虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

明治の人

2011-01-12 | 日記
「トイレの神様」はおばあさんとの生活を歌ったものだけど、わたしは、祖父、祖母とは共に生活したことがない。

昨年末に祖母が102才で亡くなったが、祖母とは30年ぶりくらいで対面した。

祖母は9人の子供を生んだ。息子は3人がすでになくなっている(娘はみんな元気)。

宇和島吉田町では苦労ばかりしてきたようだ。吉田町にたった一人で暮らしていたので、たしか80才ころから四国を出て、娘のもとで過ごすようになった。

明治の女性がそうだったように、苦労の始まりは結婚からだったかも。
女学校を出ているのだが、祖父の遊びをやめさせようということか、かなり早く結婚させられたらしい。祖父は10才くらい年上ではなかったか。

祖父は、網元の末っ子にうまれたぼんぼん。派手好きで、景気よく、大きな家を構え、事業もしていたが、遊び人。芸事はなんでもこなし、都々逸など即興で歌い、芸者さんによくもてた。
お妾さんも囲っていた。
わたしは、この祖父の名を一字もらっているけど、祖父の遺伝子があるかもしれぬ)


戦争中、船舶を戦争に徴収されたりして、戦後は事業は倒産。祖父は、子供たちを祖母にあずけて九州のお妾さんのもとに。

たいへんなのは祖母だ。昭和30年代、上の子たちは何人かは独立して巣立ってはいたが、まだ4人の子供は小学生から高校生までいた。

辺境のど田舎、吉田町に、中年の女性の働く場所などあるはずがない。
貧乏のどん底だったろう。このころ、わたしは、吉田町に預けられていたので、わずかな期間だけど、吉田町の祖母と接したことがある。
朝早くから夜遅くまでリヤカーをひっぱって行商をしていた。家は暗い倉庫のような狭い一室。寝る場所がないので、子供たちは押し入れで寝ていた。

10年くらいたって、祖父が帰ってきた。まさに父帰る、だ。子供たちは、父と母、二人に別々に仕送りをして支援していたが、これで仕送り先はひとつになったと安心していた。(子供は親に仕送りするものなのだ、と知った。おれも早く仕送りで生活したい、とずっと思っていたが、なんのなんの、今は親が子供に仕送りする時代になっている)

祖父は70才過ぎて亡くなる。好きなことをして過ごした人生だったかもしれない。祖父が陽なら、祖母は陰、無口でおとなしく、感情を激した姿を見せたことがない。子供たちの絶大な尊敬を集めていたのが、むろん、祖父ではなく、祖母だった。

葬式のとき、納棺された祖母の顔と対面した。100才を過ぎているというのに、しわが少なく、きれいな顔をしていた。思わず、ポケットからカメラを出してパチリと写してしまった。そのあと、すぐ気がついた。なんて、死者に対して無礼なことをするのだ。こんな振る舞いはふつう考えられない。カメラは画像を見ずにすぐ削除したが、ほんとにおれはどこまで常識がない、最低男なのか、とつくづく自分にあきれた。ごめんなさい、おばあさま。



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4 コメント

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Unknown (迎え酒呑太郎)
2011-01-12 20:18:48
荘太郎さん、今年もひとつ宜しくお願いします。

 リアルないい話で感動しましたが、一つだけ文句を言っておきます。
 「男は無責任」というのは、君と君のおじい様のことであって男全体に対して普遍化しないでいただきたい。おいらは、まだ二回しか浮気したことがないんだぞ!

Unknown (荘太郎)
2011-01-12 21:09:10
呑太郎さん、コメントありがとうございます。
こんな私的な身内話を読んでもらって恥ずかしいかぎりです。ご指摘、かたじけない。その通りです。早速、削除しました(笑)。感謝です。
Unknown (迎え酒呑太郎)
2011-01-12 22:15:13
あれれ!冗談だったのに、真面目なんだから…。困ったなぁ!
Unknown (荘太郎)
2011-01-12 22:29:49
いやいや、わかってるけど、文章全体として、あの「男は無責任」の文字は蛇足、必要のないものです。あとから読む人は、いったいどこに「男は無責任」という言葉があったか、クイズになります(笑)。

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