虎尾の会

幕末の草莽の志士清河八郎の会の名を盗用しています。主人は猫の尾も踏めません。

選挙公示

2005-08-30 | 新聞・テレビから
昔、ブル新とかプチブルとかの言葉があって、こういうイデオロギーぽい、荒っぽい言葉を使う人は好きではなかった。かんたんにレッテルをはって物事を裁断してほしくない。
ブル新?新聞だって、内容はさまざまで、中には良心的な記事もあるぜ(きっとある)、なんて思ったり(^^)。

でも、解散以来、いつもよりも新聞には注目してきたつもりだけど、選挙を自民、民主の争いで追い、郵政民営を争点にした姿勢は最後まで変わらなかった。改憲の話は、共産、社民が言っているよと、一応知らせてはいるが、一般紙5紙とも、最後まで見事に無視。テレビ局は無論だ。こんな言葉はきらいだけど、ブルジョワ独裁という言葉を改めて思う。

財界にとっては、自民でも民主でもよし。政権が自民か民主であれば心配はない。
新聞社も同じ土俵なのは当然なのかも。なにやかやら言いながら自民政治を肯定している。ブル新、という言葉を思いだした(笑)。

かつて石川啄木や荒畑寒村らがむさぼるように読んだ「平民新聞」のような新聞が存在しないことも、今の日本の不幸だ。

それにしても、共産、社民、声が弱すぎるぜ。候補者の顔を見ても、一番、疲れたさえない顔をしている。中江兆民のように車引きの姿で選挙演説するとか、少しはパホーマンスを考えよ、といいたい。こういう野党こそ、美人刺客をもってこなくちゃいけないのにな。

とまれ、今度の選挙にむけての新聞の論調を忘れないつもりだ。選挙後、何を言い出すか注目しておこう。