幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

たくさん持っている

2014年08月25日 17時04分07秒 | ひとりごと
ここに幸あり 炎暑の木陰


 これを自由律俳句と言えるかどうか。
たとえ俳句と言ってはみても、なんともまあ、お粗末であることは確かであろう。



 が、こんなふうに他愛もないことに焦点を当て、それを「幸せ」と認識すれば
毎日が幸せなことばかりになっていく。


 たとえば・・・・・

 私の場合一週間の便秘などざらだから
一日に一回でいいから○○様がお出ましになると
それはもう、有難くて有難くて、つい手を合わせて感謝してしまう。

 それがもし、ほんとうにストンと、すっきりだったときには
ずーっと、半日くらい、その感覚が体に残り、気持ちよくて気持ちよくて
チョー幸せなのだ。

 当たり前に、毎日しっかりとある人にはきっとこれほどの幸せ感はないかもしれない。

いや、「ない」のではなくそこに意識を置かないだけなのだけれど。





 3・11の震災にしても、今度の木曽や広島などの雨の災害にしても
それまで当たり前だったことが突然奪われてしまっている。


 失くして初めて大切だったことを意識できることが私たちの周りにはありすぎる。
それほど私たちはいつだって与えられているということだろう。




 今、こうして、このブログを書いていることさえも
息をし、心臓が動き、目が見え、手が動き、パソコンがあり、電気が来ていて、字を読み書きできて・・・・・
と、細かく数え上げればきりがないほどだ。



 私たちはたくさんのたくさんの幸せを与えられている。
そのこといつも意識し、感謝して暮らすならば、どれほど毎日が豊かなことだろう。


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