虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

大庭柯公の「江戸団扇」

2006-05-23 | 読書
大庭柯公(大馬鹿公とよむ)については、ここで1度書いたことがある。
ロシア語を学び二葉亭四迷とも親交のあったジャーナリストだ。
堺利彦らとともに日本社会主義同盟の発起人に名をつらね、ロシア革命後のロシアに新聞記者として潜入するも、行方不明(スパイとまちがえられ、銃殺されたという説もある)。

ブックオフで「江戸団扇」(中公文庫)という江戸文化の随筆集を手に入れた。
この中で、大庭は、大塩平八郎を高く評価している。

例えば、こう書く。義侠の風は江戸の専売のように考えられているが、なんの、大阪には大塩がいる。東京人は、赤穂義士をあげるかもしれないが、あれはあくまでも封建時代の産物であって、現代では、もはや過去の記念にすぎない。これに反して大塩は、今日および今後、時代の進むにつれて、民衆的義人として永久に活くべき人だ、と。しいて東京に同類を求めるなら木内(佐倉)宗五郎か、しかし、スケールにおいては大塩におよばない。幡随院長兵衛などはただの一侠夫にすぎない。
大阪が江戸に対しての絶対の誇りは、淀屋辰五郎でもなく、鴻池でもなく、また懐徳堂でもない。大塩先生である、と大庭は書く。

今、大塩とか佐倉宗五郎はどのくらい知られているのだろう。また、大塩はえらい、とか佐倉宗五郎はりっぱだという言論人はどのくらいいるだろう。

平成の今、何の調査だかは知らないけど、一番人気のあるのが信長らしい。信長の名は子どもでも知っている。NHK大河がしつこいほど繰り返した成果だろう。
しかし、戦前、明治大正の時代、庶民段階で信長の人気なんかなかったはずだ。おかしいよ。

なぜ信長がいいのだろう?天下を統一したからか?なぜ自分を武将とか支配者、政治家の立場にして考えるのだろう。その発想がわからん。小泉首相と自分を同じ立場に見る発想なのか?あの時代に生まれていたら、ほとんどの人は武将ではなくて、農民のはずだ。農民にとってみたら、信長はたまらん支配者かもしれない。信長は天下統一を早めた、とかいうけど、天下統一がもっと遅れ、もっともっと統一されない混沌とした時代が続いていてもよかったのではなんてことも思う。支配者としては、まったくなってなかった室町時代、庶民の力はけっこう自由で豊かだったそうではないか。