古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

大阪なおみが3回戦を勝ちあがりました。

2021年02月12日 16時48分16秒 | 古希からの田舎暮らし
 テニスは素人が見ても「わかりやすく、見やすいスポーツ」です。コートの大きさもちょうどいい。テレビでも応援しやすい。年に4回あるグランドスラム(全豪/全仏/ウインブルドン/全米)で日本の選手が出場すると見逃せません。
 一人勝ち残っている大坂なおみ選手が、今日は3回戦を勝ちあがりました。全部で7試合勝ち抜くと優勝ですが、とりあえず第一週の山を越えました。去年は3回戦で、15歳のアメリカの選手に、アッサリ負けてしまいました。コーチ交代の問題もあり、ミスが多く、試合になりませんでした。
 今年はちがいます。コロナ下でもトレーニングを積み、体づくりに精進し、コーチと作戦を練って試合にのぞんでいます。
 今日の試合相手は手強かった。こちらはサーブが入らず、ミスが出て、「どうなるか」とハラハラしてテレビを見ました。でもなんとか勝ちました。おじいさんは、この歳になるとドキドキするのを好みません。「いやー、強いなー」と言いながら、悠々とテレビを見るのが好きです。
 でも試合があると見てしまう。これからの試合もなるべく楽勝しますように。
 そして優勝しますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御坂神社の『御弓神事』を見ました。

2021年02月11日 21時13分21秒 | 古希からの田舎暮らし
 三木市の市報に「御坂神社の『御弓神事』が2月11日にある」と載っていました。いい天気で暖かくなりそうだし、「行ってみよう」と出掛けました。10時からとあるので9時30分頃に着いて待っていました。拝殿で神事をやっているらしく、弓はなかなかはじまりません。
 能舞台のほうでまず「鬼の四方払い」、それから巫女の舞がありました。

 見物客は100人超で、みなさんおとなしく待っています。全員マスクをしています。マスクをしていない人は一人もいませんでした。こういうところは日本人は従順というか、おだやかというか、まわりに合わせる雰囲気がありますね。
 11時近くなってやっと「弓を射る神事」がはじまりました。畳2枚大の的です。

 2人でひと組の射手が、3組登場します。それぞれ2本ずつ矢を持ってしずしずと登場して、18メートル先の的に矢を射ます。「2本射る」を5回繰り返しますから、2本×2人×3組×5回です。60本の矢を射ることになります。

 射手は肌着に片肌ぬいだ姿で射ます。寒い日でなくてよかった。
 お昼近くなってやっと神事がおわりました。帰り道に和食の「悠庵」の前を通りかかり、食事をすることにしました。道子さんはお昼弁当/ぼくはアナゴ丼/と少しぜいたくしました。コロナ騒ぎでお食事処も大変でしょう。この「悠庵」はぼくらが三木に引っ越した頃は建築中でした。何が建つのか。公民館か。と見ていたら和食の食事処です。この15年、来客との食事/母の99歳祝いの会食/100歳祝いの御膳取り寄せ/などで利用させてもらいました。
「このお食事処」と「蕎麦屋の稜庵」があって、ほんとにありがたい。どこにもひけをとらない。どちらもぼくらが引っ越してきた頃に開店したお食事処です。
「めぐまれてるなあ」と思います。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大坂なおみが2回戦を勝ちあがりました。

2021年02月11日 03時12分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 全豪オープン・テニスで、大坂なおみが2回戦を勝ちあがりました。圧勝でした。見ていていい気分です。8時ごろに寝て、夜中に起きて、夕方の試合をテレビで復習しました。
 テレビではいろんなスポーツが見られますが、自分が応援する種目/選手が勝ちあがるとワクワクします。昨日は朝から「夕方5時から2回戦がある」と意識していました。一日中落ち着きません。夕方の試合観戦中に眠くなるといけない。昼寝をしてテレビ応援にそなえました。
 今年になってからはほぼ毎日、電動ウォーカーで30分歩いています。それもパス。歩いた歩数は2000歩足らずでした。 
 明日・金曜日は3回戦です。また落ち着かない一日になるかな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝記『近衛文麿』から引用します。

2021年02月10日 20時30分25秒 | 古希からの田舎暮らし
図書館で『近衛文麿』(杉森久英 著)を借りて読みました。日中戦争(支那事変)はどのように拡大したか。近衛はどう働いたか。当時の様子を読んでみました。「なぜこんな始末になったか」を著者は書いています。引用します。


 日本と中国の不幸な戦争のことが問題になるごとに、その端緒となった盧溝橋の衝突を、どうしてうまく処理できなかったかと、近衛文麿の責任を問う論評が多い。近衛が軍の強硬方針に屈して、首相としての責任を行使せず、 …… 彼の弱腰を責めるのが普通のようである。
 ……  実を言えば、戦後、日中戦争について書かれた多くの論評は、一方的に日本の侵略と断罪するものが多いけれど、当時の日本人の心情では、決して一方的に侵略と片づけられるようなものではなかった。当時の新聞記事にいやというほど見られた「聖戦」「暴戻の支那」「膺懲」(注「中国はけしかららん。あの国をこらしめよ。」という意味)などの言葉は、それぞれに日本人の愛国心に訴える響きを持っていた。もちろん、それらの用語の多くは、そのころ軍が急に力を入れはじめた宣伝工作と、新聞のセンセーショナリズムから作られた流行語だったけれど、 …… 多少とも当時の日本人の正義感に訴える要素を含んでいたことも、否定できないだろう。 …… 日中戦争は、結局、泥沼に落ち込み、太平洋戦争に発展し、惨憺たる終末を迎えたが、その発端においては、それほどの大戦争になることを、誰も予期していなかった。 …… 近衛文麿は戦後の手記の中で、あのとき軍の強硬方針に反対することのできなかったことを悔やみ、一般に昭和史を論ずる人も、日本の侵略の意図とか、謀略とかいうことを言い立てて、はじめから途方もない野望のもとに行動したかのように言うけれど、実は、当事者にとっては、盧溝橋ははじめはちょっとした紛争に過ぎず、あの程度のことは、これまでにも何度もあったのである。だからこそ、近衛も石原莞爾も、それほどの大火事になるとも思わず、ちょっとした小火を消すための消防車を出すくらいの気持ちで、三個師団の派兵に踏み切ったものであろう。


 軍隊を持つ/国境を守る/相手の戦力はどうか/どれほどの戦力で守れるか/ …… という方向に走り出すと、歯止めが効かなくなる。
 力でなく、外交で、乗り切っていく。かつて多くの国民が燃えあがってしまい、大きな失敗をした国です。そこに思いをいたす。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全豪オープン・テニスを応援してます。

2021年02月09日 04時04分34秒 | 古希からの田舎暮らし
 全豪オープンテニスは昨日からはじまりました。2週間にわたってメルボルンで試合があります。日本の選手も10人出場します。試合に負けると「おしまい」ですが勝ち残ると優勝にたどり着きます。
男子の期待の星は錦織圭選手でしたが、一回戦で負けました。
 彼は一昨年からの怪我(ひじの故障で手術をした)で去年は「鳴かず飛ばす」でした。「今年はやるぞ」と期待しましたがダメでした。ほかの男子も女子も一回戦で負けて、勝ち残っているのは大坂なおみ選手だけです。
 2週間どころか初日で「長らく待ったたのしみ」がなくなるところでしたが、よくぞ勝ってくれました。しかも「気持ちのいい勝ち方」で。夜中にテレビ(NHKとWOWOW)を見て、勝った試合をしっかり復習しました。ぼくが復習しても何の役にもたちませんけど。
 
 昨日「外出をひかえよう」とおじいさんは反省したばかりですが、また買い物に出ることを考えています。道子さんは昨日、淡河の道の駅でネコヤナギの枝を買って花瓶に挿しました。なかなかいい。「裏山にネコヤナギがあってもいいね」という話になり、明幸園に行くことにしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『淡河・道の駅』は立派になっていました。

2021年02月08日 19時22分19秒 | 古希からの田舎暮らし
 村のお宅に用事があって、歩いて出掛けました。途中、道子さんが「マスク忘れた!」といいます。
「村の中でも人を訪問するのはマスクしないと。とりに帰ろう」。坂道をのぼって帰りました。玄関にたどり着くと息がきれます。「車で行こうか」/「そうしよう」/。
 用事をすませて、「ちょっとドライブしようか」。気のむくままに道路を走り、旧瑞穂小学校(現三木市老人大学)の横から神戸のほうに走りました。
 着いたところは『淡河・道の駅』。見ちがえるようなきれいな建物になってる。一年ちょっと前に建て替えたそうで、スーパー並みのきれいなお店です。知らなかった。

 農産物中心に手芸品もいろいろ並べてあります。十割蕎麦のお店もあります。評判らしく、お客さんもよく入ってます。
 ここで蕎麦食べて帰ろうか。いい蕎麦でした。前の食堂とちがい、とてもきれいです。

 駐車場の向こうに淡河城が建ってます。電話ボックスよりちょっとだけ大きいお城ですが「ほんとにあんなお城だったのかなあ」。見ると坂道がついていて、登れそうです。

 春になって、体力が充実していたら登ります。でもちょっと魅力の乏しいお城です。
「コロナコロナで世間は騒いでるのに、いい気なもんだ。ちょっとブラブラし過ぎだよ、おじいさん」と言われそうです。自分でもそう思います。街の人が家にこもって、我慢しているのは「大変ですね」と思います。そんなに出掛ける気はないつもりなのに、なぜかよく出掛けています。反省します。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バード・フィーダーは大繁盛の予感

2021年02月07日 19時22分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 家の中でダラダラ時間が過ぎていく日でした。でもうれしいことに「バード・フィーダー」がまともに見えます。窓から4メートル足らずです。前に写真を載せた、お腹の黄色っぽい野鳥が今日は餌台に飛び乗って粟粒を食べています。しばらくすると2羽で飛んできて、近くの枝や餌台に乗ります。夕方見ると3羽の野鳥が餌台のまわりを飛んだり、餌を食べたり、地面の餌をつついたりします。
「あそこに粟粒があるよ。行こうよ」と友だちを誘ったのでしょう。何という野鳥か。道子さんの調べたところでは「アオジ」か「ノジコ」のようです。名前にも姿にも馴染みがありませんが、とにかく野鳥が見える。今朝はヒヨドリが餌をついばんでいました。ヒヨドリは歓迎しないけど。
 雌のルリビタキ/メジロ/ウグイス/シロハラ/などはまだ飛んできてませんが、もうすぐ慣れてくるでしょう。餌は毎朝たしておきます。
 野鳥たちのあいだで評判になって、バード・フィーダーが大繁盛したらうれしいな。

 しばらくテニスの試合がありませんでしたが、明日から全豪オープン・テニスがはじまります。明日は朝から大坂なおみの一回戦がはじまります。テレビで応援観戦します。去年は全米オープンで優勝したし、この大会も優勝候補だし、調子はわるくないし、応援がたのしみです。
 男子の錦織圭も出場します。どこまで勝ち上がれるか。いま順位は下がってるし、一回戦の相手が前に辛うじて勝ったカレーニョ・ブスタだし、きびしい。
 これからの2週間、なるべく長く応援できますように。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝光寺に行ってみました。

2021年02月06日 15時06分12秒 | 古希からの田舎暮らし
 陽が射して、早春の空気が気持ちのいい日です。用事で出掛けた帰り道、「いい天気だし、ちょっとドライブしよう」と車を走らせました。
 どこに寄るか。まず加東市のパン屋さん:「カンパーニュ」でパンを買って、朝光寺にドライブすることにしました。
 国宝の朝光寺には、(たしか)2年前にコンサートがあって聴きに行きました。ドイツ歌曲の第一人者・バリトン:小松英典さんのコンサートがお寺の本堂であったのです。チケットは完売で入れなかったのですが、結局なんとか入れてもらい、ドイツ歌曲を聴きました。
 お寺の本堂で聴く歌は心にしみました。

 今日の本堂の写真です。ここにピアノを持ち込み、パイプ椅子をぎっしり並べて、数百人が小松さんの歌曲に聴き入りました。
 次の写真は本堂の正面です。上には手前・山門の屋根が写っています。しばらく眺めていると、堂々とした本堂の存在感が迫ってきます。

 写真で見るのと実際に見るのは、まったくちがいますね。
 それにしても、緊急事態宣言とかで「不要不急の外出は自粛するように」となっているのに、マスクもはずしてしまって、ぶらぶらするなんて。
 だれもいないんだから、ま、いいじゃありませんか。
 思いました。パソコンやスマホでも交流というか〈やりとり〉はできるけど、やっぱり本物がいい。80歳超のおじいさんでもそう思うのですから、世間のみなさんは本物にふれるのを切望しているでしょうね。いつまで「我慢せよ」というのでしょう。
 本堂で「コロナはやく終焉をむかえますように」お祈りしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野鳥が餌台で粟を食べていました。

2021年02月04日 16時44分42秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日のブログに写真を載せた野鳥が今朝、餌台で粟粒を熱心に食べていました。「写真写真!」と思いましたが「いまガラス窓をあけるのはやめよう」と見るだけにしました。あわてなくても、これから写真を撮る機会はあります。じっくり待つことにします。
 春になったら我が家においでください。裏山を散歩し、花見をし、花見デッキやテントハウスでぼーっとして、くつろいでいただけます。ひとりのときは「ノー・マスク」でもいいですよ。

 新聞に週刊誌『週刊現代』2月6日号の広告が載っていました。
『70歳すぎたら「やめること」「捨てること」「離れること」 …… きょうだい、子供、友人との距離の取り方、縁の切り方、嫌いな嫁や知らない甥に財産を渡さないと決める/リフォームは絶対にしない。引っ越しや老人ホーム行きもやらない/人間ドックもサプリも運動も、やめたらこんなに楽になった/。 
 一週間過ぎたら新聞に『週刊現代』2月13日号のこんな広告が載っています。
『この世を去る前にあなたがやっておくこと …… 「やり残したこと」/「やり忘れたこと」
残していく夫に、妻に、何をしてあげられるか …… 私が捨てたもの/私がやめたこと/同居も生前贈与もちょっと待って 子供たちに何を話しておくべきか/長年住んできた家は、絶対に売ってはいけない、引っ越してはいけない/。
 この広告を見て「ちょっとこの週刊誌読んでみようか」と思われたら、あなたもかなりいい御歳ですね、ご同輩。
 実は我が家ではこの週刊誌を買って、道子さんがまず読み、ぼくは「ちょっと遅過ぎるけど、読んでみようか」と思っているところです。
 いろいろ考えても、考えなくても、遅かれ早かれ、その《時》はきます。読むのはこれくらいにしておきます。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

餌場の棚に止まれ!

2021年02月03日 22時22分36秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日も樹の名札をつけてまわりました。いまお借りしている裏山はなだらかな地面が数百坪あって、そこから斜面がはじまります。平らな地面だったので、いろいろな木を植えたのです。竹藪の縁にもとから生えていた樹もあります。名札は全部で50枚超つけてまわりました。
 50種類超の樹木が生えているわけです。竹を伐り木を植えて、結構豊かな裏山になりました。油断するとまた竹がはびこってきますが、ぼくの体の動くうちは竹を伐ります。
 野鳥の餌場ですが、あの棚にはなかなか止まってくれません。地面にまいた粟粒はつついています。しかし上の棚に飛び上がってくれない。
 これは何という野鳥でしょう。

 すずめよりちょっと大きめです。餌場の下の地面で粟をつついていました。道子さんが野鳥図鑑で調べてくれたのですが、どうもはっきりしません。
 今日は、休み休み、名札をつけてまわりました。キウイデッキのキャンパスチェアで休んでたら、ルリビタキの雌がぼくのまわりにずっといます。「ヒッ! ヒッ!」と鳴いて、尾っぽを上下に振り、飛んでは止まり飛んでは止まり、します。
 写真に撮りました。

 次の仕事は「斜面の下生えを刈る」ことです。温度が低いと電池式草刈り機は弱いようです。もう少しあたたかくなってから刈ることにします。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

裏山の樹に名札をつけました。

2021年02月03日 01時38分51秒 | 古希からの田舎暮らし
 昨日は裏山の樹に名札をつけました。幹や枝ぶりが樹によってちがうので、つけ方をイメージしてから名札に穴をあけます。28枚の名札をつけるのにかなり時間かかりました。
 名札をつけてみると「なんかいい感じ」です。
 窓から「小鳥の餌場」を見るのですが、なかなか餌場に飛んできません。下の地面に粟粒をまいておくと、スズメ/ジョウビタキ/ルリビタキ(雌)などがついばんでいます。でも餌台には止まりません。あそこには餌も水もミネラルもあるのに。
 一瞬止まった小鳥もいましたが、すぐ飛びたってしまいました。
 竹が生えてきているので、冬の間に伐ることにします。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街に暮らしてたら何してるかな。

2021年02月02日 02時46分46秒 | 古希からの田舎暮らし
「オレの人生は『ワープロ止まり』でいいんだ。パソコンなんてややこしいモノはご免だ」。
 定年退職した頃はワープロという文明の利器にほれ込み、「ワープロで手紙や作品を書くんだ」と思っていました。しかしデジカメが〈30万画素⇒200万画素⇒400万画素 ⇒ ……1600万画素〉と画質がよくなり、自宅で簡単に写真プリントができるようになると、道子さんのパソコンを利用するようになりました。
 そしてパソコンになれた頃にブログ発信を教えてもらい、2009年3月からこのブログを書きつづけて、もうすぐ満12年になります。発信は3284回です。(途中2016年頃の『とりあえず80歳へ』603回もあわせて)
「老後の年金生活なのに、よくも書く材料があったものだ」。と自分でも思います。実はツルハシをふり上げて裏山の樹に寒肥をやってから、疲れて3日ほど家の中でダラダラしていました。すると「ブログを書こう」と思っても書くことがない。朝から晩までずっと家の中にいると「今日何をしたかな」と考えても何も思い浮かびません。
 50歳を越えたとき、なぜか神戸の合唱団に入りました。年末の『第九』/ハイドンの『四季』/カルミナ・ブラーナ/などを毎週練習して、暗譜して、歌いました。「何か書いてみよう」と思い立って小説や児童文学みたいなものを応募したこともあります。合唱は62歳まで。書き物はせいぜい70歳まで。
 69歳のときに田舎暮らしをはじめました。これだけブログがつづいているのは、その「田舎暮らしのお蔭」です。田舎は、80歳を過ぎても、外で何かできる。
 見ず知らずの土地=三木の田舎に落下傘で飛び降りるように暮らしはじめて、15年目になります。よくもまー、田舎暮らしに踏み切ったものだ。自分で感心します。
 そして「私の人生へのたくさんの恵み」に感謝します。
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

焚き火/名札付け/買い物/1万歩

2021年02月01日 20時21分28秒 | 古希からの田舎暮らし
 午後は雨が降る予報でした。先日畑から焚き火場に運んだ「皇帝ひまわりの枝」を、燃やすんだったら昼までに。
 朝から燃やしました。一本の苗からの伸びた幹/枝/はかなりの量です。

 皇帝ひまわりの幹は水分が多くて、燃えにくい。落ち葉をたして燃やしました。それでも燃え残りそうだったので、半分は竹藪に突っ込んでおきました。
 燃やしながら、樹に名札をつけていきました。

「なるべく下のほうにつけてよ。子どもたちが見れるように」と道子さんにいわれてます。村の公園みたいに村人に親しんでもらいたい。いい心掛けです。
 樹の名札は道子さんが漢字で書き、ふりがなをつけました。雨でにじまないようにラッカー・スプレーをかけました。
 名札は28枚書きましたが、まだ足りません。「長さ45センチ・7枚束で600円」の桧の板を半分に切って名札にします。午後は買い物に出掛けました。三木市も人出は少ない感じだったかな。
 夕食後、スーパーウォッチで今日の歩数を見たら「11231歩」です。一万歩超歩いた気はしないけど、外で何かするとそれなりに歩くもんですね。昨日は家の中にゴロゴロしていたので2000歩足らずでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする