日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

「雨を限りと」1首

2014年09月26日 | 日記
 9月の初め、夏から秋へと時が遷り行くころ、通い慣れた木立沿いの道を、夕暮れ時、いつものように一人で歩いていくと、小雨が降ってきました。
 ここに来ることはもうない、最後の道行かもしれない、という事情があって、とりたてて楽しいことがあったわけでもない場所のそこかしこが、名残惜しさをにじませて、鳥や虫の音、そして湿度に満ちた空間は濃密さを増し、そこに蜩の声が、途絶えようとしてはまた響き出し、何時までも止むことがありませんでした。
 多くの世のあれこれの場所で、多くの人が味わったであろう、別れのひと時の情景を、しみじみと味わいました。

このあめを かぎりとおもう みちゆきに とだえもはてず ひぐらしのなく
この雨を 限りと思ふ 道行に 途絶えも果てず 蜩の鳴く
(この道を歩くのもこれで最後かと思いながら行くと、雨が名残りのように降ってきて、蜩の鳴き声が途切れてはまた鳴きだして、いつもまでも止むことがありません)

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賀歌3首

2014年09月05日 | 日記
 儀式でのお祝いやお悔やみやお祈りは、独創性を表立てるよりは、多くの人にわかりやすい定型的なものが、相応しいようです。専門の歌人だけではなく、すこし嗜みのある人であれば、場に応じた気持ちを詠むことができ、聴いている人の多くも、それぞれの嗜みに応じて、同じ気持ちを味わことができます。

 つぎは、老母の祝いの席で詠んだものです。年上の親戚が感心したような顔をして、寄せ書きに書かれた歌を眺めていました。「差す枝の」は、謡曲「老松」の独吟で謡われる有名な一節で、昔の嗜みある人には聞き慣れたものでした。祝言の雰囲気が、出ていると思います。

さすえだの おいまつのはぞ みどりなる ははのみいのちわ ながたらしませ
差す枝の 老松の葉ぞ 緑なる 妣のみ命は 長足らしませ
(こうして差し出す老松の葉は、老いても瑞々しい青さを保っています。そのように、老母様の命は、いや長くありますように)

 つぎは、若い友人の結婚式で詠んだものです。早春、式場に向かうあいだ、粉雪が舞っていました。

はつはるの みやこおうじを もうゆきに ひさしきさちぞ ひたいのらるる
初春の 都大路を 舞ふ雪に 久しき幸ぞ ひた祈らるゝ
(春まだき都の大通りを行くと、粉雪が舞い、世を祝福しているようです。ちょうどそのように、末久しい幸せをお祈りします)


 つぎの歌は、老母から聞いた話で、昔の結婚式で、場所や名前を折り込んだ和歌を、親戚の一人が詠んだのを、新婦が覚えていて、よく聞かされたというものです。普通の人が、お祝いの席で、このような歌を詠むことができ、祝われた人がそれを長く覚えているというのは、なんと奥ゆかしいことでしょう。

ひがしより うつしうえにし うめのはな さかえさかえて ちよにやちよに
東より 移し植えにし 梅の花 栄え栄えて 千代に八千代に
(東の方向から、西の方向に、梅の花のような新婦が嫁いできました。これからこの家族が末永く繁栄しますようにお祈りします)

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