虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

備後天明一揆

2007-04-22 | 一揆
手のひらサイズの小さな一揆の本がある。
芦田川文庫「備後天明一揆」(徳田太郎著、約150ページ)だ。ネットの古本屋で手に入れた。

芦田川とは、備後福山地方を流れる川。
備後一揆とは、天明6年12月から翌年の3月まで福山藩(安部正倫藩主)で闘われた大一揆。この一揆についての記録は、日本庶民生活史料集に「安部野童子問」があり、この文庫は、主に、この記録を中心に平易に一揆をまとめてある。
「安部野童子問」という書物は、浪速城南隠士という人が、備後鞆の銘酒「保命酒」を独酌し、うつらうつらしているとき、忽然と童が現れ、われは安部の童子なり、この書をさずける、といって消えた、というスタイルではじまる。一揆の記録には、よくあるスタイルだ(公然とは物語できない)。内容もおもしろそうなのだけど、まだ読めていないので、この小さな文庫は参考になりそうだ。

一揆にはほとんど侍はいない、テレビドラマの「3匹の侍」はありえない、と以前、書いたけど、この一揆には、武士も首脳部に参加していると書いてある。そういえば、南部一揆にも武士の影があるし、藩内の対立の激しい家では、藩から追放された者もいたかもしれない。「山中一揆」の首謀者の一人である「日名田の半六」という百姓も、もとは備後福山浪人で、竹内流柔術家の高橋半六だという説もあるそうだ。また、この「安部野童子」という一揆の記録を書いた人は、古くから菅茶山(一揆の年、藩から教授にむかえられるが断っている)であるとか、福山藩士であった田辺玄庵(一揆に関わったといわれる)ではないか、という説もあるようだ。

著者は1911年生まれ。まだご存命としたら、95歳。この文庫が出たのは昭和63年。著者の写真も載っていたが、もう白髪白髭の老人だった。