『Piace』 peace (平和)とpiece(一片)を掛け合わせた造語らしいです。(学校のテストで「piace」と書いても不正解です)
一人で平和を実現することは難しいけれど、一人ひとりが想いと行動を重ねることによって、平和が実現できるという思いが込められているのかなぁと想像してみます。
戦後65年が経ち、戦争について語れる世代の方が80歳を超えてきました。あと20~30年もすれば日本人で戦争を経験したことのある人はいなくなっているかもしれません。私たちは本当の意味で戦争を知らないまま、次世代の子どもたちに平和を語っていることが出来るでしょうか?
幸いにも僕は高齢者と話す機会に恵まれています。「あの時代のことを思い出せば、今のことで不足を言ったら罰が当たる」「人が人を殺すなんてなぁ、酷いもんじゃ」など・・・。
皆さんが口々に言われるのは、「戦争は醜い」ということです。
そして、話を聞いていて忘れられない言葉があります。
「あの戦争で誰が幸せになったんかのぉ・・・。」
東京都内の113歳の女性が所在不明になっていることが発端となって、各地で所在不明の高齢者がいることがニュースで取上げられています。
このことを受けて、長妻厚生労働大臣が高齢者についての実態調査を行なうことを明言しました。まだ調査方法などははっきりと分かっていませんが、高齢者福祉に携わっている身からすれば、また仕事が増えるんだなというのが正直な印象です。
さて、このニュースについては色々と思うことがあります。まず、人間としてのモラルはどうなっているのかと。ニュースによれば、本人が亡くなっているにも関わらず、年金やお祝い金を平然と受け取っていたとのこと。
一人の人間が生まれてきて、喜びや悲しみの時を過ごして、最期を迎える一つの人生が締め括られたにも関わらず、その人生を勝手に食い物にするなんて信じられません。
今回のことで、行政側のチェック機能を問題視する意見が出ているそうですが、それは違うと思います。明らかに、私たちのモラルの問題でしょう。
もし行政側が本人確認できないと全ての手続きが出来ないとするならば、手続きの代行などは不可能になります。そうすれば、身寄りの無い人たちや要介護者は非常に困ります。
どうかお願いです。一人の人間の人生を正しく終わらせてあげてください。