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らんかみち

童話から老話まで

禁酒忘年会なんて、踏み絵かい!

2009年12月17日 | 陶芸
 島の中学生たちに蔓延した新型インフルエンザの猛威は衰えることを知らず、本日予定されていた中学生向けの陶芸講座がまたもや中止となりました。決死の覚悟でインフルエンザに立ち向かうはずだったクラブの領袖、要釉斎先生の体調を学校側が気を遣ったものと思われます。
 黒板には要釉斎先生が前日から書いておられた講義次第が残されたままになってます。このまま日の目を見ることなく消されてしまうのは余りに忍びなかろう、というので写真に撮ってみました。

       要釉斎先生の労作 
       

 とりあえず本年最後の陶芸ということだけど、ぼくは何も作らずじまいでした。皆さんにしても午後からの忘年会を控え浮き足立っておしゃべりばかりで、何も作っておられません。
 その忘年会ですが、総勢14名のうち酒を飲むのはぼくともう一人の方のみとくれば、当然のように禁酒忘年会となりますが、酒なしで2時間も座っておれんよなぁ! 酒飲みにとって酒の無い忘年会で料理をつまむなんて、まるで踏み絵みたいな、試金石みたいな試練と言ってかまわんでしょう。こんなつまらんものないぞぅ。

                       お茶で乾杯!
                       
 
 陶芸クラブは来週もう一度だけありますが、その日は大掃除とクリスマス会に当てられます。たまたまイブなのでピザを焼いてお祈りしようとなったわけですが、ガチンコの仏ディストである要釉斎先生はどうなさるのか知らん。
 ぼくも社会的には仏教徒に違いないけど、頭の中はプロテスタントっぽい所もあって重篤な拒絶反応は起きません。起きはしないけど、ピザとくれば赤ワインの一本も持ち込みたくなるよなぁ、クリスマス・イブだよ?

練炭窯ことはじめ

2009年12月07日 | 陶芸
 陶芸クラブの窯を安価で自由に使うことが許されている身でやるべきことじゃないかも、と思いつつ面白そうだったので手を染めたのが七輪陶芸です。七輪に炭火をおこしてその中に作品を投入して素焼き、さらに釉薬をかけて本焼き、と楽しそうにやってる光景がずいぶんヒットするじゃないですか。それらを真似、備長炭に代えて練炭でチャレンジしてみました。
 
 釉薬は焚き火をした後の灰を水に溶いたものを、素焼きが面倒なので生がけ。いまいち薄い感じだったのでさらに灰をふりかけてみました。こんなんでガラス質のコーティングができるの? ぼく自身が不思議に思いつつもピカピカ光るはずだったのに、練炭の上に台を直接置いてその上に作品を乗せたのが失敗の元、なめておりました。
  
釉薬

 
 練炭は簡単に着火するので楽です。これが備長炭だと先ず消し炭とかマングローブ炭とかに着火してからでないと火がつきません。ドライヤーで遠くから空気口を煽りながら徐々に距離を詰めていくと上の七輪から炎が噴出します。
 
練炭窯


 皆さんのやってるのを見る限りもっと激しく炎が噴出してますが、いくら熱風を吹きかけても火勢が上がらなくなってしまったのは、練炭を作品が押しつぶして空気が回らなくなったから。この時点で失敗に気付きました。

灰かぶり


 出てきた作品は灰まみれ。温度が上がり切らず、灰が溶けなかったものと思われます。灰を洗い流してみると……

素焼きプラス


 一部はガラス化した釉薬の痕跡が確認できるものの素焼きに毛が生えた程度の生焼けでした。ほんまアホやなぁと自分で太鼓判を押し、備前焼のような器(せっき=磁器と陶器の中間に位置する)風のぐい飲みに酒をいれてみたら、景気良くジャジャ漏れする! 本来器は釉薬無しで水漏れはしませんから、やっぱり生焼けに違いないのです。
 これはもう陶芸クラブに見世物として持って行き、笑いを取る振りして釉薬をかけ直したなら再び練炭窯に投入……って、まだ懲りてない。

仲良きことは美しき哉、かな?

2009年11月28日 | 陶芸
 要釉斎一派の素焼きに屯する日、ちょいと顔を出して先生の急須を勝手に焼き上げたのを糊塗しないではおれません。
「先生、どうしても先生の急須が欲しくなって焼いてしまいました」といえば角は立たないけど、「では進呈しよう」などと本意でない展開になっても困る。いや本当に困る、っていうのは、あの急須で茶を点てて飲んでみたんですよ、そしたところ、先生が半世紀以上も陶芸家と茶人の草鞋を履いた甲斐も無く……早い話が使るような代物ではなかったのです。
 
 窯場をのぞいて驚きました。旧窯の前に先生が、新窯の前には手下二人が陣取って両方の窯を焚いているじゃないですか。二つの窯を稼動させるほどの数を作り上げているとは到底思えない、ということは、手下二人が旧窯をこよなく愛する要釉斎先生に反旗を翻し、新窯に自分たちの作品を詰め込んだに違いありません。
 
「せ、先生、実は先生の急須を勝手に焼きまして、そのぅ……」
 恐る恐る切り出したところ、
「ほぅ、そんなものがあったかいな……」と、気の抜けたような返事が。
 先生は惚けているわけではありません。実にかくしゃくとし頭脳明晰、口捌きの腕前も昔取った杵柄。とにかく黙ってやり過ごしてくれるとは思えないのに、一体どうしたことか。
 手下二人は先生に背を向け、先生は二人の背中に視線を突き刺し、微妙な距離感が醸されている、ということは、とんでもない緊張の只中にぼくは土足で踏み込んだのやも……。
 
 ぼくと先生との実りの無い会話が弾んでいたところ、手下の焚く新窯から黒煙が噴出しました。
「空気口をもっと開けたまえ!」と先生が激を飛ばし、
「いえ、空気口を開けてはいけません、ダンパーを閉めてください」とぼくが言うや、二人は先生の指示ではなくぼくに従うじゃないですか。もちろん正解はぼくの方、数日前に経験して冷や汗をかいたばかりなのです。
 そ、そこまで険悪になっているのか! とびっくりしました、がしかし、このハプニングで緊張していた状況が一変しました。手下は先生をねぎらい、先生は二人を激励する、というグルーミングのごとき友愛の光景が現出したのです。
 
 ま、なんにしても一派が仲直りできて良かった。これからは「仲良きことは美しき哉」と、窯場に張り紙をしておかねば。

孤高の窯出しに、乾杯!

2009年11月27日 | 陶芸
 素焼きは翌日に窯出しできますが、本焼き翌朝の窯はまだ100℃以上の熱を持っているので作品に触れることすら危険です。よしんば触れたとしても、窯を開けたことによって急冷され、作品にクラックが入る恐れがあるんです。翌日に作品たちと対面したいのはやまやまなれど、昨日のHALもじっと我慢の子でありました。



 今日は例によって独りでの窯出しですが、ぼくなら他人の窯出しにも立ち会いたいですね。どんな釉薬をどんな粘土にかけて窯のどこら辺りに置いたか、焼成温度のグラフはどんなカーブを描いているか、窯の各部分の調整はどれほどか。その結果どんな色調に焼きあがったのか、などなど学ぶべきことはいくらでもある、なのに誰一人として窯出し立会わないとはこれいかに。

 それはさておき、徳利、ぐい飲み、ビアグラス、ゴブレットなど窯から出るのは酒器ばかり。自分で使いたいものだけを作っているので勢い酒器ばかりとなるんですが、1年前はぐい飲み一つこしらえるのに1日がかりだったし、徳利なんて夢のまた夢だった。徳利を作れるようになっても実用的なものはなかなかできなかった。でも今日窯から出した徳利はちゃんと使えるものです。



 ここに至るまで1年の時間が必要だったことを思えば祝杯もの、なのに今は断酒中ときた。せっかくの断酒なのにここで止めては……しかしこんな日のために酒器を作っているんじゃないか、そうかそうだよね、じゃあ乾杯!
 独り芝居ってのも侘しいもんですが、酒は不味くない。自分の酒器に盛ったからといって安酒が美味しくなるはずもないので、断酒明けだからでしょう。
 写真の急須は、ぼくが勝手に焼いて勝手に修理した要釉斎先生の茶器です。先生は明日が素焼きだけど気がつくかなぁ、余計なことやっちまったなぁ……。

発情犬のいる陶芸クラブ

2009年11月26日 | 陶芸
 陶芸クラブに顔を出すなり、オス犬がぼくの足にグヮシっと絡んできました。いつもなら適当に距離を保っているやつなのに、どうやら発情期とみた。
「あんた生理きたんか?」って、飼い主のおばちゃん。
「はぁ?」
「じゃなかったらメス犬なでまわしたか?」
 どっちでもないって、いうか男の更年期じゃ!
 猫かわいがりされているバカ犬の毒気に当てられ、本日はロクロを回す気がそがれてしまい、手びねりでぐい飲みを一つこしらえただけで、あとはおしゃべりの相手をして終えました。

「残念じゃが、中学生は新フルエンザで学年閉鎖じゃ、フォッフォッフォ」
 本来なら中学生の陶芸授業を受け持つはずだったクラブの重鎮、要釉斎先生としては、したり。感染したのか回復したのか分からない中途半端な状態が最も危険であるとのお考えのようです。といっても一か月延期されただけで、危機が去ったわけでなし、先生もぼくも最終的には染るんでしょうね。

 ぐい飲みは国宝の井戸茶碗「喜左衛門」の写しですが、手びねりでもやっぱり難しい。売っている「喜左衛門写し」にしても似ても似つかないものだったりするから、プロでも難しいんだろうか。クラブのメンバーとその辺のことを話してもかなりずれている、というよりほとんど感心がないのか議論にすらならない。茶人を謳う要釉斎先生にしてもロクロに関心がないし、スケベ・マグカップに夢中なので国宝なんぞクソ食らえ。犬には絡まれるし、どっか陶芸教室の門でも叩こうかしらん。

陶芸クラブの時期「重鎮」に指名されました

2009年11月19日 | 陶芸
 中学の先生が陶芸クラブに来られ、クラブの重鎮、要釉斎先生と打ち合わせをされました。授業の一環である生徒の作陶を、クラブ員がサポートするにあたり、要釉斎先生に「陶芸とは何ぞや」のテーマで講義してくださいとのこと。要釉斎先生は、長く口で飯を食ってこられた方(教師)なので、生徒を前に教鞭を取るなんざ朝飯前、生きがいと言えるでしょうか。それについてはクラブの全員が一目置くところで、この日ばかりは要釉斎先生を奉るのです。
 
「ところで、中学のインフルエンザ状況はいかがかね?」
 新型インフルエンザの流行による小学校の学級閉鎖を受け、齢80半ばの要釉斎先生は気が気ではありません。ぼくのオヤジが要釉斎先生の歳には寝たっきりであったことを思うと、要釉斎先生の健康管理の徹底振ぶりには舌を巻くばかりです。
「幸いにして2年生は大丈夫です、ただ……」
「ただ?」
 中学の先生が答えると、要釉斎先生は身を乗り出して聞き返します。
「ただ、3年生に熱を出した生徒がおりまして、そのぅ……」
「つまり新型の疑いあり、ということじゃな、うむぅ!」

 奥歯に物が挟まったような打ち合わせを終えた要釉斎先生は、ただ一人残ってロクロを回していたぼくのところにやって来られ、
「君ぃ、陶芸クラブも新陳代謝が必要な時期を迎えておる、そうは思わんかね」と。
 組織疲労みたいなものといいますか、クラブの創立当初からのメンバーは高齢化のためもあって、歯が抜けるように退部して今は当初の半数程度なのだとか。そんな中にあって、珍しく入った新入部員がぼくなのです。
「他の連中は、儂に気を遣うておるのか知らんが、子どもらを前に尻込みをする、だすらこうていかん! 君じゃ、君しかおらん、儂の後釜は」
 要釉斎先生の後釜、つまり先生の志を継ぐ後継者として、ぼくをご指名なさったのです。
 
 当クラブに入会したのがおよそ1年前。それまで全くの素人であったぼくが、陶芸クラブの時期重鎮? 重鎮とは船で言うならアンカー、つまり錨。小うるさいことをのたまうのが事実上の任務であるなら、ぼくに務まろうはずないじゃありませんか、先生、何をとち狂ったことをおっしゃるやら。
「儂も生徒を前に死力を尽すつもりではおる、がしかしじゃ、儂の身の上に万が一の事態が降りかかったなら、君ぃ、後は君に任せようぞ」
 何を大げさなことをおっしゃっとるのかと思えば、先生はインフルエンザを必要以上に警戒なさっている由。お歳を考えればさもありなん、用心に越したことは……ハッ! 先生もしや、敵前逃亡を画策なさって……。

「言うべきことはそれだけじゃ、では儂は先に失礼する」
 独り残されて、諸先輩をさしおいてぼくが生徒を前に講義はできんよなぁ、やれと言われりゃやるが……などと考えていたら、生徒の作陶日はぼくの本焼きの日と重なっているじゃありませんか。これで重荷から逃げられるってもんです、ちょっと残念な気持ちも無いではないけど。

縄文式土器は女の情念により爆発した

2009年11月12日 | 陶芸
 縄文式土器というのはいわずと知れた日本独自かつ最も初期の焼き物です。あの太陽のフレアーのような、燃え盛る火炎のような、見る者を圧倒しないではおかないダイナミズムを「芸術である」と初めて認めたのは他でもない(故)岡本太郎さんです。縄文的、原始的な生命力と躍動感、野性的美意識とカオス的文様の融合する縄文土器との出会いが、その後の岡本太郎さんの芸術のベクトルを決定づけたとも云われております。
 ですが、もしかしたら岡本太郎さん、勘違いなさっていたのかもしれません。陶芸をやり始めて知ったんですが、「縄文式土器は女性が製作していた」と唱える陶芸家は少なくないのです。

「君ぃ、考えてもみたまえ、狩猟民族であった縄文人の男に、地べたへ座り込んでの土いじりが許されていたと思うかね。『お父ちゃん、土いじりしとるひまがあったら、うさぎの一羽でも狩ってこんかい、子どもらがひもじい目しとるやないかい』いわれたに違いなかろう」
 我が陶芸クラブの重鎮、要釉斎先生の言葉を裏付ける証拠として、縄文式土器には女性のものと思われる小ぶりな指跡が付いている物も多いそうです。

 してみると、あの力強いフォルム、異様かつ執拗なまでの装飾、おどろおどろしい文様とあられもない上下のアンバランス。これらは全て女の情念の具現、情欲の賜物、早い話が女性の化粧に共通するものがあるのではないかとさえ思えてくるのです。
 後の弥生式土器に見られる静謐かつ精緻な美意識は、男が土器を製作するようになった結果であろうと、要釉斎先生も洞察しておられます。本当のところは分かりませんが、もしそうだとすると岡本太郎さんは、生涯を賭して女の情念による芸術を爆発させたと言って過言ではないのでしょう。

今回の窯焚きは失敗だった、はずなのに

2009年10月29日 | 陶芸
 小春日和のなか、独りぼっちの窯出しの儀は寂しいな、と思っていたら要釉斎先生が来られました。
「どうかね、それみたことか! 言うには早すぎるかね」
 先生が愛してやまない旧窯で焚かなかったからといって、本気でおっしゃっているわけではないのです。むしろ「あぁだ、こうだ」と口を挟んだ責任を……というか、今日は陶芸の日なのですね。
 
 窯出しの儀というのは将棋でいうなら勝負がついた後の感想戦、童話講座でいえば合評の場と思っていいのでしょう。焚き上げたはいいが、さて焼き上がりはどうか、釉薬は何を乗せ、窯のどの辺に置いたか、全て出し終えたらテーブルに作品を並べ、一堂に会して批評を展開する。次の作品を焼く上で欠かせないプロセスといっていいでしょう。でもねぇ要釉斎先生だけでは、「君ぃ、焼き直しぢゃ! 及第点をやれるのはたった一つしかない」となって当たり前なんです。
 
 そんなことやっていたら離島館の館長さんが、「施設を有効利用なさってますか」と視察に来られ、ぼくの作品を見て「こ、これは気の毒に、窯変しているならまだしも、大皿がこんなに歪んでしまっては……」とかおっしゃるからには、館長なかなかの手練とみた。
 結果は大失敗といってかまわないでしょう。要釉斎先生に言われるまでもなく、生焼けなので同じ作品をもう一度窯に入れて焼き直さなくてはいけない、残念だけど。
 
 失敗だったからといって、陶芸クラブの日なので皆さんに開陳しないで済むわけがありません。つらい作業ですが、これもまた皆さんの礎になるのかと思うと、生贄あしらいもやむなし。
「あらぁそんなことないでしょ、きれいに焼けてるじゃない」なんて気休め言われても、ぼくが自らでハードルを下げるでなし、かえって気が滅入るってもんです。

 写真は今回の茶碗に出た「かいらぎ」ですけど、こんなものを目指しているわけじゃない。要釉斎先生に「これは茶碗じゃ」といわれても、こんなもん下品すぎる。それにゴブレットの作品群も一様に生焼けで失敗しました。
 
 だれにどう言われようと、自分で目指した焼き上がりでなかったら失敗じゃないですか。ところが陶芸作品に関してはそういった個人的な法則は当てはまらない。陶芸って自分の嫌いな物が他人に受け入れられる場合も少なくないし、好きなものが否定されることも多いのです。「売れるなら売ったらいい」と言われるけど、売れるからといって自らの理想を落とせるんだろうか、分からない!

陶芸と童話の狭間にて

2009年10月27日 | 陶芸
 うちの村が盛りだくさんの行事を抱えているわけを知りたければ、およそ600年前にまで遡って海賊の書を紐解かねばならないのですが、近代になってのことなら、椀船で村が繁栄を謳歌した名残である、といえそうです。
 まあそのへんのことは土井中さんのホームページでもご覧になって、というかあくまでもおもしろ百科であることを念頭において、氏のゆるキャラ振りに思いを馳せながら読んでいただければ幸いかと……。
 
 つまりぼくが言いたいのは、面倒な事が次から次へと押し寄せてきて窯焚きを始めるのが1時間も遅れてしまった、という愚痴に過ぎません。本焼は8時間という長丁場ですので、窯焚きの終わりが5時を過ぎてしまうと、照明も無い窯場は逢う魔が時(おうまがとき)も只中、とても怖いのです。
 
 まあ時間の調整はなんとかなるとして、この時間を利用して童話を書いちゃいましょ♪ と、ノートパソコンを持参して窯を焚き始めたというのに、「よ、要釉斎先生! な、なぜ……」
「うむ、君がでたらめ仕出かして窯を傷めるようなことがあってはいかん、監視じゃ!」
 そうなんです、陶芸クラブの重鎮、要釉斎先生が窯の取扱説明書を持参してお出ましになられたのです。
「ああせぇ、こうせぇ」と、例によって檄を飛ばしてくださるんですが、先生自身はこの窯が嫌いで焚いた事がないんです。アドヴァイスはありがたいのですが、ぼくの目論見とややズレがあるので聞いた振りして別のことをさせていただきました。

「おぅ、もう昼時か、儂は忙しいでな、すまんがこれまでじゃ」と先生はかえって行かれ、お昼も只中というのに魔と逢うたみたいに疲れたけど、これでようやく童話が書ける、と思った矢先に窯の温度上昇が鈍ります。
 供給する灯油の量、空気、煙突の開け具合、いろいろ調整しても事態は悪化するばかり。このまま温度が上がらないと初めからやり直しか、釉薬が溶け始める900℃付近で黒煙でも噴出そうものなら、中途半端な還元がかかってひどい目に遭うでしょう。ぼくの前に焼いた方の窯出しに立ち会って、そのむごたらしさを目の当たりにしたばかりなのです。
 
 こんなときに要釉斎先生がいてくれたらなぁ、なんで帰ってしまうねん! とさっきまで厄介払いできて喜んでいたというのに勝手なもんです。ええい、ままよ! と大きく燃料ダイヤルを回したら、あぁこれの調子が悪いんだ、と気がつきました。
 陶芸は窯焚きが最も難しいと云われますが、その難所も最終盤をむかえクラブのだれもやらない徐冷でフィニッシュ。よっしゃこれで明後日の窯出しを待つばかりじゃ……あ、童話が書けてないやんけ!

陶芸家は長生きできません、理由がわかりました

2009年10月25日 | 陶芸
 陶芸家は早死にするって言う人がいるけど、本当だなって思います。陶芸をやって人間国宝とかになった人は長生きしてそうですが、長生きしたから人間国宝といわれるようになるんだろうか。
 
 正しい統計かどうか知らないけど、碁打ちと将棋指しを比べたら碁打ちの方が長生きなんだとか。一般的なイメージなら将棋指しは破滅型で、碁打ちは堅実型でしょう。実際、碁打ちは死ぬまで強いのだけど、将棋指しは歳をとると急激に弱くなってしまうのです。
 
 ということなら長生きしたければ趣味で将棋を指すより碁を打って、趣味で陶芸するよりカラオケとか社交ダンスがお勧めということになりますが、社会学的に研究したデーターがあるわけじゃなし、好きなことをやって人生をまっとうできりゃそれに越したことはないわけです。
 
 でもやっぱり陶芸は趣味にしない方が良いかも知れません。昨日素焼きを終えて今日の昼過ぎに窯出しに行ったのですが、窯はまだ熱々でした。触れないほどじゃないけど60度くらいはあるでしょうか、しばらく扉を開けっ放してから取り出して釉薬をかけましたが、これがしんどいのなんの。今まで皆さんにおんぶに抱っこだったから分からなかったけど、全てを一人でやるのは相当な重労働でした、こりゃ早死にもするわい。
 
 要釉斎先生が惨劇の予測をしていたのを裏切って、素焼きで割れた物は一つもありませんでした。それは良かったけど、ぼくは釉薬のことをほとんど理解できていない。頭を使おうにも知識と経験がものを言う作業なら、最初こそ考えたものの、もうどうでもええか! と苛立って後半は全て同じ釉薬をかけてしまいました。そりゃぁ、この性格じゃ長生きできんわ!