虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

トルストイと老子

2008-10-26 | 読書
トルストイは老子や孔子など東洋思想が好きだった。西洋の作家で、これほど論語や老子を賛美した作家はいないのではないか。「荘子」は残念ながらまだ翻訳されていなかったのか、読んでいない。惜しい!

トルストイの日記によると、56歳のとき、「老子」を一部、翻訳している。晩年、日本からきた小西増太郎と共に翻訳するが、それ以前の話だ。この年、3月11日の日記には、「孔子の中庸の教えは驚嘆すべきものだ。老子と全く同じだ」とある。3月15日「精神状態がよいのは、孔子や、とくに老子を読んだためだと思っている」3月19日「孔子読む。いよいよ深く、いよいよよし。彼と老子を欠いては福音書も完全ではない。一方、孔子は福音書なしでも何ということもない」

63歳のときには、人への手紙で「自分に影響を与えた本」として、幼児期から14歳まで、14歳から20歳まで、20歳から35歳まで、35歳から50歳まで、50歳から63までに分けて本を列挙しているが、50歳から63歳までの本をあげてみる。

「ギリシャ語の全福音書、創世記(ヘブライ語)、ヘンリー・ジョージ「進歩と貧困」、パスカル「パンセ」、孔子と孟子、仏陀について(フランス人が書いたもの)、老子(ジュリアン著)」とある。これらの本の影響は絶大、と注記してある。

老子については、小西増太郎と翻訳にとりくんでいるとき、こんな言い伝えが残っている。「老子」を翻訳しているとき、「老子ともあろうものがこんなことをいうはずがない!」と怒ったそうだ。それは「老子」31章。「兵は不祥の器。君子の器にあらず。やむをえずしてこれを用うれば、恬淡を上と為し、勝ちて美とせず」の部分だ。

この章は、「兵は不祥の器。ものつねにこれをにくむ」という軍隊や戦争を批判する部分で始まる。老子は当然、非戦論者だ。しかし、途中で、「やむをえずしてこれを用うれば」などの文章が混入している。これは後世の利口者が加筆したにちがいない、とトルストイは考えたそうだ。

福永光司の「老子」によると、たしかに、この章は文章に重複混乱が見られ、古来、注解者の文章が混入しているという説がある、と書いてある。

本来の言葉をのちの利口者がどんどん改変していくのは、聖書や聖賢の書ばかりでなく、日本の憲法もそう。