きしたい思いです)

外の世界は、物事も人々も、歌に詠まれてこの静謐な空間に入るのを待っているだけの、気遠いものになっていた。

ながあめの やみたるもりの ゆうばえて たかえだのおれ おちしずむおと
長雨の 止みたる森の 夕映えて 高枝の折れ 落ち沈む音

(ながい雨が降り止んだ夕方、森の遊歩道を歩いていると、上の方から木の絡まる音が聞こえ、ふと見ると、高い木の枝が折れて、周りの枝に絡まりながら、静かに落ちていきました)

 車で移動しているとき、真っ青な空を背景に、夕日に映えた紅葉が、突然目に入ってきた。

いりのひに もみじのおかの てりはえて まさおきそらわ くるるともなし
西の陽に 紅葉の丘の 照り映へて 真青き空は 暮るゝともなし

(西の空に傾いた太陽が、小高い丘の紅葉の木立を照らし、真っ青な空を背景に、燃えるような赤色が浮き上がって、日暮れまではまだ間がありそうです)

 山道を移動する車から、絶壁の下の湖が、絵の具を溶かしたように濁って、静まり返っているのが見えた。心の中の女と一緒に見るような気持ちで、男は外の景色を見ていた。

あわゆきの しろきみどりに にごりたる みやまのうみの おものしずけさ
淡雪の 白き碧に 濁りたる 深山の湖の 面の静けさ

(山には淡雪が降り、雪景色を映した湖面は、緑色が乳白色に濁って、音もなく静まり返っていました)


そらにみつ とおきものおと かつきこゆ こごりしきぎの えだをふるいて
空に満つ 遠き物音 かつ聞こゆ 凝りし木々の 枝を振るひて

(晴れた空に聞こえる遠い物音が、強くなったり弱くなったりして、落葉した木々の枝は、寒い風に震えているようでもあり、音に震えているようにも見えました)

さゆるひの しぐれのあとの ゆうやまに うすゆきふりて くもぞはれゆく
さゆる日の 時雨の後の 夕山に うす雪ふりて 雲ぞ晴れゆく

(冷え込んだ日、時雨が降ったあとの夕方、山にはうっすらと雪が降り、空の雲は次第に晴れていきます)

ほしきよき よわのうすゆき そらはれて ふきとおすかぜを こずえにぞきく
星きよき 夜半のうす雪 空晴れて 吹きとほす風を 梢にぞ聞く

(星がきれいに見える夜、晴れた空にうす雪が降って、梢を吹き過ぎる風の音が聞こえています)

つきかげは もりのこずえに かたぶきて うすゆきしろし ありあけのにわ
月影は 森の梢に かたぶきて うす雪白し 有明の庭

(月はもう森の梢にまで傾いて、夜が明けようとする庭には、雪がうっすらと降り積もっています)


 正月に大雪になり、町の交通が麻痺した。

はつはるの ふりしくゆきを よそおいて はなのさかりと たちなめるきぎ
初春の 降り重く雪を 装ひて 花の盛りと 立ち並める木々

(初春に思いがけず大雪になり、並木の枝も雪をまとって、花盛りのように見えています)

めじのかぎり ふりしくゆきに まぎらいて かつたえだえに かぜふきわたる
目路の限り 降り重く雪に 紛らひて かつ絶え絶えに 風吹き渡る
(降り続く大雪が、ときどき吹きすぎる風に巻かれて、一面の雪景色になっています)

 春が近づき、暖かさと寒さが繰り返していた。

おおかぜの はるまだきのを ふきてやまず すさまじきおと そらにみちみつ
大風の 春まだき野を 吹きて止まず 凄まじき音 空に満ち満つ

(早春の野を大風が吹いて、そのすさまじい風音が空に満ち満ちています)

おおかわの ぬるむみなもに かぜなぎて ほとけのごとき はるひのゆらぎ
大川の 温む水面に 風凪ぎて 仏の如き 春日の揺らぎ

(よく晴れて風もなく、暖かくなった春の昼下がり、大きな川の水面が、仏像のような黄金色にゆらいでいます)


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第5巻のあとの短い茶話

2010年12月16日 | 日記
第5巻には、万葉集から4首、玉葉集から2首、紛れ込ませておきました。玉葉からの1つは、「君」を「妹」に変えましたので、元に戻しておきます。
( )内の数字は、万葉は通例の通し番号、玉葉は岩波文庫のページ数です。

玉葉の2首のほうが、やはり、はるかに繊細ですね。



いにしへに ありけむ人も 我がごとか 妹に恋ひつゝ 寝ねかてずけむ
   (万葉、497)

事もなく 老ひ来しものを 老次に かゝる恋にも 我は会へるかも
   (万葉、559) 

黒髪に 白髪交じり 老ゆるまで かゝる恋には いまだ会はなくに
   (万葉、563)

相見ずは 恋ひざらましを 妹を見て もとなかくのみ 恋ひばいかにせん
   (万葉、586)


先の世に 人の心を 尽くしける 身の報ひこそ 思ひ知らるれ
   (玉葉、211)

夜の雨の 音にたぐへる 君なれや 降りしまされば 我が恋ひまさる
   (玉葉、233)



次回から、最終の第6巻に入ります。その後に解説を付けて、一段落となります。

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『古語短歌物語 花の風[読み仮名・現代語訳付]』第5巻(後半)

2010年12月15日 | 日記
男は時折、女に似た人を見てはっとすることがあった。

まれにみる いもがにすがたに めをとめて みしらぬひとに はしきなをよぶ
稀に見る 妹が似姿に 目を留めて 見知らぬ人に 愛しき名を呼ぶ

(ときおりあなたに似た人を見かけて、別人だとわかっても、あなたのいとしい名前を口ずさまずにはいられません)

その後の男の単調な人生は、遠ざかったり近づいたりする女の面影に向って、歌を詠むことだけが、折々の密かな祝祭になった。

さざなみの あとよりおそう おおなみに こころおどろき ひきしおをおう

さゞ波の あとより襲ふ 大波に 心驚き 引き潮を追ふ

(寄せては返すさざ波のあとから、大きな波が打ち寄せて、はっとした私は、その引き潮を目で追いました)

男は遠く離れた女に語りかけるように、一つ一つの歌を詠んだ。

おおはまの ながきみぎわに うちよする しきなみのおと いもときかなくに
大浜の 長き汀に 打ち寄する 頻波の音 妹と聞かなくに

(大きな砂浜の長い汀に、波がしきりに打ち寄せています。波が泡立つ快い音は、いつまでも途切れることはありませんが、この音をあなたといっしょに聞けたらどんなに喜ばしいでしょう)

おおはまの みぎわをわたる みずとりの さうにゆきかい ねをなきかわす
大浜の 汀を渡る 水鳥の 左右に行き交ひ 音を鳴き交はす

(大きな砂浜の汀を、水鳥があちこち飛び交い、鳴き交わしていますが、離れたり近づいたりする様子が、胸に迫ります)

おおはまの なみのまにまに うきしずむ にわのみずとり みえずなりにき
大浜の 波の間に間に 浮き沈む 二羽の水鳥 見えずなりにき

(大きな砂浜の、波間を飛び交って、浮き沈みして見えていた二羽の水鳥が、どこへいったのか、見えなくなりました)

この世の苦しさも惨めさも、つまらない景色もありふれた出来事も、歌の中では美しい形や動きとなって残った。

あいみずわ こいざらましを いもをみて もとなかくのみ こいばいかんせん
相見ずは 恋ひざらましを 妹を見て もとなかくのみ 恋ひばいかにせむ

(あなたに会うことがなければ、恋することもなかったのに、あなたに会ってから、自分でもどうしようもなく、こんなに恋しく思っています)

古今のなつかしい歌と、愛しい女の面影が、男の周りにいつも漂っていた。

あまおとの かくなつかしき ゆえしれず むなさわぎする きぎのうればに
雨音の かく懐かしき 故知れず 胸騒ぎする 木々の末葉に

(雨の音が、こんなに懐かしいのは、なぜでしょうか。木々の梢葉をみると、胸騒ぎがしてなりません)


あまおとに このはさやげる なにごとの かくなつかしき しるすべもなく
雨音に 木の葉さやげる 何事の かく懐かしき 知る術もなく

(雨の音に木の葉がざわめいています。何がこんなに懐かしいのか、知るすべもありません)

なおやまぬ しぐれぞかくわ なつかしき ふりにしよよの あとをたどりつ
なほ止まぬ 時雨ぞかくは 懐かしき 経りにし世々の 跡を辿りつ

(いつまでも降り止まない時雨が、このように懐かしいのはなぜか、過ぎ去った昔のことを、ひとつひとつ思い出してみましょう)

よるのあめの おとにたぐえる いもなれや ふりしまされば わがこいまさる
夜の雨の 音にたぐへる 妹なれや 降りしまされば 我が恋ひまさる

(夜に降る雨の音が、あたなに似つかわしいのか、あなたを思い出させ、雨脚が強くなるにつれ、あなたを恋しく思う気持ちがつのります)

ふりやまぬ しぐれにぬるる こずえばの しずくとゆらぐ よよのさびしさ
降り止まぬ 時雨に濡るゝ 梢葉の 雫と揺らぐ 世々の寂しさ

(降り止まない時雨に、濡れた木々の梢葉から雨の雫が滴っています。ゆらめく雫が、過ぎ去った時代の、慰めようのない寂しさのようです)


さきつよの ことさまざまに おもいやる よよのうれいわ おくかもしらず
前つ世の こと様々に 思ひやる 夜々の憂ひは おくかも知らず

(昔のことをさまざまに思っても、どのようなことがあったのか思い出せないことばかりで、取り返しのつかない苦しみだけが果てしなく続きます)

めざむれば ゆめもうつつも へだてなき わがみひとつの おもいにぞある
目覚むれば 夢も現も 隔てなき 我が身一つの 思ひにぞある

(私は目覚めているときも、夢の中でもほとんど違いがなく、思うことにも変わりはなくなり、いつも同じことを考えています)


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