村の高齢の方に声をかけて、5人で〈お花見〉をしました。絶好の日和です。こころに残るお花見になりました。
まず『南山さくらの名所』に行きました。申し分のない〈満開〉でした。広場の奥のほうに子どもを連れた一家。あとは無人。

ずっと奥に人が見えるでしょうか。人は少なくても、勢いのある若木が精いっぱい咲いています。
「喫茶店・シャレードの桜の下でお茶したいな」。シャレードの桜も満開ですが、駐車場は満車でした。やむなく東条川沿いの桜を見ながら我が家の裏山へ。

このテントの応接間は、よく役立っています。特にコロナ時代には。裏山の花花を見ながらたっぷりおしゃべりタイム。
今年も無事にお花見ができました。
『キャスターという仕事』(国谷裕子・岩波新書 2017年発行)を読みました。「付箋をつけてあちこち引用しよう」と思いましたが、ジャーナリズム第一線の仕事にコメントは無理です。ただ「テレビのこわさ」にふれた文章を引用しておきます。
日本のなかには、多数意見と異なるものへの反発や、多数意見への同意、あるいは同調を促す雰囲気のようなもの、いわゆる「同調圧力」と呼ばれる空気のようなものがある。以前、作家の村上龍さんとの対談で村上さんが、「日本は自信を失いかけているときに、より一体感を欲する。それは非常に危険だ」と話していたのを思い出す。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前といった同調圧力は、日本では様々な場面で登場してくる。ここ数年は、その圧力が強まっているとさえ感じる。
そのような状況のなかで、本来その同調圧力に抗すべきメディア、報道機関までが、その同調圧力に加担するようになってはいないだろうか。テレビ報道の持つ三つの危うさの一つとして「感情の一体化」を進めてしまうテレビ、そしてそれが進めば進むほど、今度はその感情に寄り添おうとするテレビの持つ危うさ。こうした流れが生まれやすいことを、メディアに関わる人間はいまこそ強く意識しなくてはならないと思う。
満州事変/支那事変(長い長い日中戦争)/アジア・大平洋戦争/では新聞が大きな役目を果たしました。「大本営に強要された」「弾圧が怖かった」と言い訳しますが、あの戦争はもとは「新聞があおった」のです。新聞が冷静に真実を伝えていたら日本の歴史は変わっていたか。官憲に弾圧されたか。新聞が民衆に袋叩きされていたか。わかりません。でも「あの戦争を反省する」という出発点を忘れてはなりません。
いま国民をあおる役目を果たすのはテレビです。そしていまも、日本人はテレビであおれば、燃え上がる危険性をもった民族です。
まず『南山さくらの名所』に行きました。申し分のない〈満開〉でした。広場の奥のほうに子どもを連れた一家。あとは無人。

ずっと奥に人が見えるでしょうか。人は少なくても、勢いのある若木が精いっぱい咲いています。
「喫茶店・シャレードの桜の下でお茶したいな」。シャレードの桜も満開ですが、駐車場は満車でした。やむなく東条川沿いの桜を見ながら我が家の裏山へ。

このテントの応接間は、よく役立っています。特にコロナ時代には。裏山の花花を見ながらたっぷりおしゃべりタイム。
今年も無事にお花見ができました。
『キャスターという仕事』(国谷裕子・岩波新書 2017年発行)を読みました。「付箋をつけてあちこち引用しよう」と思いましたが、ジャーナリズム第一線の仕事にコメントは無理です。ただ「テレビのこわさ」にふれた文章を引用しておきます。
日本のなかには、多数意見と異なるものへの反発や、多数意見への同意、あるいは同調を促す雰囲気のようなもの、いわゆる「同調圧力」と呼ばれる空気のようなものがある。以前、作家の村上龍さんとの対談で村上さんが、「日本は自信を失いかけているときに、より一体感を欲する。それは非常に危険だ」と話していたのを思い出す。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前といった同調圧力は、日本では様々な場面で登場してくる。ここ数年は、その圧力が強まっているとさえ感じる。
そのような状況のなかで、本来その同調圧力に抗すべきメディア、報道機関までが、その同調圧力に加担するようになってはいないだろうか。テレビ報道の持つ三つの危うさの一つとして「感情の一体化」を進めてしまうテレビ、そしてそれが進めば進むほど、今度はその感情に寄り添おうとするテレビの持つ危うさ。こうした流れが生まれやすいことを、メディアに関わる人間はいまこそ強く意識しなくてはならないと思う。
満州事変/支那事変(長い長い日中戦争)/アジア・大平洋戦争/では新聞が大きな役目を果たしました。「大本営に強要された」「弾圧が怖かった」と言い訳しますが、あの戦争はもとは「新聞があおった」のです。新聞が冷静に真実を伝えていたら日本の歴史は変わっていたか。官憲に弾圧されたか。新聞が民衆に袋叩きされていたか。わかりません。でも「あの戦争を反省する」という出発点を忘れてはなりません。
いま国民をあおる役目を果たすのはテレビです。そしていまも、日本人はテレビであおれば、燃え上がる危険性をもった民族です。