幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

曼殊沙華を詠んで思う

2022年09月16日 12時40分15秒 | ひとりごと
 2022・9・16 

いつのまにやら、彼岸花真っ盛り。
先日まで、長野にいた私は岡崎に戻ってちょっとビックリでした。

私という存在の有無にかかわらず、季節は確実にめぐっているのですね。  

 ほんと、きれいです。



曼殊沙華あっけらかんと道の端
 
 夏目漱石

こんなふうにそれこそ〝あっけらかん〟と曼殊沙華を眺められるっていいな、って思います。

漱石はあっけらかんと曼殊沙華(笑い)


私の中でこの花はどうしても「陰」な感じだったり、情念を燃やすイメージだったりします。
山頭火の

いつまで生きる 曼殊沙華咲きだした


や、黒田杏子の

ひとり往けひとり悲しめ曼殊沙華

が強くて印象に残っていて、ちょっとハードな花なのです。
挙句の果てには山口百恵の「曼殊沙華」という歌が好きだったものですから、
どうしても激しい恋、叶わぬ恋の女心に結びついてしまいます。

いまさらながらに教え込み、思い込み、というものの怖さを感じます。
若いころに知った詩歌が、もっと明るくて軽いものだったなら、
私の中の曼殊沙華はもっと楽しい花になっていたでしょうにね。



夫婦の虚実 並んで歩けど曼殊沙華

長旅や戻ればすでに彼岸花

異郷の地ひとりで眺める曼殊沙華

葉みず花みずまたもふたりはすれ違う



作れども作れどもわが俳句軽くならざり じっと内を観る・・・になっちゃいます💦💦💦

幼いころに見聞きしたもの、感じたことに私たちは大人になっても影響を受け続けます。
でもそれがしんどいならば、いつでも転換してしまえばよいだけのこと。


重たい過去の記憶やくくりを

「や~~~~めた!!
 もういらな~~~い!!!」

と遠くに投げ捨ててしまえばよいのです。

それをするかしないか、この瞬間の自分の気持ちと決断次第なんですねぇ~

というわけで、私の中の曼殊沙華のイメージを転換して、しあわせに明るく読んでみましょうか。

曼殊沙華この赤きれいと孫の言う

かたぐるま親子三人曼殊沙華


今年またいつの間にやら曼殊沙華

彼岸にはまだちと早かろう紅き花

曼殊沙華ベタでも似合うぞ黒揚羽

笑いあう若きふたりよ曼殊沙華

・・・駄作ばかりではありますが、イメージは転換できたでしょうか。

曼殊沙華、彼岸花、葉見ず花見ず、
色々な名前はあるけれど、この時期だけのいさぎよい花であることには変わり在りません。

「生きている」それこそ意義なり曼殊沙華 みこたま

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