日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

『歌物語 花の風』決定版(連続掲載)解説

2011年02月28日 | 日記
解説(物語について/感情教育/実作/発表の仕方)


   物語について
 この物語は、ほとんどの物語がそうであるように、作者の恋心から生まれたものですが、「プラトニック」とも言えないほど、現実感の薄い、無名の恋物語になっています。恋する男が自分なのか、恋の対象が一人なのか、二人だったのか、どこの出来事だったのか、すべて曖昧にしました。この物語を読んでくださった方が、人物を誰に置き換えても、場所や時間をどこに置き換えても、違和感はないだろうと思います。
 とはいえ、これは紛れもなく、私が自らの人生で味わった出会いと別れを、自らの歌で綴った、私にとって掛けがえのない物語です。人は同じような恋をする、というのは真実ですが、それでも、誰もが自分で恋をしなければなりません。他人の恋の歌が、まるで自分の気持ちを詠んでいるかのようなとき、それは他人の歌であっても、すでに自分の歌になりかかっています。本歌取りという技法があるのは、ただ機械的な遊びではなく、少し言葉や表現を替えるだけで、その本の歌の世界が新たな生命を得るからです。
この物語にも、そこかしこに、何かの歌の名残が響いているかもしれません。たとえば、「都路を/今は下り来れば/……」という歌は、ある人には、実朝の「箱根路を/わが越え来れば/……」の響きを連想させるかもしれません。じっさい、「都路を/今は下り来れば」という言葉が心に浮かんだとき、私は実朝の歌を連想しました。八〇〇年ほど前の実朝が、いったいどういう気持ちでこの歌を詠んだか、私たちに知る術はありませんが、私は「都路を/今は下り来れば/なつかしき/吾妻の海は/やはらぎにけり」と歌うことで、はじめて実朝の和歌の響きに寄り添うことができました。このように、古人の歌を親しく感じる経験は、同じような歌を詠むことで、頂点に達します。それは、同じような気持ちを持ったということです。
 「妹と我れ/名を呼び交はす/夢のあと/現つに会へば/恥づかしきかな」の歌から、貴方は何を連想されるでしょうか。じつはこの歌の最後の七字を詠んだとき、私が連想したのは和歌ではなく、堀辰雄の小説の「恥かしかった」という一節でした。「かくは嬉しき」という言葉が出てきたときは、夢野久作の短編『あやかしの鼓』を思い出しました。
もちろん、これらはもとになる歌や作品を素材に、技巧的に作ったというのではなく、結果的に本歌取りのようにも聞こえる、というにすぎません。
この物語のすべての歌は、恋心からそのまま生まれたものであり、あるいは恋心が景色に流れ込んで生まれた、いわば恋する者の叙景歌ばかりです。恋心に向き合う人は、その人に許された範囲内で、最も美しく生きています。稀なことですが、もし恋する相手が頂点的な人であって、そして自分がその人にふさわしく成長しようと願った場合、恋心はこの世のものとも思われないほど高みに達して、世界を美化することがあります。この世のものではない美は、この世のいかなる力によっても侵されません。
「侘び茶は心強くなければ保ちがたい」という利休の言葉を借りれば、恋歌はこの世ならず美しくなければなりません。財産や権力によって、華美に装うことはできますし、努力や知識によって、言葉を飾ることはできますが、それは世を超えて美しく生きることとは別のことです。ある古典で、芸術や恋愛で大事なのは、「あで」(華美)なることでもなく、「まめ」(誠実)なることでもなく、ただ「もののあわれ」を知るかどうかにある、と言っているのは、このことです。

   感情教育
 私たちの心は、内外の条件に応じて波がありますので、心境もいわば「山あり谷あり」を免れません。我ながら感心するような、なかなか高雅な作品ができることもありますし、我ながら気恥ずかしい、通俗歌謡のような作品ができることもあります。多くの作品をボツにしたいという気持ちは、一見もっともです。
しかし、一度は和歌の形を取ろうとした気持ちや情景には、最後までこだわって、彫琢を加えることをお勧めします。この『古語短歌物語』にも、流行歌のような言い回しが混ざっていますが、敢えて削除しませんでした。あるいはそれらは、長い時間を経て、推敲していくうちに、原型をとどめないまでに変形することがあるのかもしれません。それでも、最初の歌の断片が残るのは、私たちにはその意味が十分に自覚できないにせよ、なぜか心に残る思い出が、何かの形を取ろうとして、胎動しているのではないでしょうか。
こうして、恥ずかしいほど稚拙な作品が、言葉の組み換えによって様変わりすることがあります。失われかけた瞬間が、少なくとも私にとっては、永遠の情景となるのです。
 個人の歌集を読んでみるとわかりますが、名歌ばかりではありません。まるで散文のような、会話のような、つぶやきのような三十一文字のなかに、突然美しい和歌が立ち上がっています。あるいは、個人の歌集の中にあって埋もれている和歌が、勅撰和歌集に入ると、他との対比で浮かび上がることもあります。つまり、和歌集にも、流す部分と高まる部分があって、流す部分は名歌の背景、あるいは低音部になっています。高品質な背景・低音部なしに、高度な作品は立ち上がることができません。
 このような意味で、和歌を詠む私たちは、感情が形を取ろうとする機会を無駄にせず、それをできるかぎり美しく整えるよう努めるのです。和歌を詠むというこの努力は、生活の一瞬一瞬を少しでも美しく整えようとする姿勢につながります。美しい生活の中の出来事でなければ、美しい歌にならないからです。私たちは、美しい和歌を詠むために美しく生きようとするのか、美しく生きるために美しい和歌を詠もうとするのか、両者を区別できません。
 取るに足りないと思われた一瞬や感情、ふと思い浮かんだ大和言葉が、そのまま失われずに、自分を感動させるところまで、高められること、和歌を詠もうとする姿勢は、こういう感情教育につながります。和歌を詠み続けることで、私たちはいわば自らの感情を教育しているのです。
 読者にとっての効果を言えば、世阿弥が言ったように、全篇が錦織のような難しい文章の所々に、耳慣れた通俗歌謡を織り交ぜることで、幼い魂もその高雅な言葉の森に留まることができます。豊穣な言葉の森に留まっていれば、やがてその魂も美しい歌を詠むことになるでしょう。

   実作
 短歌を詠もうと思った人は、まずどの短歌の会に入ろうか、と考えることが多いようです。基本的にはご縁のあるところに行くしかないのですが、私の個人的な考えとしては、少なくとも一定以上の才能と能力を持った人は、古典を先生として、自ら学ぶことをお勧めします。右も左もわからない場合は、結社に入って、先生や先輩から教えてもらう必要がありますが、そういう方はこのような文章は読まないでしょうし、読んでもわからないでしょう。
私がここで述べていることの意味が多少ともわかるほどの人は、すでに一定以上の才能と能力がある人ですから、ぜひお一人で、古典を先生にして、古典と対話しつつ、短歌を詠んでください。
その場合、すべてを名歌として、宗派の経典のように崇拝する必要はありません。万葉から新古今、近現代の古語短歌を見るうちに、自分が詠む歌と近い感性、姿勢、スタイルをもっている歌人が、おのずと絞られてきます。その歌人と対話をするように、練習をされるとよいでしょう。画家の練習が、名画の模写から始まるのと、同じことです。
歌の推敲も、先人と対話をするようにされれば、同時代の師匠や先輩と対話をし、指導をしてもらうのと、同じことです。文字に書かれた作品を通して、先人と内的な対話ができる人は、すでにそのようにする資格があります。
私事を申して恐縮ですが、かつて『玉葉集』を読んでいて、「この歌は自分の好みに合う」「自分の詠んだ歌と似ている」と思ったものが、いくつかありました。そしてその多くは、京極為兼の歌でした。周知のように為兼は玉葉集の選者であり、私が自分の所属を「玉葉舎」と称しているのは、このような縁からです。生身の師匠や弟子がいるわけではなく、時空を超えた魂の結社だと考えています。同じ魂をもった方は、『玉葉集』を学び舎と思ってください。
もっと具体的なこととして、古語短歌を詠む場合、どの時代の言葉や意味で使うか、という問題があります。語義が変遷していたり、時代によって頻度が違ったり、中世以降、ほとんど使われなくなった言葉もあるからです。また万葉調なのか、新古今調なのか、「ますらおぶり」か、「たおやめぶり」かという、調べ(調性)に関する古い議論も思い出します。
私の個人的な作法としては、日本文化の遺産としての古語や調べは、時代や地域の区別なく、自由に用いたほうが、豊かさを増すと思います。伝統や流派に拘るのは、縄張り争いや組織防衛が、自己目的化したためではないでしょうか。現代人が、奈良時代特有の言葉と、江戸時代特有の言葉を混ぜて用いて、ある美しい作品ができたとすれば、その作品の勝利です。
言葉や調べは、和歌を詠むという一連の成り行きの結果であって、あらかじめ指定された目的のための道具ではありません。古語辞典を参考に、種々の用例を参考にしながら、自らの作品の出来高によって、また自分がその短歌を詠むことでどれほど高められるかによって、判断基準としてください。
和歌は、自分の心からあふれてくる思いを、自分の大切な思い出として形作る、誰の邪魔にもならない、言葉とイメージの記念碑です。美しい無形の記念碑を作るために、不必要な制約は少ないほうがよいのです。
なお、現代語を用いた短歌については、あえてコメントすることは避けたいと思います。それは別のジャンルであり、私の古い美意識では鑑賞できないからです。


   発表の仕方
 短歌を詠んだあと、歌集として発表されることを希望される方が多いのですが、私は物語形式の中に、歌を綴ることをお勧めします。理由は次のとおりです。
 俳句と短歌に対して、かつて「第二芸術論」という批判が出されたことがあります。批判者はフランス文学者の桑原武夫京都大学教授(当時)でしたが、趣旨としては、こういう短詩形式は、状況説明の補足なしに、そのものとしては十分な文学鑑賞に堪えない、というものでした。有名な短歌や俳句は、すでに多くの解説や紹介があって、そのおかげでわれわれも背景がわかって深く鑑賞できるわけですから、この批判は当たっているところもあります。
 反論としては、解釈が自由で鑑賞の幅が広いのが、短歌や俳句の長所であるとか、あるいは歌枕や季語、本歌取りなどの技法を知っていれば鑑賞できる、むしろそのような基礎知識を要するのが短歌や俳句の特徴だ、知識のない者が鑑賞できないのは当然だ、というものもありました。この反論も、一理あります。
 俳句が現在世界的に受容されているのは、周知の通りですが、短歌は外国人が理解するには難しすぎるところがあります。この意味で、俳句が「第二芸術」であることが流行の条件であった、と皮肉が言えるのかもしれません。ただし、作者の意図に沿った鑑賞をしようとすると、作者の生き方や考え方を探る必要があり、それは俳句の鑑賞においても、必ず起こってくる不可欠の作業です。
 したがって、俳句や短歌を、作者の意図に沿って鑑賞してもらうには、状況説明があるべきだろうと思います。和歌の伝統にある「詞書(ことばがき)」は、長短いずれも状況を説明するものでした。このような詞書をもった短歌をつなげたのが、『伊勢物語』にはじまる歌物語にほかなりません。芭蕉の『奥の細道』も、そのスタイルを踏襲したものです。
 自分が詠んだ歌を、まずは自分の意図に沿って受け取ってもらうのが、作者の第一の願いではないでしょうか。私たち歌詠みは、自分の人生から生まれた歌を、自分の外的なあるいは内的な歩みの記念碑として位置付けています。したがってそれは、必ずや一続きの物語になるはずです。人生の中に埋め込まれることで、自分にとっての意味が定まります。
万一、それが多くの人に鑑賞されるようになり、のちに本文から独立した歌となって流通すれば、作者の手を離れた共有財産になったということです。匿名の作品が万人のものとなること、これは創作者の最も大きな望みでしょう。
 なお、最も具体的な問題、つまり発表の媒体としては、伝統的な出版形式のほかに、私がここでやっているような、インターネット上の発表もお勧めします。最大の理由は、コストがほぼゼロということです。

*   *   *

どうぞあなたも古語短歌を詠んで、日本語が母語であることの喜びを味わい得る人になってください。時空を超えた不可視の結社「玉葉舎」に、もののあわれを知る魂たちがゆるやかに集い、そこかしこで折々に詠まれる古語短歌が、大和言葉の美しさ、大和心の美しさを、末永く伝える一助となりますよう、心から願っています。

                               日守 麟伍 (玉葉舎)

                              GOOブログ「日守麟伍の古語短歌茶話」版
2011年2月28日刊
Ⓒ2011 Ringo HIMORI

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『歌物語 花の風』決定版(連続掲載)6章

2011年02月28日 | 日記
六の巻、結び

男は今、鬱蒼とした樹木に囲まれた森の中か、あるいは分厚いガラスに囲まれた温室のような、生活音の届かない空間の中で、物言わぬ女の面影を心に抱いて、暮らしていた。

かれてより いかにかすぐし たもうらん みるものごとに とわまくおもう
離れてより 如何にか過ぐし たまふらむ 見る物ごとに 問はまく思ふ
(お別れしてから、何かを見るにつけて、あなたはどこでどうしておられるかと、お聞きしたい思いです)

外の世界は、物事も人々も、歌に詠まれてこの静謐な空間に入るのを待っているだけの、気遠いものになっていた。

ながあめの やみたるもりの ゆうばえて たかえだのおれ おちしずむおと
長雨の 止みたる森の 夕映えて 高枝の折れ 落ち沈む音
(長い雨が止んだ夕方、夕映えが梢の網から噴出すような森の中を歩いているとき、上の方で乾いた音がして、ふと見上げると、先端の大きな枝が折れて、下の枝にからまりながら、落ちていきました)

 車で移動しているとき、真っ青な空を背景に、夕日に映えた紅葉が、突然目に入ってきた。

いりのひに もみじのおかの てりはえて まさおきそらわ くるるともなし
西の陽に 紅葉の丘の 照り映へて 真青き空は 暮るゝともなし
(西の空に傾いた太陽が、小高い丘の紅葉の木立を照らし、真っ青な空を背景に、燃えるような赤色が浮き上がって、日暮れまではまだ間がありそうです)

 山道を移動する車から、絶壁の下の湖が、絵の具を溶かしたように濁って、静まり返っているのが見えた。心の中の女と一緒に見るような気持ちで、男は外の景色を見ていた。

あわゆきの しろきみどりに にごりたる みやまのうみの おものしずけさ
淡雪の 白き碧に 濁りたる 深山の湖の 面の静けさ
(山には淡雪が降り、雪景色を映した湖面は、緑色が乳白色に濁って、音もなく静まり返っていました)

そらにみつ とおきものおと かつきこゆ こごりしきぎの えだをふるいて
空に満つ 遠き物音 かつ聞こゆ 凝りし木々の 枝を振るひて
(晴れた空に聞こえる遠い物音が、強くなったり弱くなったりして、落葉した木々の枝は、寒い風に震えているようでもあり、音に震えているようにも見えました)

 正月に大雪になり、町の交通が麻痺した。

はつはるの ふりしくゆきを よそおいて はなのさかりと たちなめるきぎ
初春の 降り重く雪を 装ひて 花の盛りと 立ち並める木々
(初春に思いがけず大雪になり、並木の枝も雪をまとって、花盛りのように見えています)

めじのかぎり ふりしくゆきに まぎらいて かつたえだえに かぜふきわたる
目路の限り 降り重く雪に 紛らひて かつ絶え絶えに 風吹き渡る
(降り続く大雪が、ときどき吹きすぎる風に巻かれて、一面の雪景色になっています)

 春が近づき、暖かさと寒さが繰り返していた。

おおかぜの はるまだきのを ふきてやまず すさまじきおと そらにみちみつ
大風の 春まだき野を 吹きて止まず 凄まじき音 空に満ち満つ
(早春の野を大風が吹いて、そのすさまじい風音が空に満ち満ちています)

おおかわの ぬるむみなもに かぜなぎて ほとけのごとき はるひのゆらぎ
大川の 温む水面に 風凪ぎて 仏の如き 春日の揺らぎ
(よく晴れて風もなく、暖かくなった春の昼下がり、大きな川の水面が、仏像のような黄金色にゆらいでいます)

 男は仕事で、めずらしく長い距離を移動することになった。

空気が湿り気を帯びた夜明け時、幹線沿いの町並みは、夢の中のようだった。

あさぎりに ものみなうかび にじみつつ あけそむるひに あわくとけゆく
朝霧に もの皆浮かび 滲みつゝ 明け初むる陽に 淡く融けゆく
(朝霧の中に、建物も木立も浮かんで見え、川も空も滲んで見えているのが、朝日が強くなってくると、淡雪のように融けて、しだいに輪郭がはっきりしてきます)

 バスが大きな公園を通り抜けると、木々の影が車窓に点滅した。

ちにそいて こだちをもるる あさのひの しろきはだえに うきてかげろう
地に添ひて 木立を漏るゝ 朝の陽の 白き肌に 浮きて影ろふ
(昇る朝日が、地面に平行に差し込み、木立を漏れてきて、白い肌の上に、陽炎のようにゆらゆらと浮いています)

 夜遅く帰宅した翌日、男は、昼過ぎまで寝て過ごした。人気のない昼下がり、男は近くの雑木林の中で、長い時間を過ごした。

ききいれば ながなくとりの こえやみて かれしくさはに あまおとのしく
聴きゐれば 長鳴く鳥の 声止みて 枯れし草葉に 雨音の布く
(耳をすまして聞き入っていると、鳴き交わす鳥の長い鳴き声が止んで、しばらくすると、枯れ草と枯葉の上に、一面の雨音がしずかに落ちはじめました)

したくさに ちりしくあめの おとやみて いさこうごとき とりなきかわす
下草に 散り布く雨の 音止みて 諍ふ如き 鳥鳴き交はす
(木立の下草に降り布いていた雨音が止んで、鳥が争っているように、やかましく鳴き始めました)

はるのあめわ もりのしずくと しただりて しずまるなかに とりなきわたる
春の雨は 森の雫と 下垂りて 静まる中に 鳥鳴き渡る
(春の雨が樹冠のまばらな森に降ってきて、ところどころで雫になって滴り、静かな音をたてる中に、鳥が一声長く鳴いて、飛んでいきました)

 雑木林を出ると、空を大きな雲が覆っていた。

うすずみの くもをこがねに ふちどりて あまてらすひの かげのみぞみる
薄墨の 雲を黄金に 縁どりて 天照らす陽の 影のみぞ見る
(大きな雲に覆い隠された太陽が、薄墨色の縁を黄金色に縁取って、仏像の光背のように輝いています)

この不思議に美しい時の過ぎ去ることが名残惜しく、男はたびたび足を止めて、周囲の花々や木々を見渡した。

とりなきて かぜしずかなる はるのひに ゆきこうひとの あしおともなく
鳥鳴きて 風静かなる 春の日に 道行く人の 足音もなく
(風が吹くともなく、日差しの暖かい春の昼下がり、近くで突然鳥の一声がした。耳をすましていると、少し離れた道を人が歩いていき、その足音はここまで聞こえてきません)

しろくあかく みなれしみちに さくはなの いろとりどりに かくわうれしき
白く赤く 見慣れし道に 咲く花の 色とりどりに かくは嬉しき
(白や赤や、さまざまな色の花があちこちに咲いて、見慣れた道がこんなにも華やいで、なんと嬉しいことでしょうか)

*   *   *

それから数年が過ぎたある日、女から長い便りが届いた。
この一年は精神的に辛い生活を送ったこと、仕事を辞めたこと、救いのない日々に一人の男性と出会い、理解し合って、結ばれたこと、近々自分の誕生日に入籍する予定であること、などが書かれていた。

読み終わったとき、男の心は大風の吹き荒れたあとのように、静かになっていた。

男は女に短いお祝いを書き送り、尽きせぬ思いをこめて、「次の世でまたお会いできますように」とだけ書き添えた。「その時は、お互いにそれと気づきますように」という言葉は、書いては消し、消してはまた書いているうち、最後はどうしたのだったか、忘れてしまった。

さようなら、この人生では結ばれることのなかった、運命の人。

なにをかも はなむけにせん よのなごり いでたついもを わすれがたみに
何をかも はなむけにせむ 世の名残り 出で発つ妹を 忘れ形見に
(花の季節に旅立つあなたへ、何を餞別にお送りしたらよいのでしょうか。私はなつかしいあなたの面影を、忘れることのできない形見にして、ずっと持っています)

のちのよも せめてあわんと ねがいたる おもいをいもや いかにききつる
のちの世も せめて会はむと 願ひたる 思ひを妹や 如何に聞きつる
(今度生まれ変わった世でも、せめてまた会いたいという私の思いを、あなたはどのように聞いたのですか?)


                           ―了―

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『歌物語 花の風』決定版(連続掲載)5章

2011年02月28日 | 日記
五の巻、憂い

一夜が明け、目覚めてすぐなのに、心臓の鼓動が起きているときのように強く、一晩中神経が休まっていなかったのがわかった。

めざむれば まずいもがへぞ おもわるる ゆめのおとずれ たえてひさしきに
目覚むれば まず妹が辺ぞ 思はるゝ 夢の訪れ 絶えて久しきに
(あなたが夢に出てくることは、ずいぶん前からなくなりましたが、今でも目覚めると、まずあなたのことが思い出されます)

男は取り返しがつかないという気持ちと、何かをせずにはいられないという気持ちを数日もてあました。この世ではもう会うことはないかもしれないと思うと、それ以上は何も考えられなくなった。

気がつくと、男は女のことばかり考えていた。

よきものわ いもにつげんと おもわるる またおうことの ありとおもわなくに
佳きものは 妹に告げむと 思はるゝ また会ふことの ありと思はなくに
(よいものを見聞きすると、「こんなものがありましたよ」とあなたに告げたい気がします。また会うことがあろうとは、思っていないのですが)

いもさりて けながくなれど おもかげの うつつごころに うかびてやまず
妹去りて 日長くなれど 面影の 現つ心に 浮かびて止まず 
(あなたがいなくなってから、ずいぶん日が経ちますが、いつまでも、目覚めていながらあなたの面影が思い出されてなりません)

 男はかつて、幻影の中で、そのような人とこのような出会いをすると聞かされたことがあった。「まさか」と思っていたことが、その通りに起こった。

のちのよと つげらえしこと みなはてぬ きょうよりのちわ こころのままに
後の世と 告げらえしこと みな果てぬ けふよりのちは 心のまゝに
(「いつかこうなる」と告げられていたことが、みなその通りになりました。今日からは、あなたに惹かれる思いのままに、地図のない世界を生きていこうと思います)

 初夏になり、草木に覆われた地表では、風が生き物のように動いていた。

まくかぜに うればのゆらぎ においたつ たおりていもが かたみとやせん
巻く風に 末葉の揺らぎ 匂ひ立つ 手折りて妹が 形見とやせむ
(巻き上がった風が木の葉をゆらがせ、草のいい匂いがしました。枝を手折って、あなたを思い出すよすがに、持ち帰りましょう)

 夏の風は、愛しい人の息のように、暖かく湿り気を帯びていた。

かぐわしき といきのごとき なつのかぜ こころにおもき つゆをふふみて
芳しき 吐息の如き 夏の風 心に重き 露を含みて
(あなたの息のようによい香りのする夏の風は、湿り気が多く、心に憂いを含んだように、重く流れています)

 男は、わざと暑い盛りに外に出ては、木立の中で蝉しぐれの声を聞いて、長い時間を過ごした。

よのうれい ひとのうれいも なくせみの いまをかぎりと ねをのみぞきく
世の憂ひ 人の憂ひも 鳴く蝉の 今を限りと 音をのみぞ聴く
(世には多くの憂いがあり、人にも多くの憂いがあります。蝉はそんな憂いは何もないかのようにひたむきに鳴き、私はその蝉の音をひたむきに聴いています)

 秋になり、暑さで膨らんでいた大気が冷えてしぼみ、音が遠くで聞こえるようになり、男も急に老化したかのようだった。

おいぬれば のちのよばかり たのみつつ のこりしひびの うきをたえなん
老いぬれば のちの世ばかり 頼みつゝ 残りし日々の 憂きを堪えなむ
(年をとったので、あとは後の世のことを楽しみにして、残された辛い日々に堪えようと思います)

こいわびて やるせなきみの くるしさの やむべきときを まつぞくるおしき
恋ひ侘びて 遣る瀬無き身の 苦しさの 止むべきときを 待つぞ狂ほしき
(あなたを恋わびて、やるせない思いでいます。この苦しさがいつ止むのかと待っている時間はたまらなく辛いものです)

のちのよわ いかなるときに おうべくも せめてあわまく ほしきいもかも
後の世は 如何なる時に 会ふべくも せめて会はまく ほしき妹かも
(生まれ変わった次の世が、どのような世界でも、どのような時代でも、せめてあなたに会いたいものです)

いにしえも かくはありけん こんよにも かくてあるらん ひとこうるみわ
古へも かくはありけむ 来む世にも かくてあるらむ 人恋ふる身は
(人を恋する人間は、昔もこのように苦しく、後の世もこのように苦しいのでしょうか)

これもかも すぎゆくことと まちおれど ときのあゆみぞ かくすすまざる
これもかも 過ぎゆくことゝ 待ちをれど 時の歩みぞ かく進まざる
(なにもかも過ぎ行くことだと思っていますが、過ぎ去るのをこうして待っていると、時間の進みは何と遅いことでしょう)

すぎはてて おもいいずべき ひをまたん このこいわただ うつくしければ
過ぎ果てゝ 思ひ出づべき 日を待たむ この恋はたゞ 美しければ 
(なにもかもが過ぎ去って、思い出となる日を待ちましょう。美しいあたなを思うこの恋は、ほんとうに美しいのですから)

 男は時折、女に似た人を見てはっとすることがあった。

まれにみる いもがにすがたに めをとめて みしらぬひとに はしきなをよぶ
稀に見る 妹が似姿に 目を留めて 見知らぬ人に 愛しき名を呼ぶ
(ときおりあなたに似た人を見かけて、別人だとわかっても、あなたのいとしい名前を口ずさまずにはいられません)

その後の男の単調な人生は、遠ざかったり近づいたりする女の面影に向って、歌を詠むことだけが、折々の密かな祝祭になった。

さざなみの あとよりおそう おおなみに こころおどろき ひきしおをおう
さゞ波の あとより襲ふ 大波に 心驚き 引き潮を追ふ
(寄せては返すさざ波のあとから、大きな波が打ち寄せて、はっとした私は、その引き潮を目で追いました)

男は遠く離れた女に語りかけるように、一つ一つの歌を詠んだ。

おおはまの ながきみぎわに うちよする しきなみのおと いもときかなくに
大浜の 長き汀に 打ち寄する 頻波の音 妹と聞かなくに
(大きな砂浜の長い汀に、波がしきりに打ち寄せています。波が泡立つ快い音は、いつまでも途切れることはありませんが、この音をあなたといっしょに聞けたらどんなに喜ばしいでしょう)

おおはまの みぎわをわたる みずとりの さうにゆきかい ねをなきかわす
大浜の 汀を渡る 水鳥の 左右に行き交ひ 音を鳴き交はす
(大きな砂浜の汀を、水鳥があちこち飛び交い、鳴き交わしていますが、離れたり近づいたりする様子が、胸に迫ります)

おおはまの なみのまにまに うきしずむ にわのみずとり みえずなりにき
大浜の 波の間に間に 浮き沈む 二羽の水鳥 見えずなりにき
(大きな砂浜の、波間を飛び交って、浮き沈みして見えていた二羽の水鳥が、どこへいったのか、見えなくなりました)

この世の苦しさも惨めさも、つまらない景色もありふれた出来事も、歌の中では美しい形や動きとなって残った。

古今のなつかしい歌と、愛しい女の面影が、男の周りにいつも漂っていた。

あまおとの かくなつかしき ゆえしれず むなさわぎする きぎのうればに
雨音の かく懐かしき 故知れず 胸騒ぎする 木々の末葉に
(雨の音が、こんなに懐かしいのは、なぜでしょうか。木々の梢葉をみると、胸騒ぎがしてなりません)

あまおとに このはさやげる なにごとの かくなつかしき しるすべもなく
雨音に 木の葉さやげる 何事の かく懐かしき 知る術もなく
(雨の音に木の葉がざわめいています。何がこんなに懐かしいのか、知るすべもありません)

なおやまぬ しぐれぞかくわ なつかしき ふりにしよよの あとをたどりつ
なほ止まぬ 時雨ぞかくは 懐かしき 経りにし世々の 跡を辿りつ
(いつまでも降り止まない時雨が、このように懐かしいのはなぜか、過ぎ去った昔のことを、ひとつひとつ思い出してみましょう)

ふりやまぬ しぐれにぬるる こずえばの しずくとゆらぐ よよのさびしさ
降り止まぬ 時雨に濡るゝ 梢葉の 雫と揺らぐ 世々の寂しさ
(降り止まない時雨に、濡れた木々の梢葉から雨の雫が滴っています。ゆらめく雫が、過ぎ去った時代の、慰めようのない寂しさのようです)

さきつよの ことさまざまに おもいやる よよのうれいわ おくかもしらず
前つ世の こと様々に 思ひやる 夜々の憂ひは おくかも知らず
(昔のことをさまざまに思っても、どのようなことがあったのか思い出せないことばかりで、取り返しのつかない苦しみだけが果てしなく続きます)

めざむれば ゆめもうつつも へだてなき わがみひとつの おもいにぞある
目覚むれば 夢も現も 隔てなき 我が身一つの 思ひにぞある
(私は目覚めているときも、夢の中でもほとんど違いがなく、思うことにも変わりはなくなり、いつも同じことを考えています)

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『歌物語 花の風』決定版(連続掲載)4章

2011年02月28日 | 日記
四の巻、別れ

 淡い粉雪が降っていた。

いもまてば ちりおくれたる はるのゆき まようこころを しりてふるらん
妹待てば 散り遅れたる 春の雪 迷ふ心を 知りて降るらむ
(あなたが来てくれるのを待っていると、季節はずれの春の雪が、私の心の迷いを知っているかのように、迷いながら降っています)

いもこいて わがまちおれば はるのゆきや ちりおしみつつ やみがてにふる
妹恋ひて 我が待ちをれば 春の雪や 散り惜しみつゝ 止みがてに降る
(あなたが来るのではないかと、恋しく待ちわびながら過ごしていると、春の雪は降りきってしまうのが惜しいかのように、降っては止み、降っては止みして、いつまでも降り止みません)

うめさきて さくらまちいる あおぞらに こしかたみえぬ ゆきまいちろう
梅咲きて 桜待ちゐる 青空に 来し方見えぬ 雪舞ひ散らふ
(あなたを恋しく思っていると、梅が咲いて、桜が待たれるこの季節、青空から春の雪が、こぼれるように降ってきました)

 桜の季節、女が去っていく日は、もう間もなくだった。建物の前の木陰に、女は誰かを待っているのか、しばらく立っていた。汗ばむほど暖かい中を、涼しい風が吹いていた。

かぜたちて このはさやげる したかげに いもたたずみて なにおもうらん
風立ちて 木の葉さやげる 下陰に 妹佇みて 何思ふらむ
(風が起こって、木の葉がざわめきます。その下に佇むあなたは、何の物思いにふけっているのですか)

 女は迎えに来た車に乗って、門から出ていった。車の音が遠ざかると、木立ちを吹きすぎる風の音が膨らんで、建物に囲まれた庭に充満した。

このにわに ふきゆくかぜも さくはなも さちにみてるわ いもありてこそ
この庭に 吹きゆく風も 咲く花も 幸に満てるは 妹ありてこそ
(庭を吹く風も、庭に咲く花も、このように幸せに満ちているのは、あなたがいらっしゃるからです)

帰り道、男はいつもより遠回りをして帰った。女の面影が、遠くの山並みに重なったり、道路沿いの家並みに重なったりした。

みねみつつ いもがかよいし さかみちの あとをしのびて ひとひあゆめり
峰見つゝ 妹が通ひし 坂道の 跡を偲びて 一日歩めり
(あなたが通った、向こうに山のみえる長い坂道を、今日あなたのことを思い出しながら、歩きました)

 女が去っていく前日は、取り返しのつかない思いがいつになく募って、男は落ち着かなかった。
 ベランダから平地をはさんで見る向かいの山は、深緑のところどころに薄色の花が群れ咲いて、脱色したようになっていた。

たかどのに まむこうおかの にきはだの みどりにはなや さきてまぎるる
高殿に 真向かふ丘の 和膚の 緑に花や 咲きて紛るゝ
(高台の高い建物から、あなたを生んだこの土地の丘を見渡すと、木々の緑のそこかしこに赤や白がうっすらと混ざっているのは、何の花が咲いているのでしょうか)

 女は仕事の片付けや挨拶で、忙しそうに動いていた。庭の噴水の前の円形の階段で、男は女と行き会った。男と女は会釈をしただけで、立ち止まりもしなかった。

いざやいも みてをこなたに たまえかし かのきざはしに なみていこわん
いざや妹 御手を此方に たまへかし かの階に 並みて憩はむ
(どうぞ、こちらに手を差し出してください。あの階段に、私とあなたと並んで休みませんか)

いつのよか なみていこわん わがいもわ いまはいずくと いでたたすらん
いつの世か 並みて憩はむ 我が妹は 今は何処と 出で立たすらむ
(いつの世にか、二人並んで休むことでしょうが、あなたは今、どこへ旅立って行こうとするのですか)

 すれ違った女のあとから、薄い化粧の匂いを含んだ風が、染み透るように吹き寄せてきた。

いもがてに いもがうなじに くろかみに はるめくきょうの かぜふきすぎて
妹が手に 妹が項に 黒髪に 春めく今日の 風吹き過ぎて
(あなたの手や、うなじや、黒髪を、今日になって春めいてきた風が吹いて、さわやかに通り過ぎていきます)

 日向の匂いと日陰の匂い、花の匂いと草の匂い、水の匂いと土の匂いが、生命の華やぎとなって、あたりに満ちていた。

このはるも さくらはなさき わかばふき いもがゆくえを さきおうごとく
この春も 桜花咲き 若葉吹き 妹が行く方を 幸ふ如く
(いつものようにこの春も、桜が花咲き、若葉が芽吹いていますが、それもこれも、あなたの行く先を祝福するかのようです)

暖かく晴れた春のある日、女は去って行った。女の暇乞いの挨拶は、ことのほか丁寧なものだった。置いていった小さな贈り物の中に、短い言葉が書かれていた。男は机の上を片付けてから、女に別れの便りを書いた。

「新たな出で立ちに、幸いを祈ります。
 あなたが帰ったあとの、いつもどおり閑散とした部屋で書いていますが、いつにない虚脱感と、安堵感が交錯します。長い一年でした。
 あらかじめ送るご許可を頂いていた歌を、送らせて頂きます。餞別というよりは、私の片恋歌になっていて、迷惑かもしれませんが、あなたのおかげで、これまで入れなかった世界に踏み込んで、どうにか詠むことのできた歌です。
いつ詠んだものか、わかるものがありますか? 
万一胸に響くものがあったら返歌をください。捧げ歌に値する人と相聞が詠めれば幸せなのですが。死を前に、平家の公達が和歌を後世に託した思いが、私にもわかるような気がします。……」

女からの返事は来ないまま、日々が過ぎた。

数ヶ月後、思いが薄れたころになって、女からの便りで、用事の序に近く立ち寄りたいという知らせがあった。男は胸が騒いだ。

当日、久しぶりに会った女は、笑顔と思いつめた様子を交互にみせて、気高さを増していた。男は当惑した。

女が語る話を聞くと、「普通の人には、この人の考えていることの意味は、よくわからないだろうな」と思われる内容だった。男には、女の求めているものが何か、よく理解できた。それは男の求めているものの一部と、同じものだったからだ。

われよりも いもをしるべき ひとやある さだめのときに いまわあらざるか
我れよりも 妹を知るべき 人やある 定めの時に 今はあらざるか
(私よりも、あなたの価値をわかる人がいるとは思えないほど、あなたは稀有の魂の人です。あなたの価値と、それを知る人間がここにいることに、あなたはまだ気づかないのですか)

このみちわ ひとりゆくべき かたにあらず いかにさだめの ときをまちてん
この道は 一人行くべき 方にあらず 如何に定めの 時を待ちてむ
(私とあなたのような人生は、誰もが行ける道ではありませんし、私とあなたも、それぞれが一人で行ける道でもありません。この稀有な道を行くために、二人の準備が整う時を、いつまでも待とうと思います)

 職場の同僚が出入りしていて、それ以上の話を聞く勇気がなく、男は半ば世間話に紛らわせた。しばらくして、女は「他の方にも挨拶をしてから帰ります」と言い残して、部屋を出ていった。

のちのよも せめてあわんと ねがいしに きょういもをみる かくくるおしき
のちの世も せめて会はむと 願ひしに けふ妹を見る かく狂ほしき
(今度生まれ変わった世でも、せめてまた会いたいと願っていましたが、今日あなたとお会いして、このように狂おしく、心乱れます)
 
男はこの女が定めの人だとわかったが、若い女はこの縁がどれほどのものか、まだわからなかった。

女が部屋を出て行くときの、見たことのない弱々しい後ろ姿と、消え入るような最後の言葉が、何度も浮かんできて、男はたまらなく辛かった。

ながきよを ひとりあゆみて ゆくいもの こころぼそさの ゆめにうかびて
長き世を 一人歩みて 行く妹の 心細さの 夢に浮かびて
(あなたが長い人生を一人歩いていく後姿が、繰り返し目に浮かび、見たことのない心細い様子に、結ばれるべきなのに、何もしてあげられないことの悲しさで、胸がしめつけられるようです)

帰路、男は車中でも興奮がおさまらないまま、こんな稀有な人に出会えたことだけでも、いつか幸せに思う時がくるだろうかと、自分に何度も問いかけた。

ひびをへて あいみるいもが おもざしに あくがれいずる たまとどめえず
日々を経て 相見る妹が 面ざしに 憧れ出づる 魂留め得ず
(こうして久しぶりにお会いして、あなたのお顔を見ると、あなたにあこがれる思いを、とどめることができません)

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『歌物語 花の風』決定版(連続掲載)3章

2011年02月28日 | 日記
三の巻、行き違い

 女と会ってから一年が過ぎ、男の波立った生活は、また起伏の小さな日常になってきた。

まちつづけ いまあいえたる いもなれば そうもそわぬも いかになるとも
待ち続け いま会ひ得たる 妹なれば 添ふも添はぬも 如何になるとも
(待ち続けて、今こうしてあなたに会うことができました。ともに生きることになろうとなるまいと、もうどちらでもよいことです)

よしわれら みわおちこちに へだつとも たまおうさちを かさねゆかまし
よし我れら 身は遠近に 隔つとも 霊合ふ幸を 重ね行かまし
(私たちはこの人生を別々に生きることになるかもしれませんが、魂の世界で会う喜びを重ねていきましょう)

こぞよりわ いずちゆけども うらぐわし いもがかたみを いだきてあれば
去年よりは いづち行けども うら細し 妹が形見を 抱きてあれば
(去年あなたと会ったときから、どこにいってもそこが美しく見えます。あなたの面影が心に宿っているからです)

偶然にというより、何か仕掛けがしてあるかのように、男と女は路上でも行き違うことがあった。

あくがるる こころかたみに たまおうわ さだめなるべし なりゆくままに
憧るゝ 心互に 魂合ふは 定めなるべし 成り行くまゝに
(お互いに魂があこがれ出て、どこかで出会うのは、定めにちがいありません。どのようにでも成り行きにまかせましょう)

 ある日、男が所用で都会の神社に行くと、女も偶然お参りに来ていた。肌寒い小雨の中、側廊から見る女の俯いた横顔は、日陰に浮かび上がって、人形のように見えた。

おおかみを まつるやしろの おんまえに いもぬかずきて なにいのるらん
大神を 祀る社の 御前に 妹額づきて 何祈るらむ
(神様を祀るこのお社のご神前に、しばらく頭を垂れて、あなたは何を祈っていらっしゃるのですか)
 
女が祈り終わるまで、男は待っていた。男が見ているのに気づいた女は、すこし驚いた様子をみせて、歩み寄ってきた。「思いがけないところでお会いしました」という意味の挨拶のあと、女は「友人と約束があって、その序にお参りに寄りました」と言って立ち去った。

あめのひを えりてあわなん みやこなる かみのやしろに ふそうわれらわ
雨の日を 選りて会はなむ 都なる 神の社に 相応ふわれ等は
(都にあるこの神様の社に、私たち二人が静かにお参りするのは、似つかわしいことです。いつかまた、このようにしめやかな雨の日を選んで、お会いしましょう)

 この由緒ある神社には、神馬が巡行する神事があり、男はそれを一度見たことがあった。美しい白馬は、綱や布や鈴で飾られ、早く遅く走るたびに、鈴の音が響き渡り、聞き入っていると、耳を聾するほどに聞こえた。

あおうまの かみのみまえに かけめぐる むながいのすず もりにひびきて
白馬の 神の御前に 駆け巡る 繋の鈴 杜に響きて
(この神のお社は、白馬が駆けめぐるお祭りがありますが、その胸につけた鈴の音が、今も杜に響いているようです。あなたには聞こえませんか)

 思いがけず、女の美しい祈る姿を見て、男は神社にいながら、女のことで頭がいっぱいになっていた。

ついにゆく かみのみくにわ またるれど いもとかたろう ときすぎがたし
終に行く 神の御国は 待たるれど 妹と語らふ 時過ぎがたし
(人はこの世を去ると、神様の国に帰ると聞いています。そこへ行く日も待ち遠しいのですが、あなたと語り合っているこの時間は、いつまでも終らないでほしい思いです)

男は女の後姿を見送ったあと、女の言葉と様子を思い返しながら、雨の降り止まない長い参道を歩いた。

ふるあめに しとどものこそ おもわるれ ひとのこいしき はれもやらずて
降る雨に しとゞものこそ 思はるれ 人の恋しき 晴れもやらずて
(降り続く雨にも、あなたのことが思われてなりません。あなたへの恋しさは晴れることがありません)

 彼岸に入り、所々の家では法事の様子が見られるようになった。男は習慣的で形式的な行事とは別に、また誰かれのためというより、すべての生者と死者の平安のために、一人で祈ることが多かった。

くりかえす ひとのいのちの かなしさに きょうのひとひを ふかくこもろう
繰り返す 人の命の 愛しさに 今日の一日を 深く籠らふ
(人の命は繰り返されることを思えば、あれこれが愛おしく、今日という日を深い物思いで過ごしています)

なつかしき いにしえびとを おもいつつ みたままつりて ひとりこもろう
懐かしき 古へ人を 思ひつゝ み魂祀りて 一人籠らふ
(なつかしいかつての思い人を偲んで、一人しずかに部屋にこもって、死者の冥福を祈っています)

もろかみの まもりぞせつに いのらるる ひとよのさちを いおうこのひも
諸神の 守りぞ切に 祈らるゝ 人世の幸を 斎ふこの日も
(世の人々の幸せを祈るこの日も、神々の守り導きが、心から願われます)

 祈りの中で思い浮かべる女の姿は、この世のものとも思われない気高さを帯びていた。

かみまつり いみきよまりて わがいのる ひとよのさちと いもがまさちを
神祀り 斎み浄まりて 我が祈る 人世の幸と 妹が真幸を
(心身を清めて神の御前に参り、私は世の人々の幸とあなたの幸を祈ります)

 その頃、ある知人の法事の手伝いで、男は女と一緒に机に座っていた。
芝居のような儀式や、騒がしい参列者の中で、女は白い花のように静まり返っていた。

かくりよと うつしのよみち かようとき みたままつりて むつみあわなん
幽り世と 現し世の路 通ふとき み魂祀りて 睦み合はなむ
(あの世とこの世が通いあう時、霊の喜びと悲しみを知る私たちが、親しく寄り添って、先人の霊を祀りましょう)

 真新しい本堂の向こうには、桜の木立ち越しに、古い墓地が広がっていた。

たちなめる いわやにそそぐ はなのかぜ ゆめのなごりを とむろうごとく
立ち並める 石家に注ぐ 花の風 夢の名残りを 弔ふ如く
(死者の見果てぬ夢を、まるで貴方が静かになぐさめるかのように、音もない風が花びらを散らして、立ち並んだ墓石に降り注いでいます)

にびいろに せめておんみを つつまばや えもかくさえぬ はなにしあれど
鈍色に せめて御身を 包まばや えも隠さえぬ 華にしあれど
(せめて服装だけでも地味な色で、今日のあなたを包ませてください。持って生まれたその華やぎは、隠すことができませんけれども)

 法事が終わり、女は先に帰っていった。

かのひとも ひとりいえじを たどりけり いきかうひとの なみにまぎれて
かの人も 一人家路を 辿りけり 行き交ふ人の 波に紛れて
(あなたが人ごみのなかに紛れて、一人家へと帰っていく様子を、道順にそってずっと想像しています)

 日が落ちようとするころ、男は駅までの道を辿りながら、女の横顔を思い浮かべていた。

ゆうばえの はつるかなたに あくがるる くれゆくそらの まなかにありて
夕映への 果つる彼方に 憧るゝ 暮れ行く空の 真中にありて
(もうすぐ暮れようとする夕空の真下を歩きながら、夕映えの向こうにある永遠の世界に、魂があこがれ出る思いでいます)

これもかも いもゆえにこそ かなしけれ めにみゆるもの てにふるるもの
これもかも 妹ゆえにこそ 愛しけれ 目に見ゆるもの 手に触るゝもの
(あれもこれも、目にみえ、耳に聞こえるものはすべて、あなたがいるからこそ、愛おしく思われます)

 早く目覚めたある休日、男は広い河川敷に出て、川の音と風の音を聞きながら、高い葦の中を歩いた。

はるがすみ たなびくそらに さそわれて まださむきのを ひとりあゆめり
春霞 棚引く空に 誘はれて まだ寒き野を 一人歩めり
(空に春霞がたなびくころ、あなたの影に誘われるように、まだ寒い野原を、一人で歩きました)

 堤防から山側に分け入っていくと、まばらな人家の間に、旧跡を記した古い石碑が立っていた。見知らぬ地名や人名が、この土地で生まれ育った女と縁深そうな錯覚を起こさせた。

いもがなを くちずさみつつ たどらなん いにしえびとの すまいしあたりも
妹が名を 口ずさみつゝ 辿らなむ 古へ人の 住まひし辺りも
(あなたの名前を口ずさみながら、縁深い人が昔住んでいた辺りを、辿っていきます)

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