虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

愛媛県警 巡査部長 仙波敏郎

2010-08-10 | 日記
愛媛県警の「裏金」を内部告発した元巡査部長仙波敏郎は、今、最も注目されている人かもしれない。阿久根市の市長から副市長になるように頼まれ、現在、市政の改革に乗り出しているところだ。

この人は現代の大塩平八郎、あるいは、現代の草莽の志士ともいうべきか。
優秀な人材なのに、警察の悪事に荷担することを拒否し、定年まで35年間巡査部長。警察からは、さんざんの妨害、いやがらせを受けたようだが、巨悪の組織とたった一人で立ち向かうなんて、すごい人だ。こんな人が現代に、愛媛からあらわれたとは、愛媛人の誇りだ。現代人も捨てたもんじゃない(まあ、まだ、あまり詳しいことは知らないのだが)。

わたしの親父も愛媛県警にいた。30才くらいで辞職した。最初は南予の村の駐在をいくつか回り(その村でわたしが生まれた)、のち、松山の警察学校の教官になって、逮捕術などを教え、部長刑事(巡査部長)もしていた。なんでやめたかは知らない(裏金を拒否したわけではないだろう。給料が安かったためかもしれない。その後、水商売を始めたから)。

ふだんは布袋さんのようなやさしい顔をしているのだが、ふとした時に、刑事の鋭い目つきを見せるときがあって、そんな時は震え上がったものだ。

幼児のころは、本物の拳銃や手錠をさわらせてもらった。「拳銃は当たらない。至近距離でもはずれるものだ」なんて言っていた。畑の肥だめに死体が沈んでいた村の殺人事件も解決したそうだ。深夜の張り込みで、墓場はかえってにぎやかな感じで(死人が話をしているようで)あまり怖くないが、神社はこわい、といっていた。人に語っているのを子供の頃、横からそっと耳にしただけだけど。

警察学校には運動会というのがあり、派手な仮装行列などもあり、見に行ったことがある。また、警察の花見会は松山城でやっていたのを覚えている。

敗戦後の警察は村の人からは「民主警察!」などと声をかけられることもあったそうだ。
その後、サラリーマン(営業マン)になったが、警察には青年期の10年近くを過ごしたせいか、テレビドラマ「七人の刑事」とか刑事ものはよく見ていた。警察をやっていたほうがよかったか、という思いもあったにちがいない。

仙波敏郎が愛媛県警に勤めだしたころ、警察の幹部はおそらく親父と同期の人だったろうと思う。親父が生きていたら、きっと愛媛県警の仙波敏郎の闘いには強い関心をもったはずだと思う。


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