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らんかみち

童話から老話まで

陶芸クラブでハミ子にされて

2010年03月26日 | 陶芸
 料芸クラブに顔を出すと、雨降りということで皆さん室内で釉薬かけをなさっていて驚きました。ぼくは、だれにいつ素焼きするとも声をかけてもらっていなかったのです。
 クラブには班という名の派閥が三つありそれぞれに窯を焚くんですが、ぼくはどの派閥にも属しておりません。一匹狼といえば聞こえはいいんですが、「アディオス・ハミーゴ」と言われて以来、疎外されて今に至っているんです。
 
 一人で窯を一杯にするだけの作品を作り一人で釉薬を準備し、一人で窯を焚くってのがどんだけしんどいことか。でも大物を二つ三つ電動ろくろで挽けば窯はすぐ一杯になるし、釉薬は種類を少なくしたら済むことです。
 
「君ぃ、ハミ子にされておるのかね」
 皆さんが帰ってしまうと、クラブのアンカーマン、要油彩先生がやって来られてぼくにおっしゃいます。
「仲間に入れてくれと頭を下げたら、拒む者はおるまいて」
 いやそりゃね、拒まれることも無かろうけど、ぼくが入ると形と量で他の方に迷惑がかかるんです。それだけでなく、各派閥の精神的調和が乱れる恐れがあって一歩引かざるを得ない、つまり仲良しグループにかすがいでなく、くさびが入ってしまう危険があるんです。
 
「君のろくろは所詮遊びじゃ、もう三年は苦労したまえ」
 はぁ? 要釉斎先生の女体像は遊びじゃないんですかい!
「ワシはあと三年生きるのは無理じゃ、君の成長を見届けることはかなわんかのぅ、フォッフォッフォッフォ」
 本日の先生は補聴器をお忘れになられ、言いたいことだけをおっしゃって帰って行かれました。
 
 最後はぼくですが、陶芸クラブの部屋の鍵を返しに行ったら、大正琴のクラブが集まっておられ、「兄ちゃんも大正琴やらんかぇ、面白いよぉ」と、危うく引っ張り込まれそうになりましたが、大正琴の楽譜を見てびっくり。
「こんなの読めませんよ、無理無理、絶対に無理です」
 もしぼくに絶対音感があれば、楽譜がどうであろうと関係ないんでしょうが、大正琴の楽譜で音楽を想像することは難しいです。いやそんなことより、一瞬でも心を奪われたことが問題なのです。もしも彼女たちの平均年齢がぼくの歳にプラス20年でなかったなら、あるいは……。

バイオリン皿作ってみました

2010年03月11日 | 陶芸
 5月にバラ祭りってのがあって、その集客力に物を言わせて我が料芸クラブの陶芸作品を売ろうと算段しております。昨年はあいにくの雨となり、二日目の客足が伸びず祭りが全般的に低調だったこともあり、ぼくの作品はさっぱり売れなかったのです。理由ははっきりしてます。陶芸を始めて半年あまりたった頃だったので、自分の使う酒器ばっかり作っていたからです。そんないきさつがあって、本日の料芸クラブでは売るための作品を作ってみることにしました。
 
 いったい何が売れるんだって聞かれた、そいつは分からんのです。ただひとつ言えるのは、チマチマした作品は売れ行きが悪いということ。茶碗でも何でも、薄く上手に出来ている物よりボリュームのある作品から売れていく不思議。要は中途半端に上品な物より、無骨であっても手作り感のある作品が求められているってことでしょうか。
 
 バイオリン皿を作ろうと、まずは赤土で5mm厚のタタラを作りました(割と難しい作業)。それを実物のバイオリン(4/4)の裏板の上に置いて皿の形を取ろうとしたら、バイオリンが泥だらけになったばかりかタタラが千切れてしまって大失敗。
 そんなこともあるかと、あらかじめ作っておいた型紙をタタラの上に置いて形を取りました。はなっからこうすりゃ良かったって後でなら言えるけど、やってみるまで分からなかったんです。
 
 たった6枚の型を取るだけに1時間半もかかり、自然乾燥させたら縁を立ち上げ虎目を思わせる筋を入れて完成。売れるかどうか分からないけど、自分で使ってみたくなる出来ぶりじゃないですか。
 思うに、酒器なんてのは入れるものがいつも代わり映えしない液体じゃないですか。ところが皿ってのは、何を載せようかなと想像がふくらんで楽しいですね。
 大きい方の皿には田舎そば、小さい方には更科そば、真ん中のくぼみには薬味なんぞ盛り付けるバージョンのものも作ってみました。4月半ば頃までに自分の作品だけで窯が一杯になるようにいろんな作品を作ります。

自由を、作品にもっと自由を

2010年03月04日 | 陶芸
 
 急須と聞くと分福茶釜のタヌキを思い浮かべてしまい、「おいタヌキ、化けの皮はぐぞ」と、いちゃもん付けたくなるぼくとしては、できるならもっと異形の物をこしらえたかった。しかしできあがってみればこの通り、なんともアカデミックなタヌキでした。
 料芸クラブのいちゃもん付け、要釉斎先生のように恥も外聞も全てを超越し、腰パンだろうが紐パンだろうが、はたまたTバックだろうがノーパンだろうが、唯我独尊を貫けてこそ陶芸の「芸」たる証でしょうが、これがなかなか難しい。

                 
 
 恥を明かしますが、ここへ到達するまでには紆余曲折があり、二組のパーツを組み合わせてバランスを取ったからこそ何とかそれっぽく見えるのです。
 そればかりか、組み上がって眺めているとついつい持ちたくなり、取っ手を握った瞬間、ポロリ。
「あうぅ~!」
 付け根から外れてしまい、
「うんうん、分かる分かる、持ってみたくなるのよねぇ、だれでもそうよ」と、料芸クラブのママさんに笑われる始末。

 そこへいちゃもん付けの要釉斎先生がやって来られ、
「君ぃ、なかなかやるじゃないかね。がしかしじゃ、急須というのは取っ手を地に付けたら、逆立ちができるようでないといかん、即ちこうじゃ」と、やおら急須を手にしたかと思うや取っ手を逆さまに。
「せ、先生、たった今くっつけたばかりです!」
 ポロリ
「君ぃ、それを早よう言わんかね」
 聞えとったんですかい! ま、もういっぺんくっつけりゃ済むことなんですが……。
 
「それより先生、フタの裏表が逆のような気がするんですよ。凸型にせんといかんのに、凹型にギボシが生えてきた感じで?」
 普通に考えたらだれでも鍋のフタを思い浮かべるはずなのに、ぼくはなぜか反対をやってしまっているんです。
「うむ、これでええじゃないかね、陶芸に正解いうもんはありゃせん、好きにするが良かろう」
 ていうか、さっきまで逆立ちがどうのこうのとおっしゃって……。
 
 帰って眺めていたらどうにもフタが気になって仕方ありません。要釉斎先生はああおっしゃったけど、後々になって、「ぼく、女の子だったみたい」のようなことを息子にカミングアウトされたと考えてみて下さい。
「そうか、分かった。お父さんはな、お前が幸せならそれで構わん。世間から何と言われて後ろ指を指されようが耐えてみせる、お前を守ってみせる。だがな、お母さんはどうだ、産んだ自分を責めたりしないか? お母さんを悲しませるような早まったマネだけは勘弁してくれ」
 といったみたくジェンダーフリーな危惧を感じ、ギボシを切り取ってフタを裏返しにして付け直しました。
 
                 
 
 ぼくのタヌキと要釉斎先生のペリカンを比べてみて下さい。実用性を云々するなら先生のペリカン急須は使い物にならんのですが、どうです、この自由奔放な造形、韜晦のない闊達な天衣無縫ぶりは? 
 ここまで真摯に個性を追求すれば、もはや傍若無人を超越して芸の域に踏み込んでますよね。「迷人は危うきに遊ぶ」とでもいったところでしょうか。
「上手に出来ておりながら、下手くそに見えるのが至芸というもんじゃ」
 先生のおっしゃったのは、まさしく至言。陶芸はすべからく自由であれかし。

チッ、ウッセーも言いたくなるけどね

2010年02月25日 | 陶芸
 世良公則さんがNHK教育「趣味悠々 やきものの里で陶芸に親しむ」で急須をこしらえていたのを見て、早速あやかってみました。
 あの方は手びねりでやってたけど、なかなか器用な方とお見受けした。ああしかし、ぼくは手びねりが苦手なので勢い電動ろくろだが、プロの肉厚2ミリにはほど遠く、不幸の住むと人のいう。
 
 最初の難関は、例によって発情犬の絡みついてくることで、飼い主いわく、
「あんた、妙なフェロモン出しとるのとちゃうか?」
 チッ、うっせーなぁ!
 犬をつないだら今度はおばちゃんが電動ろくろの前にやって来て、
「おやおや、今日は赤土? 赤を焼いたら白より縮むのよ。だから大きく作りましょうね」
 チッ、うっせーなぁ。
 おばちゃんたちがうるさいので集中できやせん。こんなんで急須の初チャレンジなんかできるかいってんで、皆さんが帰られてから挽いてみました。
 
 ぼくはお茶を飲まない人間なので、急須がどういう形だったか、高台は必要なのか、パーツの大きさは? 分からないことだらけなので異なるサイズや形のパーツを予備に作ってみました。
 そこへただ一人残っておられた、当クラブのメイン・コメンテーターであらせられる要釉斎先生がやって来られ、
「うむぅ、見事じゃ、見事な形成じゃ。しかし君ぃ、痰壺にしては小ぶり過ぎやせんかね」
 チッ、うっせーなぁ!
 
 国母選手のファッションセンスについては、あれって笑いを取って仲間をリラックスさせるための腰パンだったと仮定しましょう。しかしだ、記者会見のあの態度はいかんだろう。やつの面ぁ見ると反吐を吐きそうだ。というのも、ぼくに良く似ているから。
 いや面じゃなく(面はやつの方が男らしい)あの大人を見下したような不遜な態度や、へらへら笑いを浮かべながらひねくれた物言いするところなど、ぼくの若いころそのもの。やつが叩かれるのを見ると、まるで過去の悪業を発掘されて自分が叩かれているような気がするぞ。
 
 確かにやつもぼくも、叩かれてしかるべき生意気な男かもしれない。だけど亀田ファミリーで一稼ぎしようとして、ファミリーの姿勢を正そうとしなかったメディアに国母選手を叩く資格があるんですかい。バンクーバーには、五輪出場経験のある大物リポーターとかを送り込んでいるんでしょ。その方々は彼の腰パン姿がカメラに映る前に注意してあげることはできなかったもんかね。
 そればかりか、こともあろうに石川遼選手と比較して「親が悪い、母親の育て方が悪かったからこんな大人になった」などと、つばを飛ばしながら悪態をついているコメンテーターを見るにつけ、メディアの品格とは何って思う。
 
 国母叩きをやっている番組を見ていると、こちらの品格まで問われているようで思わずチャンネルを変えたりスイッチを切ってしまった。国母問題より、公務員制度改革法案はどうなった? もっと大事な報道がありゃせんか。国母叩きするその口でトヨタ叩きでもやってみればどうなの。日本を代表する会社だから叩けないのじゃなく、莫大な広告料をもらっていてできないなら、メディアを責めても仕方ないか。
 
 いかんいかん、ついエキサイトしてしまいました。だけど、「親が悪い」のコメンテーターに言いたいのは、「お母さん、あなたをそんな風に育てた覚えは無いわ!」と息子の前で涙を流したくなるのは良くあることでしょうが。ていうか、当クラブのメイン・コメンテーターは大いに問題ありです。
 
「せ、先生、これは急須のつもりなんですが」
「何ぃ、これが急須のつもりかね。君ぃ、茶を飲まぬ者は茶器に手を出すな、という言葉が陶芸の世界にはあるが、邪な志は捨てたらどうかね」
 かく宣う要釉斎先生こそ酒も飲まんくせに、ぐい飲みの出来損ないを作っておられるんですがねぇ。
「君に急須作りのポイントを一つ伝授して進ぜよう」
 先生はそうおっしゃって、蓋受けの形状について指南して下さいました。「チッ、うっせー」は心の中の叫びなので聞えていないはず。人間は素直な方が得するようですね。

発情犬に邪魔されて陶芸

2010年02月04日 | 陶芸
 料芸クラブに行きたくないよ、でも行かないとママさんが見舞いに来るかもしれんし、作品も削られるのを待っているだよね。しぶしぶ行ったら、クラブのマスコット犬♂が跳びかかってきやがる。
 何事かと思ったらぼくの右足にしがみついて腰を振り始めるじゃありませんか。やめんかい発情犬が!
「あんた、生理来たんかぁ!」
 なわけないだろ! ったく、犬が犬なら飼い主も飼い主じゃ。
「ほな、女といちゃいちゃしとったんかぁ?」
 あんたも女の端くれだろうが、なんでそっちにしがみつかんのや。
「メス犬と戯れとったんちゃうの」
 だれが犬と……あ、そういう意味じゃないのか。ともかく近所に中性犬はいるけど純然たるメス犬はいないのです。
 
 ロクロの前に座っても発情犬は猫なで声を出しては寄ってくる。変なのは、右足にばっかりしがみつきたがること。おばちゃんたちが引き離しても引き離してもやって来るんです。作品が削れんがな。
 犬はハーネスに繋いで寄って来なくなったけど、その代わりにおばちゃんたちが寄ってきて「腰に悪いから無理するな、おんなじ姿勢を続けるな」とあれやこれや話しかけてきて、作業が進まんがな!
 
 そんなこんなで途中で削るのを諦めましたが、それにしてもなぜ右足だけに奴はヒカれたのでしょう。ず~っと考えていたけど分かりません。ところがさっき風呂に入ってみたら、右膝が青くなっている。
 そうか、数日前にバイクの押しがけをしたときに膝を痛打して腫れ上がったのでアンメルツヨコヨコを塗ったんでした。でも一回塗っただけだし風呂にも入っているのに、まだ残り香があるんかな。
「ズボンを洗濯しても匂いが分かるみたいよ」
 昼間、飼い主が言ってましたが、すごいですね犬の鼻って! ああそれにしても、陶芸に気合が入らん。

中学生たちと窯出しの儀

2010年01月29日 | 陶芸
「それではこれより、窯出しの儀を執り行います」と要釉斎先生が高らかに宣言し、先生のこよなく愛する旧窯の扉が開けられるや中学生たちからどよめきが起きました。要釉斎先生と、そのしもべや学校の先生の手で一つずつ慎重に取り出されるたびに作者の子が歓声をあげます。
「きゃ~、買ってきたみたいに綺麗」って、学校の先生や校長先生まで興奮してますが、そんなに喜ぶほどのもんかなぁ。
 
 窯出しの儀っていやぁ、思い出した! 自分の作品が初めて窯から出されるのに立ち合ったのは一年と一月前。「一番楽しみにしているのはこの人だから、本人の手で出させてあげて」と先輩に気をつかってもらい、初めて自分でこしらえた作品を窯から出した喜び。あれをどうして忘れてしまったんでしょう。
 
 あのころは湯飲み一つ作るのに半日、高台を削るのに翌週にまた半日と、非常に時間がかかったばかりか、削り終えてもまだサンドペーパーで修正してました。そんな命を削るようなことやってたから、焼きあがった一つ一つがいとおしく、約束していた友だちにあげるときの手離れの悪さといったらありませんでした。それが一年もロクロを回してみたら、今じゃ数分で湯飲みができ、修正もほとんど必要ないので、作品に思い入れちゅうもんが無くなってしまったんですね。
 
 中学生たちの作品は要釉斎先生の手で大きく修正されてます。もし彼らの作品をそのまま焼いたなら、今日のような喜びは無かったかしれません。遠巻きに撮影していたのでぼくの修正した作品を見ることはできませんでしたが、先生とは全く異なる高台にしてあるから、友だち同士で見せっこしたら楽しいでしょうね。
 最後に子どもたちの代表が御礼の言葉を述べ、要釉斎先生も合掌で応えて満足そう。なるほど、この窯出しの喜びを子どもらと共有できるからこそ心血注いで削っておられたんですね。来年はぼくも一期一会の気持ちで削ってみますか。

フィギュアの未来ちゃんのフィギュア

2010年01月28日 | 陶芸
「せ、せんせぇ、これぇはいったい?」
 本日の料芸クラブ、最後に残ったのはクラブのアンカーマンであらせられる要釉斎先生とぼくでしたが、先生の御手には何やらフィギュアのようなものが。
「君ぃ、知らんのかね、長洲未来ちゃんじゃ」
「みらいちゃん、ですか」
「うむ、日本人でありながら、米国のフィギュアスケート五輪代表に選ばれた女の子じゃ、快挙だとは思わんのかね」
「あ、あの娘のことですか、すごいことだとは思いますが、この作品は服を着ていない……」
「人間本来無一物。人は裸が最も美しいと、これは禅の教えじゃ」
 聞き覚えのある言葉ですが、ぇえ~そういう意味だったかなぁ。
「しかし先生、彼女はまだ16歳ですから、一糸も纏っていないってぇのは、いかがなものでしょう。荒川静香さんあたりではいかんのですか」
「荒川? もはや過去の人物じゃ。そこへいくと、未来ちゃんはカワユイのを」
 有り体に言うてもたら、ピチピチギャルが御好きってことですかい!
 先生を弁護するんじゃないですが、このフィギュアは先生が、しもべに乞われて作ったもの。であっても、念頭にあったのは新聞に掲載された長洲未来ちゃんの写真でしょう。先生が齢80半ばにして尚お元気な秘密を覗き見た思いです。
 
 腰に良くないのでロクロはやりたくなかったんですが、メンバーのお一人が電動ロクロの下に平台車のようなものを置いてくれました。これなら腰にも良かろうってわけで、せっかくだから使ってみることにしました。
「この前作っとったワイングラスみたいなん、あれ作ってくれん?」
 ロクロの前に座るなり、メンバーのおばちゃんの一人がぼくに耳打ちします。変な話です、だっておばちゃんは手びねり専門ですが、ぼくよりずっと上手なんですよ。
「こんなんで良いんですかねぇ、どういうのをイメージなさっているか分からないので」と、腰を傷める原因となったゴブレットを挽いて差し上げました。

 家に帰ると、あのおばちゃんが「お礼」と称して焼酎を持って来なさる。しかも粘土までくださって。
「大きな声では言えんけど、みんなHALさんのあの形のゴブレットが欲しいんよ。でも電動ロクロの先輩がいるから、あの人を差し置いて頼めんでしょう」
 あんな変な形のゴブレットのどこが良いのか聞いたら、ビールの泡が消えにくい、陶器なのでヌルくなりにくい、高い台が付いているので、結露してテーブルを濡らしにくい、ということらしいのです。
 そこまで考えて作ったわけじゃ決してないので、自分では実用性に疑問を持っていたんですが、思ったより使えるんだそうです。
 
「君ぃ、ワシのコーヒーカップはどうかね」
 家に帰る前に要釉斎先生のおしゃった言葉を急に思い出しました。例によってスケベなフィギュアの持ち手が付けられたカップを見せてくれたので、
「ああ、素晴らしいですね」と答えたんですが、「欲しけりゃやるぞ」って言いたかったのではなかろうか。
 でも要らんよなぁ、先生の作品はどれもこれも実用性を欠いているし、ああそうだ、鉛筆立てとかに使えばいいのか。
 ここまで考えてようやく気がつきました。あのおばちゃん、酒も飲まないのにゴブレットなんか要らんはず、あのゴブレットいったい何に化けるんやろ!

厨房たちと料芸クラブ

2010年01月14日 | 陶芸
 ぼくのときの少年式ってあんまり思い出せないけど、今でもやってるんだ。本日の料芸クラブは、その少年式のための作品をこしらえるってことで厨房たちに占拠されてしまいました。
 
 インフルエンザが流行っているのでマスクをしての形成を、こちらもマスクで対抗しながら手伝ってあげました。といってもぼくは撮影のために手を汚せないので、かかわっておりません。それにぼくの手びねりは、厨房たちのテクと大差ないでしょう。教えられるほどではないんです。
 
 クラブの要、要釉斎先生にとって本日は晴れの舞台、ライフワーク、生きがいとなっているなら、おお、さすがに活き活きとなさって、とても齢86とは思えません。いや先生だけでなく、日ごろ物静かなおじさんも、今日ばかりは張り切って教えていました。若さという点滴は効く~ぅ!
 
 4枚エッセイは一応の完成を見ました。感動的っていう話じゃないんですが、田舎らしいほのぼのとしたテイストに仕上がったかな。去年は書き終えてから当公募のホームページを発見して、入選作を読んでいたら、あちゃー、モチーフが似てる! という作品があって、その瞬間入選は諦めました。今回の作品と似たような作品が、過去に入選してないことを祈っておきましょう。
 
 それにしてもWHOの新型インフルエンザに対する姿勢はどうよ。ワクチンメーカーと交んでおったなんて、えぇかげんにせいよ! 今回ばかりは左翼のいう「インフルエンザのワクチンを打ってはいけない」に従って正解でした。

料芸クラブの七草の日、小学生と

2010年01月07日 | 陶芸
 陶芸クラブ改め料芸クラブの新年は蕎麦打ちで開けました。子どもたちが先生指導の元で七草粥を作るのを、「七草粥も食いたいぞ」と横目に見ながらの掛蕎麦でした。
 
 蕎麦を打っているのは陶芸の手びねり達人で、ぼくが教えてたんですが非常に飲み込みが早くて驚きました。もっとも、陶芸と蕎麦打ちは共通の技術が多く、どちらかが出来ると応用が効くんですね。例えば土を練る菊練りは蕎麦にも使えるし、蕎麦を延ばすのは粘土でタタラを作る作業と似ています。
 ぼくはこのおじさんに「陶芸初心者じゃないでしょ?」と聞かれたけど、ぼくはこのおじさんに、蕎麦打ち初心者じゃないでしょう? と聞きたくなりました。
 
 陶芸は形成ののち窯に入れて焼くわけですが、本焼のときは炎の神様任せになってしまうので、こっちは祈るしか手がありません。実は蕎麦も同じなんですよ。打つところまではミスなくやれたとして、おばちゃん達に蕎麦を委ねてしまった後は手の施しようがありません。なんたって主婦という料理の達神ですから、ぼくのような小僧の言うことなんぞ聞いちゃくれません。いや聞く振りはしてくれても、実行には移してくれませんので、ただひたすら達神に祈りを捧げるだけです。
 
 陶芸クラブは「班分け」という名の派閥に分けられていたのですが、料芸クラブになった途端ベルリンの壁が崩壊したみたいに派閥間を隔てていた壁が壊れてしまいました。つまり食べるだけの側と作る側にフラグが立てられ、クラブの重石、要釉斎先生と先生から距離を置く連中が同じグループ分けになってしまったのです。
 
 おかしなものですな。嫌いなら嫌い、好きなら好きで徹底して不思議はないのに、誰かに何かの理由でグループ分けされてみると嫌い同士が同室になっていた。今日の当クラブの有り様は、いうなれば料理を作る側から疎外された仲間同士が、作る側という共通の敵を見つけて一致団結している図式でしょうか。人間同士の好き嫌いなんて、案外簡単に覆ってしまうもののようです。

トナカイさんの洗い物

2009年12月24日 | 陶芸
 陶芸クラブ最後の日、本日をもって陶芸クラブは解散とあいなりました。事情は後ほど書きますが、最後の締めくくりとして窯にしめ飾りをかけました。御幣(ごへい)が無いけど御愛嬌。
 
                  
 
 掃除と並行して朝からピザ生地を醗酵させていると、2時間後にようやく膨らみました。ちょいちょいと捏ねては千切り捏ねては千切り、フライパンに生地を広げ、あらかじめ炒めておいたパプリカや玉葱、じゃがいもなどをトッピング。生地が焼けたらフライパンから取り出して魚焼きグリルでチーズをとろかせたら出来上がり。
「バジルは? マッシュルームは? オリーブは? そんなのピザじゃねー!」と、離島の中心で駄々を捏ねたくなるぼくですが、チーズたっぷりで美味しかったなら、いつか自力でやってみます。

                  

 離島館の職員さんにもおすそ分けすると、「あんたら、いつから料理クラブに改組したの?」などと驚かれ、来年からは「陶芸クラブ改め、料芸クラブ」という、料亭で芸者をあげてどんちゃん騒ぎしそうな、わけの分からない組織とあいなります。年明け早々のクラブ活動として、ぼくは陶芸ではなく蕎麦打ち講座を任されました。(そのうち手芸と洋裁も混血してしまう?)
 
「来年こそはシュトレンを注文するよ」と、パン屋のQちゃんに約束した去年のクリスマスイブ、残念ながら今年はピザとなってしまいました。あそこのシュトレンは人気もあり数も限られているので、ネット注文であっという間に売り切れてしまうんです。
 仏教徒なんだからドイツ人だかの真似せんでもええやろ、言われたらその通りだし、「真っ赤なお鼻の、トナカイさんは、いつも皆の、洗い物」と、どうしてトナカイさんは皆の洗い物をさせられているだろう、と思い込んでいたぼくですからね。今夜はシュトレンではなく、トナカイさんの夢でも観るとするか。