日本人が。もしくは日本文化が。
いちばん欠いている感受性という気がする。
毎年恒例のゆかたざらいの会で出番の一曲を終えて、
客席で聴衆の1人になっていたときのこと。
常識を疑う態度のおばさま三人組に遭遇。
バッグからお茶やジュースのボトルを取り出してごくごく飲んでプハー。
ホールのどこの入り口にも「飲食禁止」の大きな貼紙がしてあったというのに。
声のトーンを落とすでもなく、お帰り前のご挨拶。
今日は本当にありがとうございましただの、誰それさんが紀尾井ホールでリサイタルをされるそうですわねだの。
出演者に配られた菓子の包み紙をベリベリベリッと破る音に続いて、
これ頂ものだけれども持ってってくださる~だの、あら悪いわね~だの、ごちそうさま~だの。
すべて、目の前の舞台では演奏の真っ最中。
大ホールとはいえ、舞台上の演奏者にもよぉくきこえるということはさっき実証済み。
考えなしにもほどがあると個人的には思うけれども。
これってもしかしたらニッポン民族の悪い遺伝子かも知れないとも思う。
歌舞伎座で観劇中にも同じようなことはよくあるし。
タイムリーなところでは、曜日ところ時間帯かまわず拡声器でがなりたてる選挙運動の在り方とか。
音を発するということは、まあたいていの場合は赤の他人にとっては迷惑でしかない、
ってことを想像する知能というか感性というか常識力というか。
そうゆうセンスがこれだけないのに、演奏中の客席に入ってくる、
その感覚というか、行動心理というか、精神構造が、よく分からないから、ビシッと言えない。
(そこはかとなく微かには聴こうって気があるのかもしれないし)
こういう社会を生きることが、なんだかストレスだ。
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