日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

伏見天皇御製

2011年08月28日 | 日記
夏の終わりの昼下がり、晴れたり曇ったり、にわか雨があったりする日、人影のない広い草の原に座っていると、上空を流れる雲の大きな影があたり一面を音もなく覆って暗くなり、滑るように過ぎていきました。

てりわたる くさのにかかる くもかげの すべしをゆくや かざおともなく
照り渡る 草野にかゝる 雲影の 滑しをゆくや 風音もなく(麟伍)
(よく晴れて、風もない広い草の原にいると、上空を流れる雲の大きな影が、あたりを音もなく覆って暗くなり、滑るように過ぎていきました。)

 このような歌で私が目指しているのは、俊成や慈円が先行例を示し、為兼らで頂点に達したこと、いわば「俗事」(人事や感情や出来事)を離れた自然観照を通して、「仏事」(祈りや瞑想)に沈潜することです。それ以外の歌人によるすばらしい先行例を、玉葉集から2首。

さゆる夜の 池の玉藻の みがくれて 氷にすける 波の下草(光明峯寺入道前摂政左大臣6巻・冬)

月影は 森のこずゑに かたぶきて うす雪しろし 有明の庭(永福門院、6巻・冬)

驚くほど優れていて、模範となるべき頂点的な自然観照の端正な例が、伏見上皇の御製にいくつかあります。

ふけ行けば 虫の声のみ 草にみちて 分くる人なき 秋の夜の野べ(御製、4巻・秋上)

宵のまの 村雲づたひ 影見えて 山の端めぐる 秋のいなづま(御製、同)

夕暮の 雲とびみだれ 荒れてゆく 嵐のうちに 時雨をぞきく(御製、5巻・冬)

星きよき 夜半のうす雪 空はれて 吹きとほす風を 梢にぞきく(御製、同)


『玉葉集』を読み直していると、自然観照の歌を含めて、伏見上皇の御製に、私の歌と似た雰囲気が多いのに気付きました。「姿」(表現)が似ていたり、「心」(内容)が似ていたりします。たとえば「懐旧の心を」という詞書のつぎの御製と、麟伍歌を並べてみます。

情ある 昔の人は あはれにて 見ぬ我が友と 思はるるかな(院御製、18巻・雑)

古への 言霊なれや あや歌の 揺らく羽風と 振りかゝりくる(麟伍)

 なぜこの2つの歌の「心」が似ているのかは、当事者にしか事情がわかりませんので、説明しましょう。御製は、歌心のある昔の人は、しみじみとした趣があり、会ったことはないのに、友のように思われることだ、という意味です。私の歌は、はじめは「古への歌人(うたびと)なれや・・・」と出てきて、歌人との心の交流を感じました。そのままであれは、昔の歌人と心が通うように思われる、という意味になります。しかし、昔の「歌人」との交流という表現は、ややあからさまな感じがして、婉曲に「言霊(ことたま)」と言い直しました。「昔の人」を思うという意味で、この2つの歌の「心」が似ているというのは、こういう経緯からです。


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***

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旧歌推敲

2011年08月19日 | 日記
 だいぶ前に詠んだものを、捨てるには惜しくて推敲、というより、一度詠みかけたものは、元の形を留めなくなっても、最後まで推敲することにしています。祈歌3首、朝の歌、秋の歌です。定型的な歌ですので、とくに現代語訳は付けません。


さす枝の 老松の葉ぞ 緑なる 君がみ命は 長足らしませ(麟伍)

神奈備の みもろの山の 広前に かくは罷りつ 命畏こみ(麟伍)

常盤木の 露はしとゝに 滴りて さし出づる日を 多に幸はふ(麟伍)

天つ御神 国つ御神の 賜ひたる みこと畏こみ いやをちにませ(麟伍)

窓近く あを向く面の 絶え絶えに 陽に照り映ゆる 道行きの朝(麟伍)

虫さはに すだくさ庭に さ夜ふけて 霧にまぎるゝ 月星の空(麟伍)


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聖地、石、太鼓

2011年08月18日 | 日記
由緒ある聖地を訪れ、聖者ゆかりの場所を歩いていると、石組みの中に丸い石が据えられて、萩の茂みにうずもれていました。聖者が祈りを籠めた石だそうです。

たまいしの はしげきはぎに うずもれて てりかげるひに うきてはしずみ
玉石の 葉しげき萩に 埋もれて 照り陰る陽に 浮きては沈み(麟伍)
(祈りの籠められた石が、茂った萩の葉に半ば埋もれ、木漏れ日があたると、葉がいっせいに明るく浮かびあがって石が沈み、陰ると葉が沈んで石が浮かび上がり、それが静かに繰り返されています)

たまいしに はぎのむれはの かげしるく ゆくりしられね すがたくすしき
玉石に 萩の群れ葉の 影しるく ゆくりしられね すがた奇しき
(祈りの籠められた石に、萩の群れ葉がくっきりとした影を落とし、どのような意味があるかはわかりませんが、不思議な形を作っています)

ひとのよに かくれしずまる たまいしゆ ふきくるかぜに こころゆらくも
人の世に 隠れ鎮まる 玉石ゆ 吹きくる風に 心ゆらくも
(世の人に知られず、ひそかにこの場所に鎮まっている、祈りの籠められた石から、ときおり風が吹いてくると、不思議な気持ちになって、心が動きます)


太鼓の響き
 祈りながら和太鼓を打つ人を見て、ただの激しさだけでなく、目指すべき地点を見据えたこのような力強い音は、世の憎しみや怒り、恐れや悲しみを吹き払い、言葉や制度ではなく、「動き」によって天地を清めるように思われました。魂が揺さぶられました。

たまふるう とどろのひびき しなだるる よどみをはらう あめつちのきわ)
玉振るふ とゞろの響き しなだるゝ よどみを祓ふ 天地の際
(魂を揺さぶる大太鼓の音は、天地のあいだに重く垂れ込める淀みを祓い清め、天地の際までも響き渡る)


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***

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入りの日の歌、2首

2011年08月16日 | 日記
 昨日の1句め、「傾ぐ」は語感も響きもあまりよくありませんので、「入り(の)日」としてみます。

いりのひの こがくれゆくや こずえばの ふきわたるかぜに うきゆらぐごと
入りの日の 木隠れゆくや 梢葉の 吹き渡る風に 浮き揺らぐ如(麟伍)


 また別の日、黄金を溶かしたような入り日が、照葉樹の枝葉に反射して、風にゆらめき、細かく揺れていました。

入りの日に たぎる黄金と 照り映えて しだる枝葉の ゆらぎかゝよふ(麟伍)


 最近、俊成の歌を読み直しています。俊成は晩年に至り、和歌を詠むことは仏道修行である、という確信を強めました。「釈教歌」が一巻として独立するのは、『千載和歌集』(俊成撰)からということも示唆的です。歌道と仏道の結び付きを考えるのに、俊成の和歌と歌論は、恰好の手がかりになるはずです。
 次回から、歌道と仏道について、考えてみましょう。


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***









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夏の名残、追加

2011年08月15日 | 日記
 また別の日、森の中で、傾きかけた太陽が樹冠に隠れて、あたりが陰ったと思う間もなく、頭上を覆い尽くす梢が風にいっせいに吹かれ、樹冠全体が浮かびあがるようでした。

かしぐひの こがくれゆくや こずえばの ふきわたるかぜに うきゆらぐごと
傾ぐ陽の 木隠れゆくや 梢葉の 吹き渡る風に 浮き揺らぐ如(麟伍)


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***

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