虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

日本最初の議会

2005-08-18 | 歴史
このあいだの郵政民営国会では、反対派議員が青票を上にかかげて投票する姿が目立ったけど、この青票(反対票)白票(賛成票)は115年前の第1回国会から同じなんですね。

第1回議会は、予算案が争点。山県政府の軍事費が大きな割合を占めた予算案に対して野党(自由党や改進党)は予算案の削減を求めます。

このときの議員は、野党が過半数を占め。そのまま決をとったら、予算案は野党の案がきまるはず。しかし、山県首相は解散も辞さない構え、野党は政府の切り崩しに会い、土佐派の裏切りとかいわれるけど、反対派だったものが賛成派に回り、政府側の意見が通ったそうな。
このとき、青票の下に白票を重ねておき、さも青票を入れるように人には見せ、箱に入れるときには、すばやく下に隠しておいた白票を入れた議員もいたそうだ。

このときの議員には、田中正造、植木枝盛、中江兆民とか自由民権運動の闘士がたくさんいます。中江兆民は、大阪の被差別に推されて、民代表として立候補して議員になりましたが、この第1回議会であほくさ!とやめてしまいます。

幸徳秋水は、このときの議会についてこう書いています。

「旧自由党の逆境にあるや、党員はみな慷慨の志士で、その意気精神は今日の社会主義者の遠く及ぶところではなかったのだ、しかるに、かれらが議会の一勢力になるやいなや、かれらはもはや民人の利害を考えるよりも、まずその勢力の維持に急なるにいたった。その議席を確保すること、その利益を増進することに急なるにいたった。しこうして、ほどなく提携、妥協、交譲等の美名のもとに、昔年の革命党は全くその深仇たる藩閥の奴隷となってしまったではないか」

第1回議会は、アジアでの最初の議会ということで、欧米からは注目されていたそうです。ほんとにできるのかいな、と。それだけに解散はしたくなかったのでしょうが、議員は、多数決のときの員数として求められるのは、今も少しも変わらないですね。