らんかみち

童話から老話まで

大般若経のご利益

2008年02月18日 | 暮らしの落とし穴
 動画をアップしておきながら、何も書かなかった大般若経の転読会ですが、実はぼく自身が地元出身のくせに、その催しの由来が分からなかったのです。それで菩提寺のご住職の日記を待ってコメントを書いてみたりする始末です。
 
 あの行事ですが、当地の金毘羅神社(海の神様を祀る)に保管されている大般若心経は全600巻あり、その一部の200巻を読むのだそうです。つまりどうやら、大般若経転読会というのは、いうなれば経典の虫干しらしいのですが、子どもの頃は何の行事だかさっぱり分かっていませんでした。
 
 あのお経をパラパラと開いて閉じる作業を、お坊さんがやっているというのだって知りませんでした。テレビで見るどこかの立派なお寺だけの行事だとばかり思ってました。それがこんな小さな村にもあるなんて、ちょっと胸を張れるなと思います。きっと江戸時代のご先祖様方もそう思って取り入れた行事なのでしょう。
 
 子どもの頃は、この経典の入った箱を、大人の人が籠を担ぐようにして家々を回り、ありがたいご利益があるといわれ、ぼくたちはその下をくぐったものです。ですがその甲斐も無く今のぼくの体たらくです。

 いや、そうではなく、経典の下をくぐったからこその体たらくなのかも知れないと思えば納得できます。もしも下をくぐってご利益をいただかなければ、今頃は草葉の陰で「うらめしや~」などと恨み言を申しているやも知れません。

竜神島慰霊祠

2008年02月17日 | 暮らしの落とし穴
 

  昭和6年12月24日午前5時25分、関西丸8617トンと八重山丸936トンが衝突して八重山丸が沈没し、乗客乗員123名の内48名死亡する海難事故が発生。
 当時すでに竜神島の灯台は建設されており、事故の後に鎮魂の祠が建てられました。竜神島と書いて地元の人は「りゅうごんじま」と呼んで畏れ敬います。
 現在瀬戸内海に架かる橋は、こういった多くの海難事故の犠牲があって建設されたのです。


消費=ゴミを出すことではないはず

2008年02月15日 | 暮らしの落とし穴
 ついこの前のことですが、どなたかデパートでエコバックを購入したら、
「丁寧に包装してくれて、それを紙袋に入れてくれた、何のためのエコ袋か!」 
と憤慨しておられました。
 おっしゃることは良く分かりますし、北欧辺りの方が聞いたら卒倒しそうな話しです。でもそれが日本だといえば、いかにも日本らしい丁寧さじゃないですか。
 
 本屋で200円の雑誌を買ったら袋に入れてくれ、抱き合わせに何やらチラシみたいなのを2、3枚入れてくれます。
「それはゴミになるし、袋も要らないから」
 いつもそういうんですが、本屋さんにしてみたら、ぼくみたいなのは困った客みたいです。袋の中のチラシは、年齢、性別、職業、貧富などなどをレジ係りが瞬時に判断して厳選したものらしいです。本を売るだけでは儲からないので、副業をしているようなものでしょうか。
 
 つまりぼくみたいな客は本屋さんからみたら営業妨害をしているといっても過言ではありません。でも店を出た次の瞬間にゴミ入れに投げ捨てるようなものをもらうわけにはいかないんです。それで「要らない」といったら、シールを本にペチョリとはられました。帰ってシールをはがそうとして表紙が破れました、悲しいです。
 
 万引き防止とかいろんな意味があってシールを貼るのは理解できなくもないんですが、レシートもらってすぐに店を出るんだし、そもそも紙の上にシールを貼るなんてどうかしてます。
 とまあ、私憤を環境問題にすり替えてはカタルシスを求めましたが、まだまだ北欧に比べたら日本人の環境意識は低いのかもしれませんね。

エソの一夜干し

2008年02月14日 | 暮らしの落とし穴
 かまぼこの材料とされる「エソ」を時どき見かけますが、でかいのはちょっと匂いが気になってあんまり料理したくないです。ところがすり身にしたらかなり美味しい魚なので、小型のエソを買って一夜干しにしてみました。
 
 知人の家に行ったところ、たまたま同じことをやっていて、どういう塩梅にしているのか聞いたら、味塩をふりかけて干したらしいです。ぼくのは今回は4%の塩と酒少々。そして2時間程度の網干し。知人は2日間干したらしいです。
 
 比べる対象が間違っている気もしますが、同じ白身でも名古屋ふぐのようなプリプリ感はなく、ふんわりした身です。ちょっと焦がし気味にした方が香ばしいかもしれません。醤油が要らないほどの旨味があります。1パック15尾が開かれて300円はお買い得でした。

瀬戸内の慰霊碑巡り

2008年02月13日 | 暮らしの落とし穴
 前日の日記に何を書いたか忘れて今日の日記を書き始めることがあり、続きのはずなのに全然続いていなかったりすることも、ままあったりします。
 昨日だって牡蠣飯に入っている牡蠣に混じっている貝殻に、毒入りギョーザ事件をからませた話を書くつもりだったんですが、ちょっと気が変わりました。

 2年前に中国産の蕎麦粉から、フグ毒として知られている、テトロドトキシンが検出されて輸入禁止になったことなんか報道されてませんよね。日本人だって中国製品の危険性を知っていながら販売しているならなら、同じ穴のムジナってやつですか、考えていたらあまりにも腹立たしくなってきて、日記に書くのをやめたんです。
 
 さて今日は、昭和初期に瀬戸内海で遭難した船の犠牲者を悼む慰霊碑を写真に収めるため、知人とボートに乗って出かけました。
 交渉がうまくいかないと「暗礁に乗り上げる」などど表現したりしますが、暗礁とは、海面に顔を出していない岩のことです。瀬戸内はその暗礁の宝庫であり、瀬戸内を海上交通の難所たらしめている理由は、暗礁へと、船がまるで悪魔にでも魅入られたかのように吸い寄せる急流があるからなのです。
 
 渦巻きだって鳴門のそれに肩をならべるほどのスケールですし、交通量の過密さが操船の困難さに拍車をかけます。そればかりか、有史以来の数千人、いや数万人の犠牲者の霊が彼の世へと誘うべく待ち構えているのですから、瀬戸内を航行するのは容易なことではありません。もしも慰霊碑を建てなかったなら、この上にどれほどの犠牲者が出ることでしょう。
 
 瀬戸大橋や大鳴門橋、西瀬戸大橋というのは、そんな悲しい歴史の上に架けられた橋なのです。写真は昭和21年11月16日に、瀬戸の急流に潰えた「宮窪丸」の犠牲者74名を悼んで建てられた慰霊碑で、海に向かって鎮魂を祈る不動明王の姿が、頼もしくもあり痛々しくもあります。

地牡蠣で炊く牡蠣飯

2008年02月12日 | 暮らしの落とし穴
 全国どこの海でもでしょうけど、瀬戸内海にも至る所に野生種の牡蠣が生息してます。大きくてもアサリの剥き身くらいの身ですから食べごたえもないし、市販の大牡蠣とか岩牡蠣などにくらべると、ややくせがあるように思います。でもこの牡蠣を食べる上でもっとも難儀するのは味ではなく、貝殻が混じってしまうことです。
 
 ぢ牡蠣ですから、というわけでもありませんが、自分で打つのでどうしても貝殻が混じってしまうんです。つまりセル牡蠣にナイフを突っ込んで貝柱を切り取るようなヒマなことはせず「牡蠣打ち」を使って岩にへばりついている貝殻を割って中身だけを取るんです。
 
 冷たい水で牡蠣の身を一つ一つ検査していると、何でこんなチマチマしたことせにゃならんの? と一握りの牡蠣を洗い終える前に嫌気がさしてきます。ですがこれこそが地牡蠣を楽しむのに欠かせないプロセスであって、これを抜きにして安直に牡蠣飯なんぞ炊いた日にゃひどい目に遭うんです。
 
 つづく

何度でも人面疽

2008年02月10日 | 暮らしの落とし穴
 高麗人参といっても本物は財力の関係で手に入りません。ディスカウントで売ってる300円のドリンク漬けで焼酎を割って飲ませておりました。初めのうちはそれが効いていたんですが、やがて容態が悪化してしまいましたので、とうとう最後の手段にうったえました。医者に診せたのです。
 
 医者がどこが悪いのか訊くので、背中の人面疽の具合が悪い旨を訴えますと、まずは脳波の検査からやりましょうか、などとふざけたことをいいます。頭にきたので服を脱いで背中を見せたんですが、アセモができていると診立て、人面疽であることを認めようとしません。
 
 業を煮やして席を立ったところ、薬が処方されており、「気持ちが落ち着く錠剤」でした。出されたものは仕方ないので錠剤を飲んで、一晩寝て朝起きたらケロちゃんの声が聴こえません。背中に手をやると、かさぶたのようなものができていて、ぽりぽり掻いたところ、かさぶたがはがれました。まさかとは思いましたが、どうやらそれはケロちゃんの亡骸でした。
 
 わずか数日とはいえ、ケロちゃんとは酒を酌み交わした仲です。悲しくないといったらうそになりますが、親指のつめくらいに干からびてしまったケロちゃんはもう単なるかさぶたに過ぎません。つまみ上げて捨てようとして、白く輝く丸い麻の実ほどの玉を発見しました。それはサイズことそ小さいですが、どこから見ても真珠そっくりです。
 
 もしかしてケロちゃんの卵かなとも思ったんですが、ふと気がついたら肩凝りが治っているではありませんか。もしかしたらケロちゃんは悪い血を吸い出してきれいにし、それを真珠にして固めたんじゃないでしょうか。ケロちゃんには感謝してもし切れません。
 
 真珠をだいじにしまっておこうとして、その前に白ワインを注いだグラスに落としてながめておりました。実にきれいです。しばらくそうやってながめていたんですが、やがてビールと焼酎の酔いが回ってきて、うっかり白ワインを飲み干してしまいました。もちろんケロちゃんの真珠も一緒に飲み込んでしまいました。そしたらまた肩凝りが始まって、これでまたケロちゃんと再会できそうです。

ケロイドのケロちゃん

2008年02月08日 | 酒、食
 人面疽くんと夜毎に酒を酌み交わしていると、そろそろ名前をつけてやらないかんな、と思うようになりました。いろいろと考えをめぐらせたんですが、痣といえばケロイドということで、ケロちゃんと呼ぶことにしたのです。
 
 ケロちゃんは成長するにしたがって、だんだんと酒量が増えました。あんまり呑むと二日酔いになるので酒量を控えるようにいうんですが、なかなかいうことを聞きません。まあ酒飲みにできた人面疽ですから、当たり前といえば当たり前で、こっちも偉そうなことをいえた義理ではないのです。
 
 わが子かわいさの余り酒を与え続けたのがいけなかったのでしょうか、やがてケロちゃんは太り始め、しゃべるのも大儀そうに、日がな一日寝て過ごすようになってしまいました。だんだんと酒量も減ってきてつらそうなので、医者に診せようとしたらひどく嫌がります。なんとか元気を回復できないものかとあれこれ与えていたら、高麗人参が効くらしいことが分かってきました。
 
つづく

人面疽と呑む幸せ

2008年02月06日 | 童話
 ささやく声は夜な夜な続きました。初めのうちは何を言っているのか分かりませんでしたが、いつしか言葉の意味が分かるようになってきたのです。
「酒、酒を飲ませてください~」
 どうやら酒が飲みたいようなので、だれに飲ませるのか聞いたところ、
「背中のわたしでございます~」
というではありませんか。
 あわてて目を覚ましてみると、背中の湿布薬でかぶれた皮膚がもぞもぞと動くような気配がします。
 それが動くたびに痒くてたまりませんので、髭剃り用のプレシェーブローションを塗布したらすっきりするだろうと、ペチョペチョと塗りましたら、
「う、ぷ~、(*^¬^*)うま~!」
と、その痣になった皮膚が声を上げるではありませんか。驚いたの何の、こいつが人面疽というやつか! と、ゾッとしました。

 鏡を使って、そいつがどんな顔をしているのか見ようとしたんですが、どうやってもそいつを見ることができないんです。ちょうど一番見えづらい場所にあるのもその理由の一つでしょうが、どうやら鏡を避けて動き回っているようなのです。
 動き回られると痒いので、姿を見ることはあきらめました。するとまた、
「酒、酒を飲ませてください~」
と懇願します。
 身から出た錆とはいえ、自分の背中を痛めたやつですからかわいいじゃないですか。それで請われるままに酒をやろうと思うようになりました。それは造作もないこと、だって自分が毎晩飲んでいる酒をちびりとティッシュなんかに含ませて与えるだけなんですから。
 
 つづく