虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

市村敏麿17 野村騒動①

2008-03-19 | 宇和島藩
景浦勉「伊予農民騒動史話」(愛媛文化双書)には、伊予の百姓一揆12件がおさめられている(そのうち、4件が宇和島藩)が、野村騒動は、そのうちの1篇でわずか12ページほどで,概略だけしか書かれていない。昭和34年に書かれたもので、主に藩庁の記録「奥野郷頑民騒擾始末」をもとにしたようです。残された記録は、藩庁か庄屋側の記録しかないようだ。それにしても「頑民」とはおそれいった。しかし、「頑民」、いい言葉ではないか。「頑民」になろう!(笑)

まず、かいつまんで書く。

山間部の農民は、紙の原料になる楮(こうぞ)、蝋の原料になる櫨(はぜ)の実を売って生計を支えている。紙も蝋も藩の専売事業だ。紙も蝋も製造販売は、藩と結託した庄屋たち(商業資本家化している)。儲かるのは藩と庄屋のみ。

ところが、慶応3年以来、櫨の実の価格が値下がりを続けている。櫨の実を売った銀で年貢(大豆銀納)をおさめるつもりが、それができない。

昨年は、凶作で、しかも、この物価高騰の時勢、とても年貢をおさめられる状況ではなかった。百姓たちは、櫨の実の値上げを求め、年貢の減免を申し込むが、庄屋の答えはこうだ。「おまえたちの田畑、牛馬、農具を売って納税の義務を果たせ」。

当面の要求は、藩に、櫨の実の価格を上げてもらうこと、税金を下げてもらうことだが、根底には、庄屋階級への怒り、不正を憎む心があるようだ。

景浦勉の本から、百姓たちの嘆願の内容を見てみよう。

①村役人が、田畑、牛馬、農具を売って納税せよと強要したのはまちがっている。大豆銀納は、免除されたい。もしできなければ、「年延」で納付できるようにしてほしい。
②庄屋が農民に課す夫役は重い負担になるので、廃止せよ。
③納税について村に相談もなく割り当て徴収するのは納得できない。
④まだ、年貢が「皆済」されないうちに、庄屋は米を酒造家に売って儲けをえている。
⑤村役人は、「役前」でありながら、商売に手を出しているのは不当である。
⑥藩の年貢らの会計ノート(帳面)は庄屋だけが見るのは不安だから、村の年行事にも見せてほしい。

すべて庄屋階級への厳しい注文だ。

こんな要求もある。
「庶政一新して、藩吏は「減石」となったにもかかわらず、庄屋のみは無役地を所有して富裕な生活を営み、徴税についても「村方」と相談もなく、独断専行のありさまで農民の怨嗟の的となっている。現今の庄屋職を全部罷免して、農民たちの入札で選出されるようにされたい」

宇和島藩の庄屋階級は、他藩に比して権力と権威をもっていた。世襲制だったこともあり、村の生活の中で庄屋の権威は慣習としても絶対的な存在として根付いていたのかもしれない。百姓は、たとえ、肥えたご(最近の若い人は知らないか。糞尿を運ぶ桶)を運んでいるときでも、途中、庄屋に会ったら、土下座しなければならなかった、という言い伝えもある。庄屋のやりたい放題だ。土佐の庄屋などは、藩・武士権力とは独立した意識をもった庄屋もいたが、まあ、大違いだ。武士と同じ穴のむじな。

ついでだが、宇和島藩は、武士の町農民への差別意識も強いように思うがどうだろう。他藩でもあまりしない無礼討ちもある(なんと明治4年にも無礼討ちがある)。一番えらいのは殿様、武士、そして庄屋。上に従うという習俗だろうか。幕末、宇和島藩は殿様のもとに統制がとれていた藩といわれるが、こうした藩の空気もあるかもしれない。苦しんだのは百姓だろう。

しかし、江戸後期、文政あたりから百姓の政治意識も高まり、しだいに庄屋の不正をだまって見なくなり、庄屋騒動が頻発するようになる。明治3年の野村騒動は、その爆発だった。

騒動の経過はまた書くとして、先走って、この一揆に対する藩の回答を書くことにする。

・大豆銀納の4分免除(4割免除)。
・櫨の実の買い入れ価格の値上げを認める。
・現今の庄屋を免職して村務を組頭、横目、年行事などの協議による運営とする。
・庄屋の無役地についての調査を開始する。

長くなったので、経過については次回に。




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