らんかみち

童話から老話まで

京野菜を釉薬に使ったら

2012年09月12日 | 陶芸
 京野菜といえば京都は大原。しかし京都に行かないと京野菜が手に入らないというわけじゃない。好事家はどこにでもいて、うちの島でも万願寺唐辛子とかが作付けされている。それを京野菜と呼んでいいのかといえば、中国で収穫された南高梅を梅干しにして「南高梅」のブランドで売ってかまわないのか、という議論と同じだろうか。

 出口の見えにくい話はさておき、大原で採れた茄子や紫蘇の茎を焼いて灰にし、釉薬に使っている陶芸家が京都にはおられる。それがなんと、茄子の色なんでびっくりする。紫蘇はそれほど鮮やかな紫でもないようだけど、赤紫蘇の色といわれたら納得。
 茄子釉をかけた茄子形の器に焼き茄子、紫蘇釉をかけた紫蘇形の器に紫蘇巻きかなんかを盛りつけたら楽しいだろうな。

 もっと涼しくなってきたら陶芸を再開しようと目論んでいたところ、今はやめてしまった陶芸クラブの大先輩に会い、「わしの作品を見せてやる」と家に招かれた。
「これはねや、わしの窖窯(あながま)で5日間焚いた作品じゃが」と出されたのは、市販土に地元のが混ぜられた大壺だった。松の木と地元の蜜柑の木で焚いたらしく、焼き締めの生地に蜜柑色の自然釉がかかっている。重厚でありながらも雅、素晴らしい!

 だぁがぁ、この大壺の成形はどうよ、プロでもトップクラスの技術じゃないか。ぼくがいくら頑張っても到達し得なかった頂が目の前にある。持ち上げて内側に手を入れさせてもらい、しげしげと眺める。
 粘土の紐を積み重ねる「紐作り」の技法でならぼくにもできるかもしれないが、電動ろくろだけでやろうと思えば至難だ。削ることが許されるならできるのだが、目の前にある作品は電動ろくろから下ろした後は一切手を加えていない。

「こ、これはもしかして、○○窯の手のような、ですよね?」と質したところ、「正解!」だって。そう、OEM(相手先ブランドの製品供給)で、生地作りだけがトッププロの仕業なのだ。
 大きな作品に絵を描きたいけど生地が作れない、という人のためにぼくも時々市販の土で皿や壺を作ってあげるのだが、自分で絵を描き、市販の釉薬をかけて焼いたらその人の作品といって良いのかもしれない。
 聖護院大根とか賀茂茄子をうちの島で栽培しても他の呼び方ができないのと同じで、京野菜には違いないのだ。