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らんかみち

童話から老話まで

初めて自力で素焼き、だけどブリ大根は失敗

2009年10月24日 | 陶芸
 文化祭が中止になったのを受けて、皆さん窯入れは中止なさったようです。「ぼくは焼きますけど」と連絡を入れたら「どうぞお一人で頑張ってください」って……。大きな皿を下手に焼くと爆発の危険があるので、巻き添えを食らうのを嫌ってのことであり、ぼくを嫌いなわけじゃないとは分かってはいるものの、心なしか冬の足音が聴こえてくるようでした。もっとも、ぼくの作品だけで窯からあふれそうだったので結果的にはそれで良かったのですが。

                 
 
 全部入りきらないので重ねたり並べ替えたりと、四苦八苦しているところへ要釉斎先生がやってこられました。
「うむっ、そこはそうじゃない、上と下を入れ替えたまえ」などと檄を飛ばしてくださるので応えようとしていたら、ぼくが自分で誤って茶碗を一つ割ってしまいました。
「割れたこの作品は何のつもりかね?」
「はぁ、茶碗のつもりですが……」
「茶碗? これがかね、茶を飲まん者は茶碗を作るなと云うが、これは茶碗にあらず! 焼くに値せんもんなら、割れて良かったじゃないかね」
 先生の仰る通り駄作、習作ではあるんです。素焼きしてしまったら元の土には戻せないのだから土の無駄になるところだった、とはいえ「うちの愚妻を他人にブス呼ばわりされる筋合いは無い!」という感情を分かっていただけるでしょうか。
 
 一つ割れたおかげで労せずして詰め終わりましたが、ぼくも要釉斎先生も焚いたことのない窯なので危うく大失敗しかかったところを、先生のアドバイスでなんとか乗り切れました。
「先達はあらまほしきことなり」とはこのことだなぁと先生に感謝したい気持ちになったとき、「君の焙烙鍋(ほうろくなべ=物を煎るときに使う皿状の物)が割れずに焼けたら良いがのぅ、フォッフォッフォッ」と、ぼくの大皿を焙烙鍋呼ばわりして先生は帰って行かれました。
 
 初めて窯焚きしたときは窯に近寄るのも怖かったことを思うと、今日は我ながら良く頑張った。そのご褒美じゃないけど、今宵はブリ大根を作ってみました。
 下手に作るとせっかくのブリが台無しだけど、今回のもやっぱり美味しくなかった。そもそもぼくはブリは好きじゃないので母のためにこしらえたようなも、でも昨日の豚の角煮がそうだったように、ラップしてテーブルに置いてたら朝には無くなっているから母が食べたらしいけど、母は憶えていないんです。作り甲斐が無いといえばそうですが、食べたのなら良しとしますか。

                   

女の腰巻は勝手に外れたりはしない、だからそれって何?

2009年10月23日 | 陶芸
 陶芸クラブの重鎮、要釉斎先生からの電話で、文化祭は正式に中止が発表された由。ちーとええ格好しようと思ったばっかりに落胆もはなはだしいぼくですが、そこへ追い討ちをかけるかのように、童話のお師匠さまが、「当てとふんどしは、向こうから外れるものである」と日記に書いておられました。    

 奇しくもッ! 要釉斎先生も電話の最後に同じようなことをおっしゃるではありませんか。いわく「当てと褌は向こうから外れる、而して女の腰巻は勝手に外れたりせん、君自身の手で外すが良かろう」と。
 この言葉が、いまどき腰巻をしとる女を探すっちゃ至難ぞ、という意味でないことだけは理解できます。これは恐らく警句、諺みたいなものであって、例えの裏側にはスピリチュアルな寓意が込められているに違いないのですが、いかんせん放心状態で何も考えられませんでした。

 腹立ちまぎれにヤケ食いヤケ酒に溺れてやろうと豚の角煮を作りながら、若鶏の胸肉もあったよな、あれを豚のお供にしたらどうなるのかな、ケンタッキーフライドチキンは先に鶏肉を煮てから揚げるんだろうか、あそうそうメタボ対策に野菜は欠かせないね、人参、玉葱、エリンギ、そうだキノコ類はいくら火を通しても煮崩れしないのが嬉しいな、♪楽しいな、美味しいな、おばけにゃ学校も~……と、現実から逃避している自分に気がついて、いっそう深く落ち込んでしまいました。

 それにしても女の腰巻は自らの手で外せって、つまり女と仲良くしたければ自分からアクションを起こせ、という意味だよなぁ。それは分かるけど、陶芸とどういう関係があるっつーねん、まさか一人で文化祭やれってこと? それは無いわな……いや待てよ、文化祭が中止になって窯焚きは皆がやめるけど、ぼく一人でも焼けということだろうか、そういうことか? もしかして「君の作品が焼きあがるのを楽しみにしておるぞ」と要釉斎先生はおっしゃったのかもしれません。だったら一人で焼いたろやないか、皆さん気落ちしているのか連絡もくれないけど、明日は一人で素焼きじゃ!

驕れる陶芸初心者

2009年10月21日 | 陶芸
 ええ格好したいわけじゃないけど、いやちょっとはあるかな、やっぱり自分の腕をひけらかしたいのかな、まぁとにかく展示するための作品を削り終えました。現時点で41cm径の皿なんですが、挽き上げた直後は45cmあったんです。

 我が離島窯のメンバーでこんな実用性を欠いた大皿を作る人は誰もいないので、これくらいの物を作るには道具も自分で作らなくてはいけません。大きなターンテーブルは亀板といって、この上で挽いてこの上で削る台ですが、これを作るのだって一苦労です。
 
 電動ロクロ初体験の友だちが作ったのも削ってあげたんですが、小さすぎてこれまた苦労しました。取るに足ならい小物だけど、ぼくも1年前はこんな小さな作品一つこしらえるのに半日かけてたよなぁ、なんて慈しみながらの作業は、驕りかけたぼくに初心に帰ることを思い出させてくれるのでした。

祭りに支配され続けて、この先どうなるの

2009年10月17日 | 陶芸
 文化祭に向けて大皿を挽くため、特別にミーティングルームをお借りすることに。この際だからと、ぼくに半年ほど遅れて陶芸を始めたらしい友だち呼んであげました。しかし良く聞いたら彼は電動ロクロが初めてなんだとか、そうと知ってりゃこの忙しい時期に声をかけたりしなかった。案の定、手取り足取りで教えにゃならず、自分の作品ができない!
 
 しかしぼくも最初は親切に教えてもらった(好む好まざるにかかわらず)ので、後進を指導するのにやぶさかであっては罰当たりというもの。一つ二つ作品らしき物をいっしょにこしらえてあげました。がしかし、彼の作ったものを整形して焼いてあげないといけません。余計なことかかえてもた!
 
 陶土で45cm径の皿を一つと、磁器土を初めて挽いてみました。これが難しいのなんの、手触りはつるつるして良いのですが、陶土に比べて腰が無いので手際が悪いと徳利を挽き上げるのは至難です。そこで陶土と半々で混ぜてみたところ、なんと鶴首徳利も柄こても使わず楽々挽き上げることができました(ちょっと重いけど)。
 
 これで展示用の作品ができて一安心、じゃないんです、まだ素焼き、釉かけのち本焼きという工程での失敗が待ち構えているかと思うと気が気じゃないのに、明日は別件で人身御供となってしまいますが、これもまた祭り。全てが祭りに支配されて童話を書くどころじゃないけど、この先どうなるんだろう。

昔の美女に囲まれ、肩身も狭くろくろ回し

2009年10月16日 | 陶芸
 昨日作ったゴブレットシリーズの仕上げをやるために、レザークラフト教室の片隅にお邪魔しました。
「兄ちゃん、黒一点でモテモテやなぁ、手が震えるか?」
 ろくろを回していると、おばちゃんたちが寄って来てなんだかんだと話しかけてくれるが、自分たちがおばちゃんだとは露ほども思っていない昔の美女たちにおちょくられつつ、どんなリアクションをせぇっつーねん!
 
 ゴブレットの高台は湯のみなんかと違って複雑だし、背が高いので削るのに神経を集中しないといけない。そこへもってきてかなり生乾きだったものだから尚のこと難しく、10時から初めて18個全部を削り終えたら4時になってしまいました。
 肩は凝るわ腰は痛いわの憑き物が祭り疲れの上に乗っかってきて、もうタッチダウン寸前。なのに明日も大皿一枚と、磁器土で徳利シリーズを挽かないといけません。それも洋裁教室の片隅で、と思っていたら洋裁の予定が変更になったらしく、誰にも邪魔されずに集中してやれそうです。

一祭さって、また一祭、災難と似ている

2009年10月15日 | 陶芸
 近所に住んでいる叔母さんが「手を切ったから病院へ連れて行け」とか「叔父さんが入院したから云々」とまあ、夜中だろうが早朝だろうが、酒を飲んでいなけりゃ対応するけど、怒涛のようにせがまれることもしょっちゅうで、オレ介護タクシーやろうかなぁ……。
 
 近所に年寄った親戚がいる煩わしさいうのは、経験してみて初めて分かりました。それだけでなく、この村は異常と思えるほど行事が次から次へと押し寄せてきて、そのたびに村人同士が顔を会わせるから、仲が良いといやそうですが、確執もその分だけ増える、いうわけです。次は段原神社のお通夜だったかな、問題が起きないことを祈ってます。
 
 そんなことより、文化祭があるって忘れていた! 祭り祭りと、このところの心労からようやく開放されたと思っていたら、陶芸クラブに義務付けされている文化祭へ出す作品ができていないのです。
 陶芸クラブでは自分が作りたいものだけ作ってきたので、見せる作品のことが頭に無かった。ここんとこ大井戸茶碗に夢中になっていたけど、そんな見てくれの悪い、しかも出来損ないなんて展示できようはずもない。大皿を壊さんかったら良かったんけど、後の祭り。
 
 一連の流れで今日はゴブレットシリーズを挽きました。大きさや形が不揃いなのは、まだぼくらしいゴブレットの形が決まらないからです。自分らしいというのは美しいという意味ではなく、ワインなり焼酎なり、ビールや日本酒を飲んでみて、これが素敵! と思えるものが目標です。
 日本酒以外の酒はガラスの器で飲むに限る、と思っているぼくなので不可能に近い目論見ですが、それはそれで挑戦し甲斐があるというものです。

蕎麦も人も、遅咲きだからこそいいことがある

2009年10月08日 | 陶芸
 台風被害はまだまだ続いているようですが、メーローをやり過ごした当地は幸いにも大きな被害は無かったようです。ぼくの船も昨日の時点では荒波に揉まれ「沈みそうやぁ助けんかい!」と訴えているように見えましたが、今朝見るとさざ波と戯れておりました。
 
      
 
 蕎麦は哀しいかな、倒伏しているものも少なくなかった。だけどこのところの雨のおかげで遅れて芽を出したヤツも相当数あって、あいつらに夢を託したろやないか。
 夢といやぁ大井戸茶碗のことは諦めました。いくら頑張っても今のぼくの技量であの姿形を写して挽き上げるのは至難です。電動ろくろで挽き上げた直後は国宝の「喜左衛門」と似ているように思えるのに、高台を削り終えて見ると似ても似つかない物になっているんです。
 ここまで拒絶されたらもう止めや、あんたのことは諦めるわ、と大井戸茶碗に別れを告げて徳利やらゴブレットやらを挽きました。
 
      
 
〈芸事の世界では、「稽古を一日休んだら自分に分かり、二日休んだらお師匠さまに悟られ、三日休んだら客にばれる」と云われているそうだ〉
 いつぞやの天声人語から引用してみましたが、同じようなことをピアニストの中村弘子さんも書かれていて、「ピアニストは練習をサボると不安になる」のだとか。

 陶芸クラブは一回分飛んだんですが、今日やってみると変に上手く挽ける。一年前はろくろも回してなかった。ろくろを教えてもらうようになっても、ぐい飲み一個作るのに半日がかりだったことを思うと、ずいぶん進歩したなぁと感慨に浸るのです。

 天声人語は「休むことによってリフレッシュできて良い結果も出ることもある」と結ばれていたと思うけど、これか! いえいえ、そうじゃなく、ぼくが発展途上だからでしょう。芸事がどうのとかピアニストがなんだとかいうのはピークに立っているが故の危うさで、練習を休んだら落ちる一方の至芸の人にのみ許される格言なのです。

「君ぃ、君は以前に陶芸経験があるじゃろう、嘘をついちゃいかん」
 クラブの重鎮、要釉斎先生はぼくの作品を見るたびに糾そうとなさるんですが、断じてぼくは素人、ビギナーです。要釉斎先生から見たら遅れて芽を出した「びっくり子」でしょうが、先生のできなかった夢をかなえる可能性は宿しているかもしれません、その辺のことよろしくご指導願いたいものです。

梅華皮(かいらぎ)を削りで出すのか、塗りで出すのか

2009年09月22日 | 陶芸
 前回の窯入れテーマは「削りでカイラギ出し」でしたが、今回は「塗りでカイラギ出し」がテーマです。焼きは前回同様、素焼き無しの釉薬生がけです。
 削り出しというのは、作品がかなり軟らかいうちに高台を削ることによって器胎の土表面が荒れ、釉薬がくっつきやすい部分とそうでない部分ができる性質を利用している、らしい。プロ陶芸家の受け売りをするならこういうことですが、要は削るタイミングと道具でカイラギが出るかでないかが決まるようです。木を削るカンナと同じ向きに刃を削ったカンナを使ってもカイラギは出ないようです。
 
 今回は塗り出しですが、釉薬の塗り方のことではなく、素焼きしてない器胎に異物を塗りつけることによって、釉薬の乗るとこ乗らないとこを作り出してみようと目論んでみました。
 歯磨き粉、クレンザーなどなど色々と試した結果、何を塗ってもカイラギは出ました。いうまでもありませんが、撥水剤を塗れば100%出ます。しかし異物を塗っても出ない場合があって、それが削り具合なのか窯の温度なのか、あるいは釉薬の種類と掛け方なのか、要因は定かではありません。そうはいっても、削り出し技法と塗り出し技法を併用したものの全てにカイラギは出ました。
 
 不思議なのは、異物を塗った部分にカイラギが出なくて、そうじゃない部分に出るものがあったこと。写真のゴブレットがそれで、下半分に蕎麦粉を水に溶いて塗ったのに、上半分がカイラギ化してやがる。しかも上半分は削りもしていないのに。
 
 それと今回の温度設定は1230℃でしたが、おおむね焼けすぎ。茶碗は釉薬に白萩を塗って白くなるはずだったのになんでぇ、薄かったのか? 平津土灰、天目はカイラギにならず、逆に蕎麦釉は飛びまくりで釉薬をかけてないみたいな焼き上がり。しかも溶けて流れた釉薬がシャモットにくっついたやつがあってサンダーで削る羽目に、ショック甚大!
 
 今回は隣の新窯に入りきらなかった他人様の作品も収容したので、そちらに配慮した設定温度と上昇率を心がけたゆえの失敗と思われます。ただし焼き物の完成度という点でなら、生焼けの前回より上出来であることは叩いた音を聴いて疑いようもありません。
 なので今回と前回の中間の焼きを実現してなおかつ品の良いカイラギが出てくれたら最高なんですが、カイラギばっかり追求して出来損ないを大量生産するわけにいかない。あと少しというところまで来ているはずなのに、ここで一旦ピリオドを打つかどうか、悩ましい。

梅華皮(かいらぎ)の出し方、レッスン2

2009年09月21日 | 陶芸
 小春日和の今朝は待ちに待った窯出し。ティーグランドに立つ前はアンダーパーを目指して意気揚々とプレーを始めるものの、帰る頃にはすっかり落胆しているゴルフと同じで、陶芸も窯を開けるまでは期待に胸を膨らませているのです。
 
「うむっ、君の作品群の中に一つだけ茶を飲んでみてやっても良いかなと思う作品がある」と、ぼくが窯から作品を出し終えるや、テストピースをこっそり窯の隙間に仕込んでいた陶芸クラブの重鎮、要釉斎先生がおっしゃいました。
「そ、そりゃ本当ですか先生。で、その茶碗はどれでしょう?」
 要釉斎先生が他人の作品を褒めるなんてことは滅多にないことですから、ぼくも浮き足立って聞いたのですが、
「それは自分で考えてみるが良かろう、君の勉強のためを思うて言うておるのじゃから」と、もったいつけてぬか喜びをさせてくださいます。
「う~む、ラーメン鉢もたくさん出来て、君もラーメンを食べるのが楽しみじゃのう」
 結局はぼくの井戸茶碗群をラーメン鉢呼ばわりして帰って行かれたんですが、敬老の日だからムカつくところであっても穏便に済ませておこうと思いました。
 
 そういや敬老の日を迎え、下の姉からひ孫の写真やらなにやら、母へのプレゼントが贈られてきました。上の姉からも母へのプレゼントが届き、いそいそと開封した母が、「ゴキブリ・ホイホイ……?」と固まってしまいました。
 そうなんです、出てきたのはゴキブリ・ホイホイ。もちろん新品で、ゴキブリが捕獲された形跡は無いけど、何ゆえ? 不可解な物を送ってくる上の姉ですが、とりわけ奇妙なプレゼントです。敬老の日を前に母の顔が頭に浮んだからといって、どうしてゴキブリを連想したのでしょう。今日一日ぼくが頭を悩ませて出した結論は、ぼくの日記ネタを提供してくれたのでないとしたら、姉は何も考えていないのだ、ということでした。ぼくにはそれしか思いつきません、だって熟考の末にチョイスしたのがゴキブリ・ホイホイでは、余りにも姉が可哀想で……。
 
 陶芸作品の梅華皮(かいらぎ)の出し方について考察してみたことを書こうと思ったけど、今日は色々と疲れることがあって明日に回します。

口で育つなら、陶芸家なんて存在しないよ

2009年09月17日 | 陶芸
 先日訪ねた亡き陶芸家の遺作の中に、これはどうやって作ったのかな? すぐに真似できそうでいて、その実ぼく自身でやってみないと分からない作品がありました。さっそく試してみたのが写真です。スカートの部分に顔が掘り抜かれていたけど、そこまでは真似ません。というか明日が釉薬かけなので乾燥すら間に合うかどうか……。
 
 亡き陶芸家に思いを馳せながら作品を作っていて、もしかしたらお酒を飲まない方だったのかな、と遺族に聞きはしなかったけど思います。だってぼくは酒器ばっかり作っているし、酒乱、もとい酒豪のロクロ子先輩も酒器にはこだわっているじゃないですか。そういう角度から見たら酒器らしい作品が目に入らなかった。どちらかというと、酒を飲む奴は許さん! みたく厳格なたたずまいの作品群は、忘年会でただ一人酔っていない社長を彷彿させたのです。
 
 今回の旅はテル爺の墓参りが発端かもしれないけど、ロクロ子先輩が大皿の挽き方を教えてやるいうから陶芸家を訪ねたりしたのに、肝心のロクロ子先輩は「大皿の作り方は、口で教えてあげる」じゃあ困んねん! 
 彼女が口で育ててやるというのはありがたいけど、ぼくが育ててほしいのは陶芸の腕であって、口で育てるのは他の部位にしといてくれるか!