虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

宮崎兄弟資料館

2011-08-17 | 日記
宮崎兄弟資料館は、万田坑から車で約30分くらい。資料館と隣接して宮崎兄弟生家の建物もある。近頃の資料館は、モダンな近代的建物に、貧弱な資料展示というパターンが多いけど、ここは木造で、明治の青年にふさわしい、充実した資料館だ。

宮崎兄弟とは、四人をさす。年の順からいうと。

まず、宮崎八郎。兆民訳のルソー「民約論」に感激し、九州のルソーといわれた自由民権の闘士、西南の役に参加し、27歳で戦死。司馬遼太郎の「翔ぶが如くに」も登場するが、八郎については、あまり詳しく追っていないのが、残念だった。

宮崎民蔵。土地は万民のものである、と土地復権運動に生涯を捧げるが、国内ではほとんど注目されない。幕末、百姓一揆の中では土地は万民のもの、土地は均一に分けよ、という声もあったはずなのだが、明治以後はすっかり消えてしまった(土地は天皇のものだから?)。壮大な夢にかけた人だ。また、中国革命にも支援をした。

宮崎弥蔵。日本革命の前には、まず中国革命の志士となるべきだ、と、自ら、弁髪姿になった弥蔵、惜しくも若くして病死するが、その遺志は末弟寅蔵に託される。

宮崎寅蔵。ご存じ、宮崎滔天。孫文を支援した日本人として知られる。兄弟の中では一番の有名人だ。

館長さんらしき人がついてきて、話しかけられる。「孫文の革命が成功したからよかったけど、もし、そうでなかったら、滔天もただの狂人、あるいは侠人ですな」と言う。
「滔天は女性に持てたんでしょう?」「花柳界の女性は、大きな志を持った男に惚れるのですな。そんな男を支援するのが、自分たちの誇りだったのです」「今の女性だったら?」「馬鹿扱いですよ。見向きもされません。笑」「滔天は右翼ですか、左翼ですか?」と馬鹿な質問をした。内田良平や頭山満など右翼浪人との交流も深いので、聞いてみた。「左翼です」ときっぱり。「左翼」とは、弱い人々の立場に立つという意味だ。

この宮崎兄弟の夢というのは、現代でいえば、世界の人々を幸せにするには、まずアメリカに渡って、アメリカに革命をおこさなければならない、というようなもので、聞く人はきっと狂人に思うだろう。就職口なし、金なし、結婚相手なしの貧しい青年だ。

しかし、明治は、この変な若者と結婚した娘がいた。前田槌子さん。荒尾の名士のお穣さんだ。この超美人の娘さんは、有明海岸を素裸で、はだか馬に乗って駈けるのが日課だったそうだが、滔天はその姿を目撃して恋に落ちる。そして、結婚。しかし、この若者(滔天)は結婚しても、夢は変わらない。働かず、家にいつかず、貧乏暮らし。滔天に「お金がない。なんとかして」と訴えると、「革命のための金は作るが、妻子を養うための金は作れない」との返事。やっぱり、こういう男とは結婚しないほうがよい(笑)

宮崎兄弟伝では、荒尾市出身の上村希美雄の「宮崎兄弟伝」全5巻という詳細膨大な大長編史伝がある。
この資料館設立も上村希美雄さんの尽力があったそうだ。館長さんらしき人は、「1,2巻の日本篇は、あれは文学ですね。3,4巻のアジア篇になると、考証ばかりで横道にどんどんそれていっている。最後の完結篇は時間がなくてさらりと書いたようです」という。思わず、「ここでは、あの本の評価は高くないのですか?」と聞いてしまったほどだ。すごい本です、というと思ったからだ。でも、ひょっとしたら、これが肥後もっこす?肥後人は自己主張が強く、組織に向かず、議論が多くまとまらない、と聞いたことがあるが、ただ絶賛するだけでなく、必ず自分の意見も言う気質なのかもしれない。オレと似てる(笑)

最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
獅子の時代 の ココロだぁ (柿崎義藤)
2011-08-17 23:01:53
男が惚れる男… 坂本龍馬辺りが今時なんでしょうけど、大陸浪人なんかは近代が加味されていて格好良いっすね。そんな安易な見方はいけないんだろうけど。


そう言えば「孫文と梅屋庄吉展」なんてのを何処ぞでやってるみたいですね。


変革前夜なんですかね?
返信する
Unknown (荘太郎)
2011-08-18 14:53:56
まいど、こんばんわ。

司馬遼太郎も少年のころは、馬賊にあこがれたそうですね。大陸浪人、見た目はかっこいいけど、90パーセントは、資本家、軍隊の飼い犬だったのでしょうね。

>そう言えば「孫文と梅屋庄吉展」なんてのを何処ぞでやってるみたいですね

今年は辛亥革命、100年目の年ですからね。

ロシアについても、中国についても思うのですが、今の国の現状を見るとき、100年前の革命家たちの苦労や死はいったいなんだったのだろう?という思いにとらわれます。

いや、西郷さんだって、明治国家が成立したあと、竜馬をはじめ、多くの青年たちが変革のために死んだけど、かれらの死はなんだったのだろう、無駄だったのか、と悩んでいたようですね。

孫文ではないけど、革命いまだ、成らず、か・・・。
返信する
宮崎槌子のこと (桃魚)
2011-10-11 17:54:33
前田槌子は荒尾の名士の娘ではなく、みかんの里、小天の名士(第一回衆議院議員)前田案山子の三女。姉の卓子は漱石の「草枕」那美さんのモデルになった女性です。
返信する
Unknown (荘太郎)
2011-10-11 21:31:09
コメントありがとうございます。

小天も荒尾の一部だと思っていました。
前田案山子は荒尾の名士というべきではなく、小天の名士というべきなのですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。