虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

海音寺潮五郎とトルストイ

2007-06-27 | 読書
久しぶりに新刊屋さんに入ったら、海音寺潮五郎の「列藩騒動録」の文庫がまた再刊されていた。これはいい本だ。持っているから買わなかったけど、海音寺潮五郎の本が再刊されるのはうれしい。

「海音寺潮五郎短編総集」という文庫(全8冊、絶版)を捨てずにちゃんと持っているのが自分だけの自慢だ。

はじめは海音寺潮五郎は好きではなかった。
歴史小説というのは、司馬遼太郎ではじめて読んだ(吉川英治は別にして)。
で、海音寺潮五郎の「天と地と」を読み始めたが、とても読み通せなかった(これは今でもまだ読めていないけど)。
司馬とぜんぜんちがう。
司馬は、説明が巧みだ。主人公を一筆のもとに印象的に描く。歴史を知らなくても物語に入れる。斬新。天才。それに比べると、海音寺は、オーソドックスというか、奇をてらうところがない。まったく才気走っていない。

でも、「平将門」や「西郷隆盛」を読んで好きになった。
海音寺は、トルストイのファンだそうだ。戦争と平和は10回以上読んだとか。
トルストイの「戦争と平和」や「アンナカレーニナ」の構成表を自分で作ったりしたこともあるそうだ。たしかに、トルストイを手本にして小説(史伝は別)を書こうとしたところを感じる。

画像は千姫の銅像から見た姫路城




備後福山の一揆 遠藤弁蔵

2007-06-27 | 一揆
備後福山一揆の記録「安部野童子問」の序文に「古人いう。智をもって国を治むるは、国の賊なり」とある。

頭のいいやつが政治をとると、ろくなことにならない、というのは、江戸人の常識としてあった。ところが、明治以降、「頭のいいやつ信仰」が流行り、今もなお、「頭のいい人の話し方」「頭のいい人の快眠術」「頭のいい人のなんとか」とかの本がいっぱい。

備後福山一揆をひきおこしたといえる遠藤弁蔵は、頭のいいやつの筆頭だった。人の気持ちを敏感に察し、弁舌さわやか、目から鼻にぬけるような理解力の早さ、しかも外面は温容。

備後福山一揆は、この遠藤だけが原因ではない。この遠藤の成果を評価し、遠藤をどんどん引き上げた上司(殿様)の成果主義、評価主義も原因だ。

遠藤弁蔵はもともと福山藩の徒士組に属していた。徒士組は1年の給銀が金7両2歩だったが、財政難ということで金六両にされる。徒士組の面々は、これでは食っていけない、給銀の他に助力米をお願いしよう、それがかなえられなければ、やめようと、徒士組一同ストライキの一味同心の相談をしていた。遠藤弁蔵もその仲間にいたが、その一味の相談を上司に訴えたのが出世のはじまり。

殿様は、寺社奉行をつとめ、次は老中をねらっている安部正倫。とにかく、賄賂に使う金がほしい。遠藤弁蔵は、どんどん金を作り、成果をあげ、殿様の評価をえて、藩政を支配するにいたる。金を作ったのは、農民からの過酷な取り立てだ。

遠藤弁蔵の油断のならないところとして、たとえば、遠藤は、わざと村々に強訴の立て札を立てさせる。「きたる15日徒党強訴すべし。寺社の鐘を合図に惣郡中百姓残らず出張すべし」。百姓の様子を知るためだ。だれも動かないと見ると、安心して自分の政治を進める。

結局、備後福山の百姓2万人が蜂起して、遠藤弁蔵は閉門になるが、もし、一揆がなかったら、遠藤弁蔵は、大出頭人として名が残ったかもしれない。

昔、「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」という徳川時代の支配を伝える言葉を習った気がする。「あたらしい歴史教科書を作る会」だったかの頭のよい人たちは、これはウソだ、年貢も低いし、江戸時代の農民は、豊かだったとか、江戸の支配は悪くなかった、とかの論も出したようだが、江戸時代はさておき、今、現代もやはり、「生かさぬよう、殺さぬよう」の政策が続けられているのはたしかだ。

画像は姫路好古園の道