ところが今度は船酔い状態で気分が悪い。
免震機能のせいで必要以上に揺れる建物で、
細かい仕事をし続けているから、気持ちが悪くなって化粧室に走る。
やがて、一斉放送のアナウンスが流れ始めた。
隣の校舎の教室を帰宅困難な学生と教員に開放するという。
あとは明日でいいから帰る支度をしなさい、自宅に帰れるか、
などと同僚スタッフに指示をするも、返ってきた言葉は、
「明日早く来てやるのヤなんで、いいです、ここに泊まります」
これが妥当な判断なのかどうかも、なんだかよく分からない事態。
ただとにかく、自分は家に帰ろう、と思った。
明日のイベント開催については今夜中に参加予定者に連絡したい、
自分は徒歩で自宅に向かう、同僚2人は大学に残る可能性がある、
そのことだけ急いで先生に連絡を入れた。
同僚2人に、早くきりがついたらむしろうちに泊まりなさいと地図を置き、
PCから吸い上げたデータを持って、徒歩での帰宅の途についたのが、
忘れもしない18時08分。
オフィスから自宅までは、地下鉄なら3駅分の距離。
大通りに出ると、すでに続々と徒歩で帰途についた人々の流れ。
職場で支給されたらしき白いヘルメットの人もちらほら。
休日の新宿の地下道、くらいの混み具合で黙々と歩く。
途中途中のコンビニには、飲み物や使い捨てカイロを買う人たちの列。
このときにはまだ、食べ物の棚にはふんだんに商品が並んでいた。
よく見知った街並みになってきたころには、人波が少しまばらになった。
自宅マンションに着いて、階段を6階まで上る。
部屋に入ったのは、これまた忘れもしない18時55分。
朝、いいかげんに閉めていたドアは開き、
いいかげんに開け放していたドアは閉まっていた。
和室に駆け込めば、
立てかけていた琴は、もう一面の琴と垂直にきれいにうつぶせに倒れ、
三絃は壁にかかったままで何ともなかった。
積み上げていた本や書類は崩れてはいたけど散乱はしていなかった。
本棚に置いていた大切な人の写真立ては、
そのままの角度で床に10点満点の着地をしていた。
激震が去ってから、とりあえずお金を払いに店に戻る。
店員さんの1人は実家が震源地だと言って慌てて帰って行った。
フライヤーの油が大量に床にこぼれ、秘伝のタレも壺から外へ飛び散って、
業務用の重い大きな冷蔵庫が違う場所に移動していた。
床に立ててあった瓶ビールはごろごろと転がりだしている。
これはもうお客さんには出せないから持って帰っていいよ、と言われて、
1本ずついただく。
残っている店員さん2人が、今日はもう店を閉めよう、と片づけながら、
「あー、そういや俺、楽器が心配」
「俺もだ・・・うわーどうしよ」
バンドやってるんですか、と言いながらハタと思い当たる。
――私も、お琴、片方立てて置いてあるし、三絃は壁に引っ掛けてあるだけだ!
助けてもらったお礼と、まだしばらくは気をつけて、と店員さんたちに頭を下げて、
オフィスのあるビルに戻る。
外に避難していた同僚らを見つけて合流して、大学の判断を待つ。
ここで解散して歩いて家に帰るにしても家のカギはオフィスの中だし、
寒いし、トイレにも行きたいし、などと声が上がり始めたころようやく、
「荷物を取る人だけは中に入って非常階段を使ってください」
天井の高い高層ビルの7階に、息を切らせてたどりつき、
明日のイベントを開催する前提で、残る準備を進める。
肝心の先生と連絡がつかず、無事かどうかも分からないまま、
早速かかってくる問合せに、本日中にご連絡しますと答え、
余震でぐらんぐらん揺れるなかで、リストのチェックやらデータのバックアップやら。
余震の頻度がおさまるにつれて、なぜか頭痛がすぅっと引いていった。
本能的に、地震の本体部分は去った、と思った。
史上最悪の自然災害と国内最悪の原発事故。
恵まれた安穏な暮らしのなかで想像だにしなかった事態に直面した記録を、
残しておこうと思う。
2011年3月11日金曜日。
本来なら自宅で別口の仕事をしている非勤務日のその日、
一年で最大の国際イベントの開催前日だったために、
イレギュラーに本務先に出社して翌日に向けての最終打合せに追われた。
大イベントを前に、いつにもましての激務だからか、花粉のせいか、
朝から、軽く吐き気を催すほどの異様なほどの頭痛に襲われながら、
翌日のタイムテーブルにそって綿密にすべての動きを確認していく。
ようやく打合せを終えて、遅い遅い昼食に出かけた。
明日に備えて力をつけておきたいという同僚に連れられて、
〝新潟カツ丼〟なるものの専門店にいた。
カウンターの向こうに店員さんが一人立つのが精いっぱいの、
小さな小さなその店には、時間があまりにも遅かったせいか、
客は私たち2人だけ。 あとは男性の店員さんが3人。
14時46分。
そのとき、食事は半分とちょっと済んだあたり。
ゆらり、と来て、あれ、地震だね、と言っているうちに、
揺れはおさまる気配なく大きくなった。
「火! 火、消して!」
「大きいですね、お客さん、とりあえず外に出ましょうか」
男性3人に囲まれるようにして店の外へ。
周囲の店からも人が出てきて、四つ角ごとに固まって空を見上げる。
と、ぐわん、ぐわん、ぐわん、と足元のアスファルトの道がたわむように揺れる。
こっち!と同僚に手を引っぱられた先は、
高台にそびえたつ校舎のがけ下のような場所にある公園。
本能的には反対方向の大きな交差点に出たかったのだけど・・・
大学の近くに、画材屋さんのご主人が趣味でやってますみたいな、
少し洒落たイタリアンのお店がある。
初めて見る顔のウェイターさんがお皿を下げに来たので、
習慣で、無意識に、ごちそうさまでした、って言ったら、
「恐れ入ります」
と丁寧に頭を下げられた。
ふだんのランチのお店でそんな風に返されたのは生まれて初めてで、
びっくりしたけど、なんだか嬉しかった。
頭を下げられたからじゃなくって、
このウェイターさん、プロだなぁ!っていうのが、返ってきた言葉の自然さでわかったから。
こういう美しくて品のある受け答えは、
そうそう簡単に、自然にできるものではない。
言葉遣いって、年を重ねるほど、その人の人となりが如実に出るもの。
心して、言葉を口にしなくては、と背筋が伸びる思いがした。
「ヒイラギさん、ちょっとサポートしてほしいんだけど」
なんでもできちゃう先生が、珍しいセリフを言いながらオフィスにやってきた。
きけば、学生クンたちが企業についての研究発表をする予定で、
取材した企業の人にアドバイスをもらうために会社訪問する前日だっていうのに、
まったく、なーんにも、準備してないのだとか。
え、まったく、なーんにも、なんですか?っておうむ返ししちゃうくらい驚いた。
先生がいうには、研究発表のプレゼン資料のドラフトすら1枚もないし、
それ以前にその取材先のホームページ見てみるていどのことすらしてないとか。
え、それで何しにその会社に行くんですか?ってまた訊き返しちゃった。
ふつーに考えたらさー、
取材に行く先の企業が何やってるかは最低、調べるでしょ。
それが無理でもさー、
何か準備していかなきゃいけないことってありますか、って先生に訊くでしょ。
それでなくてもさー、
もう2回ぐらいは先生に怒られてるハズじゃん~。
そんなこと思って茫然としながら、ほとんど無意識に、
――おどろきもものきー…
ってつぶやいたら、思わず先生も笑いながら、
「M社の資料で、何かすぐ出せるもの持ってない?」
われに返って、あーはいはい、って先生に資料渡しながら、
でもやっぱりびっくりだ。
人より頭の回転がスローなヒイラギではあるけれど、
自分が何かしたいとき、どうしたらいいかなって自分で考えるくらいは、
大学生のころ、そこそこできてたんじゃないかな~・・・
関西のお笑いが大好きな東北出身の同僚がいる。
ヒイラギが関西人だというだけで、相当リスペクトしてくれているそうだ。
その彼女に、先月のオペラでソリストさんと撮った写真を見せたら、
何を思ったか、不意にパソコンに向かって何やら検索しだした。
しばらくして、机をたたいて大笑いしだした。
「いや、まさかと思ったけど、本当にありましたよ!」
写真に写ってるテノールさんの胸板がとても厚くて立派だったので、
SNSに“Atsushi Munaita”って名前の登録があるかどうか検索したら、
ものの見事にヒットしたと言って、涙流して笑っていた。
胸板、厚し。
たしかに、洒落でやっちゃったとしか思えない。
実名だったら気の毒だけど。
こういう冗談、ホントにやっちゃう人いるんだね、って言いながら、
メールチェックしたら、イベントへの申込みが来た。
「○○日のイベントに参加いたしたし。」
こっちには武士がいた。
世の中には色んな人がいるな~
昨日一日のうららかな春の陽気で、
一気に花粉摂取量がかる~くK点越えたばっかりだっていうのに、
寝て、起きたら、雪ときたか。
どっちにしても、くしゃみは止まんないんじゃん。
この季節、誰しもむやみに外には出たがらない。
部屋を閉め切って仕事する研究職には、
ちょっと気になるのが、ニオイ。
学生クンたちが研究室のドア開けっ放しで外に行っちゃったみたいですよ、
ってその研究室の先生に教えてあげたら、
困ったような笑い顔でぽろっと一言。
「いいわよ、開けといて。若い男の子たちって、クサいのよね~」
若けりゃ若いでクサがられ、
年とるにつれて加齢臭とかオヤジ臭とか言われて、
男の人って大変ですねー、って相槌うってたら、
「加齢臭よりクサいですよ、うちの息子ぐらいの若い子のほうが!」
そんなムキにならなくっても・・・
普通の大学より男の子の割合が多いとこにいたから、
まぁたしかに、彼女の言いたいことも分かる気はするけど。
それにしてもやっぱり、男の人って大変ですねー。
今週は個人舞台曲をお相手のイケメンさんと初めて合わせた。
師匠がやけにクールなので、どんだけダメ出しされるのかと思ったら、
「まぁね、いいのよ、これは。
もう明日すぐ舞台やってもいいんじゃないの?」
あまりの褒められっぷりに、しばし2人して、ぽかーん・・・
でもこのほかの曲は、人数が多いこともあって合わせづらくって、
先週のリハーサルでは厳しくダメ出しされた。
こういうのって、1人ひとりが弾けるかとか歌えるかとかじゃなくて、
お互いにどれだけ気持ちをひとつにして合わせられるか、だったりして、
これが本当に、指揮者のいる音楽とはちがって、難しい。
みんなで緊張しながらも何とか最後の曲まできた。
師匠も替え手で入って合奏する曲なのだけど、
さて次は何だったかしら、と曲名を見て、
あら、私も弾くんじゃないの!と慌てて撥を持たれた。
いやねぇ、みんな言ってちょうだいよ~、と師匠の言葉を聞いて、
「自分のことは自分で、ってことで」
大先輩の先生が言い放った一言が秀逸で、みんな大爆笑。
ちょっと気持ちがなごんで、最後の曲も無事にリハーサル終了。
自分なりの課題はともかく、残されたリハーサル期間で、
合わせる、っていう次元の完成度をどこまで上げられるか、
イメトレのがんばりどころ。
あぁ、なのにくしゃみが止まらない・・・
遅ればせながら、こんなことを始めた。
実名だし基本英語なので、ここにはリンクさせないけど。
■ixiはほとんど開店休業というか幽霊会社状態のくせに、
と自分でも思いつつ。
小舟で大海原に漕ぎ出した気分です、と言いながら、
心当たりの友人知人にコンタクトしてみて、あらためて感じたこと。
リアルな友人関係とは何かが違う独特の顔ぶれになるのが、不思議。
ペンネームで執筆するブログとは、書きたいことも違うのが、不思議。
これが、関係づくりのやり方として健全かと問われると、
さぁ、どうかなあ、即答に躊躇する。
まぁでも、Granovetterの“The Strength of Weak Ties”を思い出させるような、
つながり感、とでもいおうか、そんなことは感じられるツールという気がする。
つながりとつながりが、ひょんなところでつながっていって、
思いがけない面白いつながりが発見できる、という冒険は楽しめるかもしれない。
あくまでも、全ユーザーが互いに高い水準のモラルを維持していれば、の話だけどね。
午後まるまる、延々6時間みっちり、とある有名企業で研修。
途中で2回、トータルで30分ぐらい休憩があったとはいえ、
どんなふうにやってるか見てるだけのオブザーバー参加とはいえ、
ものすごい綺麗で快適なビルの最上階のVIP会議室とはいえ、
やっぱ長いわぁ・・・
タテに長~いテーブルをぐるーり取り囲んで座るのは、
全国からこの研修のために集まってきた20数人のリーダーさんたち。
何か質問は?と問われるたびに、必ずどこかで手が挙がる。
一日の終わりにようやく全員の短い自己紹介があって、分かったこと。
話すほうも、聴くほうも、思っていることはひとつ。
同じ思いのもと、ひとつのチームになろうとしてる。
思いと、情報と、時間を共有すること、大事なんだなぁと思いながら、
さて、明日は研修2日目の見学だ。