生きていることは楽しい。
そう思えれば、すでに幸せ。
本当はみんな宇宙からそれぞれの「幸せ」が与えられているのに、
そのことには気づきにくい。
頭で考える「幸せ像」があるゆえに、
こうならなきゃ幸せじゃない、とか、
こうなったら幸せ、・・・みたいに思ってしまうのがつねです。
他と比べることも「自分の幸せ」から遠ざけてしまいます。
自分に与えられている環境は「今生を生きる」という「体験」をするのに最適なもの。
そのことに気づけば、いろんな幸せが見えてくるんですけどね。
ところで、じゃあ、「死ぬこと」はどうなのか?
病気で死ぬこと、事故で死ぬこと、老衰死。
「死ぬ」という事実だけを見ればどれも一緒。
死に方に不幸も幸せもないはず。
そもそも「死」があってこそ「生きる」は価値のあるものとなります。
最近「トッケビの花嫁」「星から来たあなた」というビデオを見ました。
手塚治虫の「火の鳥」を読み直しています。
共通するのは何百年も何億年も生きることのむなしさ。
「死ねない」「いつまでも若い」ということの苦痛。
「生きる」には「死ぬ」というタイムリミットがあるからこそ
貴重な輝くものになりうるのでしょう。
そしてまた、いつ死ぬかわからない、ということさえも
「生きる」ことをより魅力的にする演出に他ならないはず。
早逝だから不幸?!
長生きすれば幸せ?!
事故や病気で死んだら不幸?!
長生きすれば幸せ?
そろそろ、そんな概念は捨ててしまったほうがいいよね。
残りの日々が短いとわかった人の今日はとてつもなく大切なことでしょう。
でも、明日があると信じているほとんどの人だって数分後に死ぬ可能性はあるんです。
そう思えば「今、この瞬間」がどんなに貴重なことか!!
「死ねる」からこそ「生きる」が輝くのです。
「死ぬ」ことも「生きる」ことも同じレベルで「幸せ」なのだと思います。
生かされていることに感謝して、
いつ死ぬかわからないことに感謝して、
「生きる」=「体験」をより充実させたいなぁ、と思うこの頃です。
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