hiroshi hara: saxophoniste

日々の思考の断片

絶対音感

2007-04-07 21:51:21 | 日常
リンクさせていただいている井上麻子さんの「絶対音感とサックス」を読んで共感し、コメントさせていただこうかと思ったが、長文になってしまったので、トラックバックしつつ拙項にて書きたいと思う。

確かに中高吹奏楽部では記譜上の音の高さをイタリア音名(ドレミ)、実音をドイツ音名(C,D,E,Es等)で呼ぶ風潮がある。

実音を知る意味は、異種移調楽器が集まる吹奏楽で、共通する音の高さを即座に認識したり、音を合わせたりするためにある。
ただ実音を知ることと同時に、自分の受け持つ移調楽器と実音との関係を知ることは同じくらい大事で、多くはそちらをないがしろにしている結果として生じるものなのだと思う。

また絶対音感が仇となって移調楽器の隔たりに苦しむ人もいる。
厳密に言えば「音」が問題ではなく、音と言葉の関係、つまり音の高さに絶対的な音名をあてがってしまい、はばからない状態が問題なのだと思う。
音名に固執せず、相対的に柔軟に対応できればと思うのだが、そんなに簡単なことでもないようだ。

私は絶対音感を持っていないのでその苦しみはわからないが、例えば信号機の「青黄赤」を「黄赤青」と言わされるような感覚なのだろうか。
だとしても結局は慣れてもらうしかないだろう。
別の音名(英語や日本語など)をあてがってみても良いかもしれない。

どちらにしても、ある程度のレベルになれば、持ち替え、読み替えは避けて通れないことになる。
他の楽器を見ても、フルートならアルト、バスフルートへ、オーボエならコール・アングレへ持ち替えの可能性がある。
ファゴット、トロンボーン、チェロは2種類の音部記号を読まなければならないし、ヴィオラに持ち替えるヴァイオリン奏者など、持ち替えと読み替えを同時に行わなければならない。
伴奏するピアニストも然りで、楽譜のソロパートを目で追いかけるときに、少なからず移調された楽譜と実際の音との隔たりを体験するはずだ。

絶対音感、移調楽器、移調楽譜等、どれが良い悪いという問題ではなく、その全てを時間をかけて知っていかなければならないのかもしれない。