日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

「ひた青に照る」の歌

2011年12月27日 | 日記
乾燥しきった冬晴れの一日、斜めに差し込む光を切れ切れに浴びながら、公園の歩道を歩いていくと、木立の途切れたところで、雲一つない青空の下、遠くの山並が見えました。

きぎのまゆ さしいるひかり あまさかる やまなみのきわ ひたあおにてる
木々の間ゆ さしいる光 天離る 山並の際 ひた青に照る 
(木々の間から斜めに差し込む光を、切れ切れに浴びながら歩いていくと、木立の途切れたところで、遠くの山並の上に、雲一つないまっ青な空が広がっていました)

 この歌で、「天離る」は枕詞ではなく、「天から遠く隔たって」という意味で用いています。また内容的には、叙情と叙景が融合しているというよりは、遠近の光の情景が分断され、何度か読み返すと、視界の縮小拡大、光の往還が起こるように思います。

 今年はこの歌で最後になります。この古語短歌のブログをご訪問いただいた50名ほどの方々に、一年のお礼を申し上げます。皆様によいお年が訪れますよう、お祈りいたします。


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***
***『和歌集 くりぷとむねじあ』2011年10月26日全文掲載(gooブログ版)***

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「潮満つの浜」の歌、推敲

2011年12月20日 | 日記
 記紀神話をよく知っておられる方には明らかかなように、「潮満つ」というのは、日本神話に出てくる「潮満つの玉・潮干るの玉」を思わせる表現でした。ほとんど推敲なしにできた歌、と申しましたとおりですが、見直していると、推敲したくなりましたので、下の句をすこし変えてみます。

ひた寄する 頻波のむた 島影に 入り日たゆたふ 潮満つの浜

ひた寄する 頻波のむた 入り日影 島間にゆるゝ 潮満つの浜

1つめは、「たゆたふ(たゆとう)」という言葉が気に入っており、2つめは、情景の実感に沿っております。どちらとも決めがたいに首です。


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「潮満つの浜」の歌

2011年12月16日 | 日記
前に、音による写生、聴覚的想像力、ということを話題にしました。折口信夫が山部赤人について、「音による写生が得意だったか」とわざわざ述べているように、遠近の音に心をとらえられ耳を澄ます歌は、胸騒ぎを覚えるほどです。最近、万葉集で赤人のつぎのような歌を読んでいると、古人がはじめて感じた胸騒ぎが、まざまざと想像されました。そのような「胸騒ぎ」を味わう能力のない人には、つぎのような情景が「胸騒ぎ」を起こさせる機微は、鑑賞できません。

み芳野の 象山の際の 木末には ここだもさわく 鳥の声かも(赤人、万葉集)
(吉野の象山の木々の梢で、鳥がこんなに夥しく鳴いて、胸騒ぎがすることだ)

 ところで、数年前の夏、久しぶりに南の島を訪ね、育った島の浜辺から、生まれた島影に夕日が沈む、見慣れた情景を見ていました。波うち際の近くにいたからか、あるいは潮が満ちてきていたのか、夕日を写した海面が膨らんで、金銀の波がつぎつぎに寄せてきました。このまま海に呑み込まれても、生まれた島の水に沈むなら、何も思い残すことはない、という気がしました。そのときに撮った写真を見ているうちに、切なく嬉しい、なつかしい気持ちがはじめて歌の形を取りました。推敲はほとんどしておりません。このように自然に生まれる歌もあります。

ひたよする しきなみのむた しまかげに いりひただよう しおみつのはま
ひた寄する しき波のむた 島影に 入り日たゞよふ 潮満つの浜
(潮が満ちてくる砂浜の波うち際の近くにいると、島影に沈もうとする夕日を写した海面が揺らぎ膨らんで、金波銀波がつぎつぎに寄せてきました)


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1首推敲

2011年12月14日 | 日記
 眺めているうち、最後の歌は直しが必要だと思いました。

夜半の雨や 苔むす木々に 降り染むる 雫途絶えぬ 糸水の影

 この歌の「雫途絶えぬ」は、「しづき途絶えぬ」としたかったのですが、「しづく」という言葉を小さな辞書(特殊な意味は出ていない)で見るかぎり、「沈く」という字しかなく、「水が」落ちるという意味の字がありませんでした。描いた情景は、「雫」という断片的なものよりは、「糸水」というつながった感じでした。水の落ちるのが途絶えない、という意味を出したいのと、雫と糸水は、畳語になっているので、つぎのように変えます。

夜半の雨や 苔むす木々に 降り染むる 引きも途切れぬ 糸水の影(推敲後)

 「引く」「切れる」「糸」が縁語にもなります。これを最終形とします。


***『歌物語 花の風』全文掲載2011年2月28日gooぶろぐ***
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夜の雨の歌、推敲(続)

2011年12月12日 | 日記
 前回の歌を、もう少し推敲してみましょう。情景は同じでも、あたかもカメラを操作するように、焦点の当て方、強調の仕方によって、かなり印象が違います。
 1首め、「そぼ降ると」は、かすかに、夢か現に、あるかないかに、聞こえるともない雨音を詠もうとしたもので、これを「夢の音(と)と」に変えます。「雨に潤ふ」を「しとど水漬くを」として古代風な感じか、あるいは素直に「しとどに水漬く」とします。3,4句を入れ替えてみても違った雰囲気になります。

夢の音と 聞こえし雨や 降りまさる 目覚めの庭の しとゞに水漬く
夢の音と 聞こえし雨や 目覚めして 降りしく庭の しとゞ水漬くを

 2首目は、「玉水」が陳腐で面白くありませんので、「糸水」と変えて、その前も少しいじってみます。

夜半の雨に 苔むす木々の 濡れそぼち 雫途絶えぬ 糸水の影
夜半の雨や 苔むす木々に 降り染むる 雫途絶えぬ 糸水の影

 ここで、小倉百人一首風の陳腐なものから、万葉風、やや聞きなれない響きまで、それぞれ4つの異形を並べてみます。

そぼ降ると 聞こえし音や 降りまさる 目覚めの里の 雨に潤ふ
そぼ降ると 聞こえし音や 降りまさる 目覚めの庭の 雨に潤ふ
夢の音と 聞こえし雨や 降りまさる 目覚めの庭の しとゞに水漬く
夢の音と 聞こえし雨や 目覚めして 降りしく庭の しとゞ水漬くを

夜半の雨に 苔むす庵の 濡れそぼち 軒を滴る 玉水の影
夜半の雨に 苔むす木々の 濡れそぼち 枝を滴る 玉水の影
夜半の雨に 苔むす木々の 濡れそぼち 雫途絶えぬ 糸水の影
夜半の雨や 苔むす木々に 降り染むる 雫途絶えぬ 糸水の影

 それぞれ、最後の歌が、私の現時点の好みに、最も合っているようです。


***『歌物語 花の風』2011年2月28日全文掲載(gooブログ版)***
***『和歌集 くりぷとむねじあ』2011年10月26日全文掲載(gooブログ版)***


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