古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈春の野草酵素飲料〉を仕込みました。

2022年04月22日 20時26分02秒 | 古希からの田舎暮らし
 長年やっていることですが、『春の手づくり野草酵素飲料』を仕込みました。その配置図です。

 野草/畑の野菜/穀物(ひと晩水にかしておく)/果物/キノコ/を刻んで、砂糖と交互にペール缶に入れます。
 植物採集は朝のうちに家のまわりと裏山でやりました。毎年4月の中旬に仕込んでいるのですが、今年は下旬になりました。植物はよく生長していて、らくに、たっぷり、採れました。
 道子さんが、レンゲ/ギシギシ/スギナ/アザミ/ヨモギ/タンポポ/ユキノシタ/ミツバ/……など、いっぱい雑草を摘み、ぼくは裏山の木の芽を摘みました。ツバキ/アラカシ/ボックスウッド/モミジ/ヤマボウシ/ツバキ/タカノツメ/クヌギ/コナラ/ムクゲ/柿若葉/レッドロビン/…… まだ書ききれない種類の新芽を摘みます。畑でとれた野菜やサツマイモなども入れます。
 前庭・畑・裏山・池のまわりで1時間ほど植物採集をしました。昨日の雨で、摘んだものを洗わなくてもいい。
 配置は写真のように。スプーン印の砂糖は11袋(キロ)。材料は10キロです。1キロずつはかって刻んで入れ、砂糖を1キロ入れ、11時には作業がすみました。
 秋の野草酵素は5キロで足りますが、夏は10キロ仕込むようにしています。暑いと、冷えた炭酸水でうすめた酵素飲料が、実においしい。暑さでぐったりしても、飲んだら生き返る感じがします。
 つくづく思います。大豆畑トラストを神戸市西区でやっていたときも〈手づくり野草酵素飲料〉をつくりました。まわりは田園でした。しかし、野草を採集するのにずいぶん苦労しました。ここでは野草が有り余るほどあります。もし、野草酵素の植物採集をしたくなったら声をかけてください。
 芦屋に住む友は、野草酵素の材料を我が家に来て採集していました。ブログを見ては、よくメールをくれる友でした。時局の話をしても、定年後の生活を語り合っても、いっしょに先輩を訪ねても、いつも話の合う、肌の合う、友でした。彼が急死して5年過ぎますが、口惜しさは消えません。
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『満蒙開拓青少年義勇軍』として中国大陸に渡った子どもたち

2022年04月22日 02時15分08秒 | 古希からの田舎暮らし
 満州事変を仕掛けて『満州国』をつくった日本の陸軍/政府は、日本国民を開拓団として入植させようと躍起になっていた。武装開拓団をソ連との国境に配置し、満州の地から資源を収奪しようとした。「五族協和」(大和民族/朝鮮族/漢族/蒙古族/満州族)・王道楽土をスローガンに、日本国内で「大陸で、大地主になって、農業をしよう」と大キャンペーンをした。というより強制的に開拓団を割り当てて、村村からひねり出させた。
 開拓団がなかなかできないとなると、子どもたちをねらい、「満蒙開拓青少年義勇軍」として「渡満」させた。小学校(戦時中は「国民学校」)の六年生から2年の高等科を卒業すると14歳=今なら中学二年生である。
 その14歳の子どもを「満蒙開拓青少年義勇軍」として「渡満」させた。300人の男の子を一団として組織し、茨城県内原で3カ月の訓練を受けさせてから、朝鮮への船に乗せた。まだ成長していない背の低い子も、クワの柄を鉄砲のようにかついで、海を渡った。朝鮮から汽車に乗り、満州へ。入植した農地は、現地の農民から安く買収していた。(敗戦後現地農民に襲われたのは当然である)
 86000人の子どもたちが義勇軍として満州に渡り、25000人の少年は日本に帰ることができなかった。
 15歳から20歳くらいの少年は、命のいちばん盛んなときである。大人や子供が死んでもなんとか生きのびる力をもっている。その命の盛んな青少年が死んだ。どれほどきびしい敗戦後であったか。
 
 ぼくは中学校の教師だったので、中学校2年生3年生を知っている。まだ子供で、善良である。もし戦時中に教師になっていたら、その少年たちを「義勇軍に志願させる」ことに手を貸すことになっただろう。
 敗戦後、日本の教師が書いた詩がある。

   逝いて還らぬ教え子よ  私の手は血まみれだ!     君を縊(くび)ったその綱の
   端を私はもっていた   しかも人の子の師の名において   (以下略)

 退職してから数年、ぼくは満蒙開拓青少年義勇軍だった方々に聞き取りをした。近くの方を訪ねたり、家に来てもらったりして、話を聞いた。青少年義勇軍を多く送り出した長野県に行って話を聞かせてもらった。思うことを創作として伝えようとした。その〈思い〉をはたすことはできなかったが、一生のテーマである。   
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