まずは芸の世界で、続いて学術の世界で、
一世一代の大舞台が二つも続いた今年、
後半になってこのザマ。
しつこいようだが休職中は収入ゼロなので、
3か月目に突入となるとそろそろフトコロの温度も下がってくる。
金融機関から一度に引き出す金額がだんだんと大きくなる。
そのあたりの様子から何かあったなと感じたハハからのメール。「もしや、会社が終わったのかと・・・」
す、するどい。
さすがにヒイラギのハハ。
こうなったらしょうがないので、カミングアウト。
もともと心配性なので、必要以上に心配させたくないと思ったがゆえの、
大きな大きな隠し事だったのだけど。
じつはパワハラで休職に追い込まれ引きこもり中だなんて。
不登校の前科アリなだけに、よけいに、いやーメンボクない。
本当にビックリしたけど何も心配しないで医師のいうとおりゆっくり休んで、
と、しばらくして返ってきた返信。
読みながら、ありがたくて思わず泣き出してしまった。
親に隠し事はいけません。 いくつになっても。
健康保険のお手当を申請する関係で、
二週間に一度のペースで定期的に医師の診察を受けることになっていて。
今日はその何度目かの診察日。
日によって波はあるものの、
相変わらず頭痛に悩まされ、集中力が続かず、
外に出かけた翌日は疲れてしまって一日ぐったりする。
そんな近況にひとしきり耳を傾けていたドクターから、
本日のアドバイスは3つ。
「今は休むのが仕事。」
「とにかく無理をしないこと。」
「外出はできる範囲の必要最低限でよろしい」
でも、「今は」って言われてからまるまる2ヶ月経ったのになー・・・
なんて、つい思ってしまうのが、よろしくないんだろうな、きっと。
一週間ちょい前に、料理がこわれ具合のバロメーターと書いた。
それからも相変わらずの調子で大波小波をやり過ごしているが。
たとえば。
せっかくガスコンロが3口もあるというのに、
ごはんを炊き終わってから同じ口でお湯を沸かしてたり。
せっかくまな板の上で野菜を細かくたくさん刻んでおいて、
やたら手際よく流しの三角コーナーに向かってざーっと落としたり。
まあ、そう簡単にメキメキ回復できるようなことなら、
3か月目に突入しようという〝収入ゼロ〟に耐えてまで休職なんぞする必要もないわけで。
NPO活動でのイベント開催が近いので広報しなくちゃと思い。
こんな調子なので自信なさげにメンバーにチェックを入れてもらいつつ、
フライヤーを作り、メール用のテキスト版も編集して。
いっせいに、大量に、送っちゃってから見つかるのね、誤植が。
メンバーが指摘してくれた2か所と、修正版を再送後に自分で気づいた1か所と。
かつて、世界的に有名な某社会起業家のかたの原稿を拝見したとき、
"hawkeye"と褒めていただいた程度にいちおう得意技だったはずの作業が。
このていたらく。
さえてる日と全然ダメな日があるし。
さえてる日でも面白いぐらい気が散りやすくて集中が続かない。
このさいなので、心許せる相手にはオープンに話すことにしている。――いまビョーキなんでそうゆう状態なんです。
「大丈夫、道は必ず開けるから」
休み始めたころに、医師でもある身内がかけてくれた言葉。
どうしても先のことを考えてしまって不安に襲われると、
この言葉を呪文のように心の中でとなえるようにしている。
言葉には魂がある。 霊が宿っている。
となえ続けていれば、必ず願いをかなえてくれるはず。
以前、手相を見せてくれと言われて見せたら、
鑑定士が驚いたことがある。
ご先祖さまたちがこぞって貴女を強く守ってくれている相が両手にある!
ってのは、かな~り珍しい手相なのだそうだから。
だから、大丈夫。
はた目には普通にしか見えない不調の類は、
おそらく本人もまず自覚したり受け入れたりに難がある。
さる妃殿下の療養が想像を絶する長さになっていることもうなずける。
自分なりのつたない理解では、
診断名に●●病とついていないのは、
不調の度合いがその手前の境界領域にあるということだと思う。
なので自覚するというのがますます難しい。
それでも休養生活のなかで気づいたバロメーターが一つ。
調子が悪かろうがなんだろうがとにかく生きるために食べる。
その、食べ物を用意する、料理、というプロセスでは、
自分が〝ふつうじゃない〟部分が顕著に表れて、気づかずにはいられない。
材料の下ごしらえの順番や調理の段取り。
今までなら考えないでできていたようなことが、
なぜだか普段通りにできなかったり。
こうしないように気をつけなくちゃと意識したことを敢えてやったり。
脳機能にダメージを受けるというのはこういうことなのかー。
人間関係に地雷を抱えている世の中の被害者予備軍の皆さん、
よくよく気をつけましょう。
最強最強と騒がれている台風が来る前に、てことで、
今日はどうにもこうにも絶不調のカラダのメンテナンス。
スケジュールを振り返ってみたらじつに3か月ぶり。
こんなに間が空いたのは史上最長で、そら絶不調にもなるわ。
しかもその3か月がこれだったわけだし。
ふつうより20分ぐらい長く、丁寧に治療してもらって、
それでもいつもほどスッキリとはしないぐらいひどくなってた首・肩・腰。
痛いよーと言いながらも、
泣きながらじゃなくぜーんぶ言いふらせる程度には、
これでも回復してきたんだなーと思いながら。
とはいえ、波があるだろうから、ってことも当たり前に理解してくれる相手だから、
てこともあるのであまり調子にはのらないようにしよう。
当分このまんま、ぼちぼち生きまひょか。
具体的に書くことは控えるけれど。
仕事を通じての知人より個人的に連絡をいただいた。
東京オフィスを撤収することになったという。
理由は、施設の利用責任者であったウチのボスが、
その任を突如辞したから、とのこと。
事業連携を持ちかけ、
この春には披露イベントまで開催した、
いわばビジネスパートナーに対してこの所業。
別の知人の言葉。
「リーダーの役割とは、ビジョンを語ること」
ビジョンとは、船でいえば羅針盤。
その、針が指し示す方角のぶれぶれっぷりを思い、
とっさに浮かんだ言葉が今日のタイトル。
この組織、破滅に向かっているなあ。
そんな気がする。
本日も夢のお話。
今日はどこか外国の大学に留学していました。
キャンパスの真ん中を川が流れていて、
両岸に校舎やら学食やら、なぜかショッピングモールのような建物が並び、
建物ごとに石造りの橋で結ばれています。
広大なキャンパスなので、移動は自転車。
マイ自転車も、背中にしょってるデイパックも、鮮やかな濃いめのイエロー。
どの橋のたもとにも自転車置き場があって、
シェア用の自転車の駐輪スペースとも一緒になっていて。
何やら用事を済ませた体で橋のたもとに戻ってきたら、
マイ自転車が見当たらない。
誰かが間違えてシェアして行ったらしい。
マイ自転車を探しに行かねば、てことで、
なぜかその場で自転車置き場に背を向けてしゃがみこみ、
黄色いスーツケースから荷物をデイパックに詰め替えて背負う。
さて、と、シェア用の自転車にまたがった瞬間、
アレ?自分の荷物がない、ぜんぶ盗まれた―!と頭に血が上り、
周りの人たちに置き引きされた、どうしよう、と騒ぎ立てる自分。
すぐそばにいた年かさのひげ面の男性が、
冷めた目でこちらを指さして、
アンタいま自分で全部詰め替えて背中にしょったじゃん、と指摘。
あ。やべ。やっちまった。と思って、
・・・・飛び起きた。
なんて寝起きだ。
休養を始めた直後、見る夢にある特徴があった。
虫が登場するのだ。
それも、自分の身体にとても近いところで。
あるときはゴキブリがえらい勢いで向かって来たり。
あるときは手の甲をイモムシが這っていたり。
病んでいるというか、精神的に追い込まれてる状態、
というのが表れてるなぁと自分でも分かる感じで。
きつい症状が和らいできてからは、
薬の効果もあって夢を見ないで深く眠っていたのだが。
最近また、少しずつ夢を見るようになってきた。
昼間テレビで観てきれいだなと思った女優さんが出てきたり、
豪勢なリゾートホテルをうろついていたり。
だんだん夢が具体的で、フルカラーになってきたな、というところで、
今朝はふたたび、虫が登場した。
自分の腕ぐらいの巨大なシャクトリムシが2匹、
観葉植物の枝のふりしてじいっとしている。
赤黒いようなこげ茶色の胴体のと、薄い黄色の胴体のと。
太い木の枝で2匹を突っつこうとしているところで、おしまい。
いま、何かに立ち向かい始めているということだろうか。
一つの同じ出来事を立場の違う当事者どうしとして体験して、
立場に関係なく、体験から得るものがある人間とまったくない人間があるのだ、
ということを痛切に感じる今日このごろ。
「パワハラ・アカハラ・セクハラ発言をおやめください」
とハッキリ言われるほどの大ゲンカをして協力者と断絶したり、
共同出資者でもある社長と仲たがいをして解任したり、
そうゆうことを繰り返してきた現シャチョー。
こういうヤカラは、人の話をきかない、プライドだけ高い、考えが狭い、無神経。
自分の何が原因かを客観視できないから、同じことを何度繰り返しても、学べない。
そうして、だんだんにエスカレートしていく。
自分を人として慕ってくれる部下や教え子が周りにいないのはなぜか、に気づけない。
そうか。
そうだったのか。
そうだよな。
少しずつ、少しずつ、こうなることが必然だったような気がしてきて。
常日頃のパワハラ・アカハラ・セクハラ発言のすべてを聞き流し、
都合も訊かずに丸一日の大きなイベント仕事を休日に入れられようが、
都合も訊かずに海外出張の日程を決められ知らないうちに大々的に発表されようが、
すべてを呑み込むことでシャチョー以外のあらゆる人たちの信頼を得てきたヒイラギ。
学べない人の元に、学べる人は、ふつうの精神状態では居つかない。いや、居つけない。
きっとそういうことなんだ。