彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『戦国怪談話』その1 鉄鼠

2011年08月22日 | 『戦国怪談話』
2011年8月20日に管理人が安土城郭資料館で話した『戦国怪談話』を1話ずつ紹介していきます。

今回のお話は、『戦国怪談話』で配った「安土ふることふみ」の1ページ目に書きましたが話はしなかったものです。近江が昔話の宝庫であるひとつとして文章のみで紹介しました。


『鉄鼠』

「今は昔云々」「むかし昔、あるところに…」などなど、聞き覚えのある口調で過去の世界へといざなってくれる昔話。あるお話では英雄たちが鬼や悪者を退治する姿に胸を躍らせ、あるお話では知恵を使って大きな富を築く様子に感心し、あるお話ではどうしようもないくらいに悲しい結末に胸を詰まらせたものです。
そんな昔話たちは、ただの空想ではなく、ときには現実の話をそのまま描き、時には実在の英雄たちをモデルにしています。怪談話や妖怪はそんな昔話のなかにも多く登場します。そして『平家物語』に登場する頼豪鼠は、近江国を代表する妖怪のひとつともいえます。

頼豪は、三井寺(園城寺)で修行し実相院に住んだ天台宗の僧でした。彼の霊験が高いことを知った白河天皇が、皇子の誕生祈願を依頼し見事に敦文親王が誕生します。喜んだ白河天皇が頼豪の願いを何でも聞くと言ったので、三井寺に戒壇院を建設する許しを請うのですが、延暦寺に反対されて実現することはありませんでした。
これに怒った頼豪は断食して100日後に亡くなり、今度は敦文親王の命を4歳で奪ってしまったのです。それでも怒りが治まらなかった頼豪は大鼠に化けて、戒壇院建立に反対した延暦寺を襲い、大切な経典や仏像を食い散らかしたとされています。

史実に照らし合わせれば、敦文親王が亡くなるのは頼豪よりも7年も前であり頼豪に祟られたとは考えられません。しかし頼豪が三井寺への戒壇院建立に力を尽くしていた事実と、それを延暦寺が反対していたこと、そして敦文親王の幼い死が重なって面白おかしく妖怪化されて語られるようになったのです。
この物語は平安時代後期が舞台になっていますが長い間語られ続け、約700年後の江戸時代に鳥山石燕が描いた『画図百鬼夜行』で“鉄鼠”という名が付けられて現代にまで伝わっているのです。

このような話がたくさん出てくるくらい、近江は伝承や伝説に彩られた土地なのです。