日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

全文掲載のご案内

2011年10月27日 | 日記
 昨日、『和歌集』を全文掲載しました。だいぶ前に『歌物語』の全文を掲載した日付もいっしょに、お知らせしておきます。『和歌集』には読み仮名、現代語訳を付けておりませんので、ご面倒ながら、『歌物語』およびブログの解説篇を参照してください。<m(__)m>


『歌物語 花の風』2011年2月28日gooぶろぐ

『和歌集 くりぷとむねじあ』2011年10月26日gooぶろぐ

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和歌集 くりぷとむねじあ

2011年10月26日 | 日記
 『歌物語 花の風』地の文を削ることで、人事の無駄話が耳障りな方(通人)向けに、さわりの部分のみをつなげた和歌集にしました。映画をよく知っている人の楽しみ方の一つに、場面を思い出しながら映画音楽を聴く、というのがあります。ちょうどそのように、歌物語のエッセンスのみを読んでいただくことになります。
 このブログではじめて発表した歌も組み込んで、素朴で稚拙な恋歌から、かなり趣向を凝らした(つもりの)和歌へと、しだいに迷宮の奥へご案内します。あなたの密かな思い出に触れる親密な空間が、この歌の迷宮のどこかにありますように。


一の巻、始まり
二の巻、戯れ
三の巻、行き違い
四の巻、別れ
五の巻、憂い
六の巻、終わり
七の巻、名残り


一の巻、始まり

地にありて 星に祈りを 語り継ぐ 天津乙女の 声ぞ愛しき

古への 聖の言葉 絶えずして 愛しき妹の 声に顕はる

たまきはる 命のたぎり 交らひて 跡見えざるも 古へ思ほゆ

諸神の 恵みたまへる 古への みたまのふゆを 受けし妹はや

幸み魂 受けて生れにし 人にあれば 妹よ御身を 愛しむべし

諸人も 妹が寿詞を 待ちぬべし ともに祈りて 世を和めばや

今よりは 妹を現つの 神と見て 心尽くしの 歌捧げなむ

耶蘇の 御業を告ぐる 十字架の 夕暮れに立つ 畏みて見つ

世に優れ み魂貴き 妹なれば 身を休むべき 枕もあらじ

世を捨てむ 思ひありてふ 妹が身ぞ いよゝ愛しく 思ほゆるかな

身を捨てむ 思ひ抱きて ありしてふ 妹の悲しび 我れこそは知れ

世々継ぎて 妹が流せし 涙こそ 栄行く時の 名残りとならめ

永き世々 待つべき人を 待ちわびて 今まみゆるは 現つにやある

妹恋ふは 我れからならず 定めありて かくやはまみゆる 故知らざるも

会ひ得たる 縁いかにや 成り行かむ 後先の世の 契り知らばや

魂触れて 心驚き 見上ぐれば 妹がまなこに 見入られてあり

妹恋ふる 思ひはいよゝ 募れども ただ黙しゐて 面を見守る

遠きより 近づく影を 妹と見て 相会ふ幸に 胸は高鳴る

愛しき妹の 後ろ姿に 呼びかくる 声には出でず 色に出づとも

妹や聞く 我が恋ひをれば 言霊の 響きは繁し 憧るゝほど

我が恋ふる 思ひを知れる 妹にあれば 語らぬ声も 聞きてありなむ


二の巻、戯れ

定めある 古きみ魂と 覚ゆれど 幼き妹を 如何にかはせむ

妹恋ふる 思ひ如何にか 届かむと 我がむらきもの 心慄く

世々を経て 手繰り合ひたる 魂の緒を またいつの日か 見失ふべき

うたゝ寝に 恋しき妹に 会ひけれど 訪ひはなし いづちあるらむ

妹と我れ 名を呼び交はす 夢のあと 現つに会へば 恥づかしきかな

うたゝ寝に 重ぬと覚えし 妹が手の 肌の温もり 何処に失せし

世を知らぬ 幼なき恋に あらざれば 重なる日々に 心澄みゆく

妹見ざる 一日の暮るゝ 寂しくも かく会ひ得たる 幸や悔ゆべき

何処とも 来たりし方は 相知らね 行かなむ方は 告げざらめやも

妹求ぎて 我が呼ぶ声の 届きなば 陸地の果てゆ 答へてしがな

都路を 今は下り来れば 懐かしき 吾妻の海は 和らぎにけり

懐かしき 海に映らふ 面影を 抱くすべなし 直向きに恋ふ

波静か 風静かなる 吾妻路の 天つみ空に 陽は満ち満ちて

朝凪ぎの 吾妻の海の まどろみに 雲路遥けき 有明の月

雪雲の 切れし彼方の 茜雲 吾妻の海を 二色に染む

我が待てる 人は妹にや 妹が待てる 人は誰そや 我れにあらざるか

会ひ得たる 定めのみ魂 離り行くと 夢見てのちぞ 凄まじかりし

離りても また会ふべしと 思はずば 妹見てのちは 文目もわかず 


三の巻、行き違い

待ち続け いま会ひ得たる 妹なれば 後の定めは 如何ならむとも

よし我れら 身は遠近に 隔つとも 霊合ふ幸を 重ね行かまし

去年よりは いづち行けども うら細し 妹が形見を 抱きてあれば

ゆゑ知れぬ うれひに浮かぶ 影もあれや 定めなるべき ゆくへも知らに

憧るゝ 心互に 魂合ふは 定めなるべし 成り行くまゝに

大神を 祀る社の 御前に 妹額づきて 何祈るらむ

雨の日を 選りて会はなむ 都なる 神の社に 相応ふわれ等は

白馬の 神の御前に 駆け巡る 繋の鈴 杜に響きて

玉振るふ とゞろの響き しなだるゝ よどみを祓ふ 天地の際

終に行く 神の御国は 待たるれど 妹と語らふ 時過ぎがたし

降る雨に しとゞものこそ 思はるれ 人の恋しき 晴れもやらずて

繰り返す 人の命の 愛しさに 今日の一日を 深く籠らふ

懐かしき 古へ人を 思ひつゝ み魂祀りて 一人籠らふ

諸神の 守りぞ切に 祈らるゝ 人世の幸を 斎ふこの日も

神祀り 斎み浄まりて 我が祈る 人世の幸と 妹が真幸を

幽り世と 現し世の路 通ふとき み魂祀りて 睦み合はなむ

佇まふ 霊家に注く 花の風 夢の名残りを 弔ふが如

鈍色に せめて御身を 包まばや えも隠さえぬ 華にしあれど

かの人も 一人家路を 辿りけり 行き交ふ人の 波に紛れて

夕映えの 果つる彼方に 憧るゝ 暮れ行く空の 真中にありて

これもかも 妹ゆえにこそ 愛しけれ 目に見ゆるもの 手に触るゝもの

春霞 棚引く空に 誘はれて まだ寒き野を 一人歩めり

妹が名を 口ずさみつゝ 辿らなむ 古へ人の 住まひし辺りも


四の巻、別れ

妹待てば 散り遅れたる 春の雪 迷ふ心を 知りて降るらむ

妹恋ひて 我が待ちをれば 春の雪や 散り惜しみつゝ 止みがてに降る

梅咲きて 桜待ちゐる 青空に 来し方見えぬ 雪舞ひ散らふ

神奈備の みもろの山の 広前に かくは罷りつ 命畏こみ

常盤木の 露はしとゝに 滴りて さし出づる日を 多に幸はふ

さす枝の 老松の葉ぞ 緑なる 君がみ命は 長足らしませ

風立ちて 木の葉さやげる 下陰に 妹佇みて 何思ふらむ

この庭に 吹きゆく風も 咲く花も 幸に満てるは 妹ありてこそ

峰見つゝ 妹が通ひし 坂道の 跡を偲びて 一日歩めり

高殿に 真向かふ丘の 和膚の 緑に花や 咲きて紛るゝ

いざや妹 御手を此方に たまへかし かの階に 並みて憩はむ

いつの世か 並みて憩はむ 我が妹は 今は何処と 出で立たすらむ

妹が手に 妹がうなじに 黒髪に 春めく今日の 風吹き過ぎて

この春も 桜花咲き 若葉吹き 妹が行く方を 幸ふ如く

我れよりも 妹を知るべき 人やある 定めの時に 今はあらざるか

この道は 一人行くべき 方にあらず 如何に定めの 時を待ちてむ

玉石の 葉しげき萩に 埋もれて 照り陰る陽に 浮き沈みつゝ

玉石に 萩の群れ葉の 影しるく ゆくりしられね すがた奇しき

人の世に 隠れ鎮まる 玉石ゆ 吹きくる風に 心ゆらくも

のちの世も せめて会はむと 願ひしに けふ妹を見る かく狂ほしき

長き世を 一人歩みて 行く妹の 心細さの 胸に浮かびて

日々を経て 相見る妹が 面ざしに 憧れ出づる 魂留め得ず


五の巻、憂い

目覚むれば まず妹が辺ぞ 思はるゝ 夢の訪れ 絶えて久しきに

佳きものは 妹に告げむと 思はるゝ また会ふことの ありと思はなくに

妹去りて 日長くなれど 面影の 現つ心に 浮かびて止まず 

後の世と 告げらえしこと みな果てぬ けふよりのちは 心のまゝに

巻く風に 末葉の揺らぎ 匂ひ立つ 手折りて妹が 形見とやせむ

芳しき 吐息の如き 夏の風 心に重き 露を含みて

世の憂ひ 人の憂ひも 鳴く蝉の 今を限りと 音をのみぞ聴く

老いぬれば のちの世ばかり 頼みつゝ 残りし日々の 憂きを堪えなむ

恋ひ侘びて 遣る瀬無き身の 苦しさの 止むべきときを 待つぞ狂ほしき

後の世は 如何なる時に 会ふべくも せめて会はまく ほしき妹かも

いにしへも かくはありけむ 来む世にも かくてあるらむ 人恋ふる身は

これもかも 過ぎゆくことゝ 待ちをれど 時の歩みぞ かく進まざる

過ぎ果てゝ 思ひ出づべき 日を待たむ この恋はたゞ 美しければ 

稀に見る 妹が似姿に 目を留めて 見知らぬ人に 愛しき名を呼ぶ

さゞ波の あとより襲ふ 大波に 心驚き 引き潮を追ふ

大浜の 長き汀に 打ち寄する 頻波の音 妹と聞かなくに

大浜の 汀を渡る 水鳥の 左右に行き交ひ 音を鳴き交はす

大浜の 波の間に間に 浮き沈む 二羽の水鳥 見えずなりにき

雨音の かく懐かしき 故知れず 胸騒ぎする 木々の末葉に

雨音に 木の葉さやげる 何事の かく懐かしき 知る術もなく

なほ止まぬ 時雨ぞかくは 懐かしき 経りにし世々の 跡を辿りつ

降り止まぬ 時雨に濡るゝ 梢葉の 雫と揺らぐ 世々の寂しさ

前つ世の こと様々に 思ひやる 夜々の憂ひは おくかも知らず

目覚むれば 夢も現も 隔てなき 我が身一つの 思ひにぞある


六の巻、終わり

離れてより 如何にか過ぐし たまふらむ 見る物ごとに 問はまく思ふ

色淡き 花のおぼろに 群れ咲きて 白に紫の 混じりてやある

なほ暮れぬ ま青き空に 透きとほる 高窓のむた 淡き月影

長雨の 止みたる森の 夕映えて 高枝の折れ 落ち沈む音

入りの日に 紅葉の丘の 照り映えて 真青き空は 暮るゝともなし

入りの日の 木隠れゆくや 梢葉の 吹き捲く風に 浮き揺らぐ如

入りの日に たぎる黄金と 照り映えて しだる枝葉の ゆらぎかゝよふ

冬の野に 木立を漏るゝ 夕映えの たぎる黄金と あふれこぼるゝ

窓ちかく 物音もなく 淡き日に あふる葉影の ゆらぎかゝよふ

夕空に 紅引く雲の 襞よりて 暗き木立の 薄衣を着る

淡雪の 白き碧に 濁りたる 深山の湖の 面の静けさ

空に満つ 遠き物音 かつ聞こゆ 凝りし木々の 枝を振るひて

初春の 降りしく雪を 装ひて 花の盛りと 立ち並める木々

目路の限り 降りしく雪に 紛らひて かつ絶え絶えに 風吹き渡る

大風の 春まだき野を 吹きて止まず 凄まじき音 空に満ち満つ

大川の 温む水面に 風凪ぎて 仏の如き 春日の揺らぎ

朝霧に もの皆浮かび 滲みつゝ 明け初むる陽に 淡く融けゆく

地に添ひて 木立を漏るゝ 朝の陽の 白き肌に 浮きてかげろふ

聴きゐれば 長鳴く鳥の 声止みて 枯れし草葉に 雨音の布く

下草に 散り布く雨の 音止みて 諍ふ如き 鳥鳴き交はす

春の雨は 森の雫と 下垂りて 静まる中に 鳥鳴き渡る

薄墨の 雲を黄金に 縁どりて 天照らす陽の 影のみぞ見る

鳥鳴きて 風静かなる 春の日に 道行く人の 足音もなく

白く赤く 見慣れし道に 咲く花の 色とりどりに かくは嬉しき

何をかも はなむけにせむ 世の名残り 出で発つ妹を 忘れ形見に

のちの世も せめて会はむと 願ひたる 思ひを妹や 如何に聞きつる


七の巻、名残り

さめ際の 夢に潤ふ 人も花も 目覚めも果てに 影薄れゆく

大枝に 積む雪のごとく 白き花 若葉の風に 揺れ揺らぎつゝ

雨の間に 森は緑に 覆はれて 流れも見えぬ 絶え絶えの音

つゆの間に 草隠れたる 通ひ路の 吹き揺る風に 跡ぞ知らるゝ

夏の陽に こがるゝ草を 吹き伏せて 表も見せず 直照りの風

触るゝ手に 青葉の湿り 爪繰りに 柔毛を撫づる 直照りの道

照り渡る 草野にかゝる 雲影の 風の音もなく 裾引かれゆく

みなぎらふ 川の背枕 よる文に 心せかるれ ただ見守りゐる

山並みと 見紛ふ雲や 天離る ひな土に伏す をちの黒雲 

夏の夜の 露に潤ふ 草深く 踏みゆく跡も 絶え絶えの風

夏の夜の 振りしく雨の をち方に こもりて響く いかづちの音

夜の雨の 止みゆく音を 数へつゝ 寝覚めも知らぬ しゞまや深き

虫さはに すだくさ庭に さ夜ふけて 雲隠れゆく 月星の空

懐かしき 妹が姿を 夢に見て 覚めてはかくも 恋ひまさりつゝ

窓近く あを向く面の 絶え絶えに 陽に照り映ゆる 道行きの朝

空せみの 世とこそ思へ 現し身の 妹の恋ひしき 止まずてしきる

木漏れくる 光の筒に 音もなく 群れ飛ぶ虫の 映えゆらぎつゝ

歩み来し 長き家路の 尽くるあたり 音もなく陽の 地に沈み行く

夕つ方 雨降りそめて 暇あれや 水漬きて匂ふ 夏日の名残り

うす曇る 夏の名残を 惜しむがに 蝉しぐれ行く 森の哀しき

いにしへの ことたまなれや あや歌の 揺らく羽風と ふりかゝりくる

                          ―――了―――


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の音づれ

2011年10月16日 | 日記
秋になって、久しぶりに歌ができました。蒸し暑さと涼しさが繰り返すある日、遠くで音がして、雨かと思う間もなく、家中がやわらかい、静かな雨音に包み込まれて、浮き上がるようでした。

とおきより あめのおとない たちそめて やがてふせやの ふりこめらるる
遠きより 雨のおとなひ 立ち初めて やがて伏せ屋の 降り籠めらるゝ(麟伍)
(遠くで何かの音がして、雨かと思う間もなく近付いてきて、家中が細かな雨音に包み込まれました)

***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご無沙汰しております

2011年10月12日 | 日記
 しばらく更新せずにおりました。アクセス数をみると、毎日30~40人くらいの方が訪問してくださっています。何人かは、直接知っておりますが、未知の方もおられるようで、「見ぬ友と思はるるかな」という気持ちです。

 更新を怠っておりますのは、2つ理由があります。1つは、ここしばらく、新しい歌が出てこなくなったこと。もう1つは、これまでの歌や雑文をまとめていること。2つはもちろん関連しており、まとめに入ったことで、新しい歌が出てこなくなった、ということでしょう。単行本にする計画を立てておりますが、どこから出るか(出してもらえるか)、未定です。

 なお、単行本の第3部となるべき、和歌のみを並べた『和歌集』を、二週間後をめどに一挙に掲載したいと思います。ご期待ください。本日はこれにて失礼します。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分水嶺となる和漢朗詠集

2011年10月02日 | 日記
 今回は、やや業界向けの年代記的な話をします。『古今集』(一〇世紀頭)の約百年あとに、『和漢朗詠集』(一一世紀頭)が世に出ます。その約二百年あとに、『千載集』(一二世紀末)、『新古今集』(一三世紀頭)が、さらに約百年あとに、『玉葉集』(一四世紀頭)が出ます。二百年を隔てた『和漢朗詠集』と『千載集』を比べてみると、和歌の位置付けに大きな変化が起こっていることがわかります。一一世紀から一二世紀にかけて、平安時代の後半分にあたるこの時期、和歌において、さらには日本の精神史において、深層流の変化が起こっていました。

 ごく大まかな変化を教科書的に言えば、遣唐使の廃止(九世紀末)ののち、輸入貿易的な知性が回路を断たれ、先端的であった「漢才」が停滞し、陳腐化し、地盤低下してきました。ほぼ百年あとに達成された『枕草子』『源氏物語』は、材料も加工もほぼ国産で、これに匹敵する漢才の達成はありませんでした。宗教界では国際的な留学僧であった空海らと違い、留学経験のない僧侶による、ほぼ国産の浄土信仰が唱え始められます。これら、一一世紀頭に登場した女流文学と浄土信仰を分水嶺として、平安後半は、貴族支配の基盤であった荘園制がぐらつきはじめ、武士階級が台頭し、社会不安が末法思想の流行と歩調をそろえ、やがて平家が権力の頂点に立ち、ついには源氏による武家政権が成立していく時代です。

 『和漢朗詠集』の編者、藤原公任は、和漢の学に通じた知識人で、白楽天を中心とする漢詩のサワリの部分を抜粋し、それに日本人の漢詩や和歌を取り合わせて、読み上げや学習に便利なテキストを作りました。漢詩とその翻訳応用を整理した、名歌のアンソロジーです。輸入文学の1つの到達点、そして最後の達成と言ってよいでしょう。

 和歌には、漢詩を下敷き(サブテキスト)にした翻訳も少なくありませんが、ただし漢詩を下敷きにしながら、用いられているのはその一部で、人事と自然の両面が描かれることの多い漢詩から、和歌に採用されたのはほぼ自然描写になるという、かなり一貫した傾向がありました。たとえば、「雪月花」をキーワードとする美意識、「落花」「流水」などのテーマは漢詩に始まりますが、オリジナルの漢詩(絶句や律詩だけでなく、さらに長いものもある)では、それらは交遊や人事の舞台背景となっていました。それが和歌になると、人事が切り離されて、ピンポイントの自然観照になることが多いのです。人事の有無をめぐる漢詩と和歌の連続と断絶は、二つの文学空間の特徴を浮き彫りにします。

 『和漢朗詠集』、『枕草子』、『源氏物語』、この三つがほぼ同時期の成立であることは、示唆的なことです。前時代の最後の達成と、その次の時代の最初の達成は、しばしばこのように相前後して出現するものです。それ以降、一方は衰退してゆき、他方は勢いを増していきます。「漢才」「洋才」と呼ばれる輸入的知性は、自前の生産力がないため、亜流が続くばかりになるのに対して、自生する精神(「有機的知識人」という表現があります)は、上下に根と枝を広げ、多くの実を結ぶ可能性があります。 和歌では、「題」によって詠むものがあります。それらは、漢詩の翻訳や本歌取りといった、故事や名歌の教養、名所や旧跡の知識に基づくステレオタイプなもので、知的遊戯の要素が強いものです。それに対して、リアルな観察、直観、情動から出てくる一人立ちした和歌を目指そうとしたのが、止観を方法とする俊成の、「歌道と仏道は一つ」とする立場です。よく指摘されるように、『万葉集』に目立つ自然人の直情的な歌が、仏教の極限的な現世拒否の洞察を経て、自然や日常の中に超自然や非日常を二重写しにする方法へと、深まりました。自然人においても、超自然を目指す人間においても、知的遊戯は最も無縁なものでした。知的パフォーマンスが価値の基準となる時代から、仏道と表裏する自然描写の深まりが目指され、精神の集中度、緊張度が問われるようになりました。こうして、知的パフォーマンスで満足しない、土壌から細い根を通して養分を吸収するような、張り詰めた歌が出てくるようになりました。それが俊成、定家を経て、為兼で1つの頂点に達しています。



***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする