「韓国料理を食いに行くって、いったいどこに連れて行くつもりやねん?」
友だちのTEL師がそう文句を言うのは無理も無い。彼に送ったメール の内訳は、
「土曜日、二駅となりの町に韓国料理を食いに行きませんか?」
と、それだけだったのだから。しかし文句を言う前に、ホイホイついてくる無防備極まりない方もいかがなものか。
ぼくに対する信用が絶大というわけでもないのに、足元の悪い中を朝も早くから出てきたのは、彼が暇をもてあましているからではなく、 何か良く分からないもの、そこはかとない冒険心みたいなものの琴線を、ぼくの舌足らずなメールが爪弾いたからだろうか。実は、彼を連れて行った行った先は、在日韓国人のオモニが多く入所している特別養護老人ホームだったのだ。
特別養護老人ホームなんて行ったことが無いぼくだが、TEL師は実働はしてないにしても、ケア関係の会社の専務という肩書きを持っているやに聞いている。 つまり彼は、「そろそろケアしてもらわにゃいかんな」という年齢でありながら、「ケアして欲しいなら我が社にお任せあれ」といわねばならない、時間のみに解決を委ねることのできる葛藤を抱えている御仁で、 早い話が入所していても不思議ではない人なのだ。
朝の11時に開会式が始まって、韓国から招いた舞踊団の踊り子が歌や踊りを披露してくれたが、一時間あまりの歌舞音曲の最後に歌われた「アリラン」のころになると、入所しているオモニたちばかりでなく、歌っているプロの歌手まで泣き濡れているのを見て、「ああ、これが『恨(はん)』という感情なのかな?」 と、ぼくはどこかで聞いた解説を思い出していた。
「恨」というのは、「うらみ」という意味ではなく、「心がそこに留まる」という意味だったと思う。情念とか、思い入れとかいった感情で、日本人には簡単に 感情移入できるものではなさそうだ。それはつまり、日本人の「わび、さび」の感覚を外国人に分かってくれというのに似ているのかもしれない。
最後にもう一度「アリラン」を皆で合唱して、ふとTEL師を見たら、泣いてるやん! どうやら彼には「恨」の感情が理解できるみたいだ。どのみちルーツを同じくしている日本人と韓国人なのだから、古い人ほどこの辺のことが共感できるんだろうか? とりあえずぼくは、美味しい韓国料理でお腹いっぱいになって、「満」を知った。
友だちのTEL師がそう文句を言うのは無理も無い。彼に送ったメール の内訳は、
「土曜日、二駅となりの町に韓国料理を食いに行きませんか?」
と、それだけだったのだから。しかし文句を言う前に、ホイホイついてくる無防備極まりない方もいかがなものか。
ぼくに対する信用が絶大というわけでもないのに、足元の悪い中を朝も早くから出てきたのは、彼が暇をもてあましているからではなく、 何か良く分からないもの、そこはかとない冒険心みたいなものの琴線を、ぼくの舌足らずなメールが爪弾いたからだろうか。実は、彼を連れて行った行った先は、在日韓国人のオモニが多く入所している特別養護老人ホームだったのだ。
特別養護老人ホームなんて行ったことが無いぼくだが、TEL師は実働はしてないにしても、ケア関係の会社の専務という肩書きを持っているやに聞いている。 つまり彼は、「そろそろケアしてもらわにゃいかんな」という年齢でありながら、「ケアして欲しいなら我が社にお任せあれ」といわねばならない、時間のみに解決を委ねることのできる葛藤を抱えている御仁で、 早い話が入所していても不思議ではない人なのだ。
朝の11時に開会式が始まって、韓国から招いた舞踊団の踊り子が歌や踊りを披露してくれたが、一時間あまりの歌舞音曲の最後に歌われた「アリラン」のころになると、入所しているオモニたちばかりでなく、歌っているプロの歌手まで泣き濡れているのを見て、「ああ、これが『恨(はん)』という感情なのかな?」 と、ぼくはどこかで聞いた解説を思い出していた。
「恨」というのは、「うらみ」という意味ではなく、「心がそこに留まる」という意味だったと思う。情念とか、思い入れとかいった感情で、日本人には簡単に 感情移入できるものではなさそうだ。それはつまり、日本人の「わび、さび」の感覚を外国人に分かってくれというのに似ているのかもしれない。
最後にもう一度「アリラン」を皆で合唱して、ふとTEL師を見たら、泣いてるやん! どうやら彼には「恨」の感情が理解できるみたいだ。どのみちルーツを同じくしている日本人と韓国人なのだから、古い人ほどこの辺のことが共感できるんだろうか? とりあえずぼくは、美味しい韓国料理でお腹いっぱいになって、「満」を知った。