虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

堺利彦全集

2006-05-21 | 読書
図書館から堺利彦全集全6巻(法律文化社 川口武彦編)を借り出してきた。

堺利彦。明治3年豊前豊津出身。日露戦争に反対して万朝報を退社し、幸徳秋水とともに「平民社」を設立して「平民新聞」を出したことは有名だ。司馬の「坂の上の雲」の秋山真之と同世代で、立身出世に胸膨らませた明治青年の一人だ。
幸徳秋水死後の暗い「冬の時代」も社会主義、平民主義の理想は絶やさず、大正デモクラシー、昭和と平民の立場からの著述、運動を続け、後年、日本の社会主義運動の父といわれる。

虎尾の会の清河八郎が、幕末の反体制運動のキーパーソンだとしたら、堺利彦は、明治大正の反体制のキーパーソンだ。明治大正の虎尾の会主人だ。この人を無視した明治大正史はないはずだ。

二人の人物像は対称的だ。もちろん、時代の違いもあるけど、八郎は、自ら英雄豪傑を任じ、家庭も命も犠牲にして国事に奔走する志士だが、堺は、凡人を任じ、家庭を大切にし、よき生活者であろうとする。あえて英雄豪傑を否定する。
幸徳秋水の方がむしろ清河八郎的かもしれない。画像を見ても平凡ですよね。
小田実は、この人(堺)こそほんとうの革命家だとどこかで評価していたような記憶があるが、わかる。

でも、堺も地に足の着いた志士であることはちがいなく、暗殺されかかったこと2回、投獄されたことが2回もあり、畳の上で死ねたのは僥倖といえる。

人にあたたかく、友人を大切にし、酸いも甘いも知りつくした苦労人で、広さと深みのある、ほんとに「いい人」。こんな先輩や友人がいたらほんとに頼りになると思う。
清河八郎と同じく、友人知己は多く、当時の良心的知識人はどこかで堺とつながりを持つ。

全集をペラペラとめくってみたけど、堺らしくとても読みやすい。とかく、社会主義とか、政治的な文章は難解なのが多いけど、この人のはだれにでもわかるように淡々と書く。あまりにわかりやすいので、もっと深みやうがちがほしいと物足りなく感じるほどだ。大塩騒動や秩父騒動の文もある(百姓一揆の記事がないのが残念)。

今なら、格差社会をどうするか、とか難しいことをいっているけど、堺なら、資本家階級の紳士閥と平民との差ができるのは、資本主義上、当たり前だ、というでしょう。あたりまえのことを簡単にいえないのが平成の今。いつのまにか社会主義という言葉も禁句になってしまったけど。

共謀罪というのは、きっと堺利彦のような人物やグループを出現させないための対策だと思っている。
社会主義運動グループというのは、資本主義の国では、組織的犯罪集団となる。
大新聞社は、共謀罪に反対しないはずだ。おっと、話がそれた。

全集では、第1巻の日記が興味深い。堺の長男は生まれるとすぐに病死し、奥さんも続いて病死するのだけど、こんな日記があります。
「これから先、ミチの病中、2年か3年か5年か知らぬけど、予は全くミチを養うために働こうと思う。予の功名心はそのあとで満足させればよい。予が国家社会のために働くことがあるならば、やはりそのあとで働けばよい。病みたる女房のある間は、その療養と看護とのために予の全力を費やして少しも残念でない」

あと、堺利彦は、樋口一葉の作品を尊敬しています。