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らんかみち

童話から老話まで

うちの窯は悪女みたいに扱いづらい

2010年05月13日 | 陶芸
 9時間の長丁場である本焼きに備え、おにぎりを握ってお弁当としました。弁当なんかコンビニで買えば良いし、ローソンのおにぎりは好きなんですが、朝の9時を過ぎないと入れ替え前の品をつかむ羽目にも……。

 にしてもうちの電気釜は、窯のテフロンがはげてきているんです。買い換えようと調べたことがあって、サンヨーの「おどり炊き」と銘打った圧力釜の人気が高いのだとか。テストしている動画を見たら、ガチャコンガチャコン、シュッポシュッポと、蒸気機関車みたいなパフォーマンスを披露してくれてました。
「お前、そこまでせんと米が炊けんのか」と、思わず画面に毒づいたくらいのオーバーアクションなんですよ。でもその原理が、圧力鍋の圧力を急激に抜き、米がびっくりして踊る隙を突いて炊き上げる、と聞いて納得。

 電気釜の話の続きは後日に譲るとして、本日は灯油窯で泥の本焚きです。
「君ぃ、泥などと呼ぶんじゃない、粘土と呼びたまえ!」
 陶芸クラブの言うこと聞かん者であらせられる要釉斎先生に聞かれると怒られそうですが、要は土でできた作品を焼き締め、釉薬というガラス質でコーティングするのが本焼きの目的です。1250℃まで昇温すると煙突が赤くなり、初めて見る人は怖いくらいの迫力がありますよ。
 
 その窯(命名、カマドン)を一人ぼっちでお守りしないといけません。ちょっと目を離すとサボってくれるやつなんです。サボるくらいならまだしも、発作でも起こされたらかなわんので、付きっ切りの人身御供にされるようなもの。だったら童話を書きながら、と思ってパソコンを持って行ったまでは良かったけど、カマドンのやつ、ぼくの言うことをなかなか聞いてくれません。
 
 カマドン使いとしての資質が問われる中、よっぽど先輩諸氏に救援を仰ごうかとも考えたけど、独り焚きも3回目なので甘えは許されなんだろうと、自力でなんとかしました。
 
 予定通り夕方5時にカマドンを眠りにつかせたものの、童話が書けなかったばかりか、焼成もなんか失敗したっぽい。急激に温度を上げてしまったり、不完全燃焼で温度が下がったりと、暴れる猛獣に、粘土ならぬ手を焼いてしまいました。窯開きする明後日の朝が怖い。

バカに付ける釉薬

2010年05月12日 | 陶芸
 素焼きは奇跡的に一つも割れてなくて、うれしかった。でも窯一杯の作品を前に、今日中に釉薬を掛けられるんだろうか! 時間制限が無ければできますが、夕方の5時までっていう不文律みたいなものに縛られての作業なので、あせるあせる。でも結局6時までかかってしまいました。
 
 素焼きした陶芸作品に釉薬を掛けるってのは、言ってみれば絵の具をジャバっとぶっ掛けるのに似ています。手際よくやれる人なら、窯一杯の作品に要する時間なんて2時間もあれば滞りは無いはずですが、なんで9時間もかかるねん!
 考えるからなんですよ、全ての作業手順と出来上がりの予想を。だからって考えた通りの出来上がりになった例は無いのに。それでも考えてしまうのは、囲碁や将棋と同じで窯や炎や釉薬という不可知なものと対戦しているからでしょう。

 先日のテレビで羽生名人が、「将棋はいかに手を読まないか、なんです。晩年の大山名人と対戦したとき、ほとんど読んでいないように感じました」と述懐されてましたが、真理ってやつですね。達人とか名人になると考えなくても答えが見えるんです。
 答えといっても正解であるかどうかは別です。相手が自分の読み通りの手を指せば正解になったとしても、自分の読みに無かった手を指されて負けてしまったら、自分の読みが浅かったのです。
 
「思うような陶芸作品ができなくて当たり前。炎の神様、窯の神様を相手にしているのだから」というのは一面では正論であっても、不可抗な力を排除していくのが「読まない」ということなのではないでしょうか。
 ぼくの場合は、かなり無駄なことを考えながら釉薬を掛けていると思います。プロだったら、はなっから読まないことに頭を悩ませ、次の一手を誤ってしまって負ける、その繰り返しです。
 
 今回はクラブの釉薬はほとんど使いませんでした。読みの範囲内にあるものだったらつまらないじゃないですか。負かるかもしれないけど、冒険をしなかったら前には進めませんもんね。
 だけどマイ釉薬を自腹で買ってはみたものの、なんて扱いづらいんだ! やりたいことがあったから高い金を払ったってのにぃ……。

素焼き爆発の恐れあり

2010年05月10日 | 陶芸
 素焼きに向けて窯入れをしました。見ての通りガラガラですが、ギリギリなんです。素焼きは重ねておこうが転がそうが問題はないんですが、釉薬を掛けた後の本焼きをシミュレートしないといけません。
 コンセプトが一貫してないと言うか、そんなものが有ったためしのないぼくですので、高さといいサイズといい、てんでバラバラだから苦労するんです。何度もやり直したけど、結局重ねてしまいました。
 
 上手に組み合わせて並べれば良いようなものの、実はある程度の配置は窯の性質で決まってしまいます。旧窯は大物を下に置き、この新窯は上に置かないと焼き上がりに差が出てしまいます。素焼きなのでそれも関係ない、というより、大物を下に置くべきだったか?
 もしも一番上に置いた大皿が爆発したら、他の作品も一蓮托生の運命を背負ってしまうのかも。一番下に置けば爆発しても他は助かるんでしょうか、その辺が良くわからず、選択ミスかも。
 所々に平目の赤ちゃん(この箸置は良く売れる)が泳いでますが、あれは「間借りさせてくれ」と頼まれたものです。爆発したらゴメンナサイ!
 
 歩きニストのコイケダさんが高知を遍路しながら携帯でつぶやいておられます。しかし修行の道場、高知とはよく言ったもので、距離が長くお寺が少なければ、いくらがんばって歩いても達成感を得られません。しかも年中雨が降っているような印象を受ける土地で、今回ものっけから雨に祟られたようです。
 しかし高知の酒は美味しいので、酒乱の彼女としては猫に鰹節でしょうかね。宿では毎日カツオのたたきを出されるでしょうから、是非とも堪能なさっていただきたいものです。
 

もうすぐバラ祭りだよ

2010年05月09日 | 陶芸
「君ぃ、ワシが本焼きした後の、まだ温々の窯で君の作品を素焼きしたまえ」と、ご親切にも陶芸クラブの指揮者であらせられる要釉斎先生が電話をくれました。
 当クラブの窯場には新旧二基の灯油窯が鎮座ましましているのですが、先生の愛してやまない旧窯は燃費が悪いばかりか、作品を置く位置によって焼き上がりに大きな差が出ます。それを嫌った先生の走狗が反逆を企て、新窯を焚いたことがありましたが、慣れない新窯にしっぺ返しを食らってしまいました。でも本当は新窯の方が扱い易いんです。

「先生、ぼくは新窯で焚きますので、そのう……」
 みたいな会話があって、「君ぃ、それではバラ祭りの初日に窯出しとなってしまう。君は己が作品に値を付けんつもりかね」
 冒頭の写真で紹介したバラ祭りで陶芸作品を販売させていただくんです。でも昨年はじめて出してみて分かったんですが、置いた尻から売れて行くなんてもんじゃありません。ぼくなんか二日で三つ売れただけ。金額にしたら800円くらいだったと思います。今年はもう少し売れるか知れませんが、売れなくたって「只ならもらってやっても良いよ」と言ってくださる人は現れると信じてます。
 
 去年作った作品群で家の床が抜けそうになってますが、あれらにもらい手は現れないでしょう。もしぼくが有名人になったら、仮に新聞にでも紹介されたなら売れるでしょうが、そうなったら自分で割ってしまうと思います。
 一端の陶芸家になったように思い上がっているって後ろ指を指されるか知れませんが、そうじゃなく、本当に恥ずかしいんです。捨てる穴があったらすぐにでも割りたいところです。
 
 陶芸をする人は皆さん同じ思いじゃないかな。
 焼いたけど思ったような物にならなかった、捨てるか、いやそれには忍びない、といって未来永劫に亘って評価されるでない、いやピカソの絵が100億円なら、あるいは自分が死んだ後……。
 んなわけあるかいな! とHAL式陶器を前に明日は素焼きの窯詰め予定です。

陶芸における奇想天外と下品の狭間にて

2010年05月06日 | 陶芸
「おお良かった、HALさんが起きてこなかったらヤバイな思ってたんよ」って、あんまりなことをフグをくれたおばちゃんが言うので、一気に具合が悪くなってしまいました。

 それはさておき、本日の料芸クラブは窯焚きの日でした。といってもぼくは一人で後日やるので「バラ祭りin吉海2010」を前にして最後となるろくろの水挽きでした。なのに今日は二人の少年がひょっこりと現れて邪魔をしてくれます。
 
「菓子をやるから失せろ」と、ガキどもを追い払うことには成功したものの、「君ぃ、君の作る急須は出鱈目じゃ、この本でも読んで勉強したまえ。贈呈するんじゃない、貸すだけじゃ」
 素焼きを終えられた要釉斎先生がまかり出られ「陶説」なる難解誌を貸してくださいました。
 
「陶芸は、技術などより発想が重要じゃ。君のろくろなど模倣も良いところじゃが、まあ今の君には無理じゃろう。といって、ワシの老い先も短いことじゃから、君をどこまで指導してやれるか分からんがのぅ」
 ありがたいけど、お気持ちだけを汲み取らせていただき、実技の方はよそでご指導いただこうと……。
 
「当クラブは思考が沈滞しておる。奇想天外な作品を作ろうという気概のある者がおらん、そうは思わんかね!」
 奇想天外もいいけど、この前急須の注ぎ口を逆に反らせただけでチンチン呼ばわりされて、今日はオーソドックスな急須を組み立てたのが写真です。
 
 ところで、あの下品極まりないブログに書いたところ、それまで一日の訪問者数が200人余りに回復していたのが半減してしまったんですよ。きっと上品な女性読者に三行半を突き付けられたに違いありません。
 奇想天外と下品をどこで線引きするかが問題なのですが、女体像ばかりこしらえている要釉斎先生を当てにするわけにもいかないので、とりあえずは模倣をしっかりとこなしたい所存にございます。

チンチン型急須とはこれいかに

2010年04月22日 | 陶芸
 バラ祭り2010で販売する陶芸作品を焼こうにも、まだ窯が一杯になるだけの作品ができておりません。かくなる上は大作を一点でもこしらえて誤魔化すしかないのに、急須みたいな面倒なもの作ってたら間に合わんがな。
「その急須の注ぎ口、まるでチンチンみたいやな」
 平べったい方の急須を組み上げて眺めていたところ、おばちゃんがいちゃもんを付けてきました。陶芸クラブに入って1年半、ようやく気がつくなんて自分でも相当鈍いなと思うんですが、うちのクラブって下品! 
 
 童話講座はお師匠さまという重石を頂いているので、チンチンのチの声も聞きかない上品なコミュニティですが、陶芸クラブには先生がいません。重鎮がいるとしたら86歳の要釉斎先生ですが、率先して下品な女体像作りにいそしんでおられる体たらく。おばちゃんたちまでたがの外れたことを言い出すのも無理からぬことです。

「君ぃ、注ぎ口がチンチンとは、どういうことかね」
 今度は茶人でいらっしゃる要釉斎先生がお出ましになられました。
「いや、そういうあれではなくて、どういったら良いか、注ぎ口を反り返らせてみたんです」
 急須の注ぎ口って反らせる必要はないみたいですが、反っているのも多いんです。だからといってチンチンに見えるかぁ? もしかしたらこういうものって、男と女では見え方が違うのかもしれません。
 
「急須は注ぎ口が命じゃ。君は命がチンチンで良いのかね」
 だからチンチンを作ったんじゃないって!
「うむ、チンチンとしてなら立派な形じゃ、がしかし、これでは小便の切れが悪かろう」
 そうおっしゃって、黒板に急須の分類を書いてくれました。
「君の作ったものは後手(うしろで)と呼ばれ、正式な茶会で使用するものじゃ。君は茶を飲まんなら、どうしてこんなものを作るのかね」
 横手という急須もあって、これでお茶を注ぐと急須の底がお客に見えてしまうので、尻を人に見せるように下品なことなんだそうです。

「年寄りの小便みたいに、垂れるチンチンはいかん、急須とて同じことじゃ、心して作りたまえ」
 ぼくはお茶を飲まないけど、どなたかにプレゼントするならコーヒーカップとか急須はまあ使い道があるかなって思います。でも注ぎ口がチンチンに見えるとしたら、人に差し上げるわけにはいかんがな。次回からは心して作る所存にございますぅ。

女体像をこしらえろって言われても

2010年04月08日 | 陶芸
 陶芸、ちょっとスランプだ、なんて言おうものなら、「スランプとは、一流の者のみが用いることのできる単語である」と、クラブの主席評論家であらせられる要釉斎先生に一喝されるのは間違いありません。だけどこの前までやれたことが急にできなくなったのは……そうか、実力ではなく、偶然にできただけだったんだ!
 でっかい作品をこしらえるはずが、粘土を10kg使っても何一つできませんでした。本日の作品は用途不明な壷状の物を削っただけ。これの中が粘土で埋まっていたら笑いますよね、でもちゃんと空洞になってますから~。
 
「君ぃ、これはなんのつもりかね? 痰壺にしては命中率が低そうじゃが……」
 早速ですわ、要釉斎先生の嫌味な質問。
「何と言われても……そうですね、砂糖壺にでもしましょうか」
「ふむ、それならスプーンを入れるための切り欠きがどうして無いのかね」
 むむ、するどい! 確かにスプーンを常時入れておくにはフタか本体に切り込みが無いといけません。
「えーと、でしたら茶壷なんかに使おうかと」
「君ぃ、茶壷ではなく、茶入と呼びたまえ。茶を飲まぬ者は茶器に手を出すでない、という言葉を何回言わせるつもりかね」

 ああそうですか、ほんならネズミ退治する毒をストックしておくための「猫いらず壺」にでもしときますよ、もう。
「最近の若い者はすぐそれじゃ。君は何やら文章を書くと聞いておるが、モノを書く前に主題を念頭に置くじゃろうが。書きたいことがあるから書き始めるはず、陶芸もまた然り。作りたいものがあって、目標を定めてこその作品作りぞ」
 うう、耳が痛い。何を書きたいのか分からないまま書き始めることってあるんですよね、ぼくの場合は。たとえば夢に見た話が面白かったとか、怖かったとか、エロっぽい話とか、書き出しは不純な動機のことも少なくないのです。
 
 要釉斎先生のお言葉に、陶芸と文芸には通じるものがあるんだな、と自らを戒めつつふと先生を見ると、女体像をこしらえておいでじゃありませんか。思いっきり不純やんけ!
「また女体像ですか先生、たまには男体像でもいかがです?」
「好かん、いや、作品にするなら女体像に勝るモノは無いと思いたまえ。君もそろそろ挑戦してみてはどうかね、フォッフォッフォ」
 いえね、ぼくも女体は嫌いじゃないんですが、ああいうのって下手に作るとスケベ丸出しじゃないですか。先生ほど社会的信用があるなら枯れた趣が理解してもらえたとしても、まだちょっと色気が残っているものでして、その……。

水口達男展を見てきました

2010年04月06日 | 陶芸
 水口達男展を見てきました。だれ、その方は? と言われても、ぼくも今日はじめてお会いしたんで、その絵描きさんのブログをご覧下さい。
 正直に申しますと、その絵描きさんの弟さんが陶芸作品を展示されていたので、陶芸クラブの人とそちらを見に行ったんです。

 その陶芸作品群は、ぼくたちが目指すべき指針になるものでした。緻密で美しい作品ではあっても、我々が決して到達し得ない高みにあるものとは思えなかったし、高飛車な姿勢で展示しているのではない、と電話でご本人の談話があってほっとしました。
 
 水彩画は描けばすぐに展示できるとあって、「テレビで桜の綺麗な場所を紹介していたから見に行った」と、ほんの数日前に描き上げた作品も展示されていました。
 お客さんもそこそこ来られていたんですが、忙しいというほどでもなかったので1時間ほど話し込んでしまいました。「好きだから、描けるうちは描いていたい」と、77歳だというのにバイタリティーのすごいこと。理想の老後像を見た思いです。

エイプリールフールの方が良かった

2010年04月01日 | 陶芸
 腰の調子が優れないので料芸クラブに出ようかどうしようか迷った挙句、遅れて顔を出すや当クラブの陰の会長であらせられる要釉斎先生がぼくに宣いなさいます。
「君い、今日から君が、我が陶芸倶楽部の会長じゃ、君しかおらん! これは部員の総意じゃ」
 いや、あんまり快調じゃないから遅れたんですがな……。
「今日はね、エイプリール・フールでしょ、先生は嘘をおっしゃったのよ」
 とクラブのママさんが説明してくれます。ほ~ぅ、先生がそんなおしゃれなことをねぇ。
 
「でもね、あなたは会計班長に決まったのよ、これは本当。欠席投票ってやつね、ほほほほほ」
 はぁ? そいつは本当ですかい! 驚いたのなんの、そりゃ誰かがやらんといかんなら受けて立つけど、 会長の方が楽っぽいんですよね。いや問題は、腰を温存するために陶芸を適当にいなそうと考えている矢先のことだってこと。
「ぼくなんかにそんな大役を任せて、使い込んでもええんですかい」
「いいのいいの、通帳は渡すけど、印鑑は渡さないから、ほほほほほ」
 ほんま、ケツ割るぞぅ!

窯出しに、おののいて次の一手

2010年03月29日 | 陶芸
 窯出しの日、といってもぼくの作品は一つもありません。陶芸クラブで最もアクティブな派閥の窯出しですから、どんな釉薬をかけたらどんな具合に焼い上がったか見ておきたかったのです。しかしながら、写真を撮るのもためらわれるほどの低調な仕上がりに、開いた口のあごが外れそうになってしまいました。
 
 えらいこっちゃ、この5月15日と16日に開催されるであろうバラ祭りに並べられる出来じゃおまへんがな! ということは、同じ釉薬を使うならぼくの作品だって同じ運命をたどるのは火を見るよりも明らか。
 
 クラブはプロの陶芸家を指導者に頂いていた時代があったそうで、その頃のテストピースを見たら素晴らしい資料であることが分かります。志半ばで先生が急逝されたので、技術が不完全なまま受け継がれて今に至るのかもしれません。こうなったら私財を投げ打ってマイ釉薬を買うしかないのかなぁ……。