(承前)
丸瀬布温泉マウレ山荘に到着。
まず、バスの車窓から見えた赤い作品を見に行く。
清水九兵衛(1922~2006)は、京焼の陶芸家にして、抽象彫刻家でもある。
彼の抽象彫刻は、道内では、札幌芸術の森野外美術館や、新千歳空港ターミナルにもあるらしいが、筆者はまるで記憶にない。
こういう赤い、現代的な作品は、都市の中よりも、こういう山あいに突然現れるほうが、異彩を放って、印象に残るような気がする。
共同通信のサイトに、亡くなったときの記事が残っていたので、引用しておきます。
丸瀬布温泉マウレ山荘に到着。
まず、バスの車窓から見えた赤い作品を見に行く。
清水九兵衛(1922~2006)は、京焼の陶芸家にして、抽象彫刻家でもある。
彼の抽象彫刻は、道内では、札幌芸術の森野外美術館や、新千歳空港ターミナルにもあるらしいが、筆者はまるで記憶にない。
こういう赤い、現代的な作品は、都市の中よりも、こういう山あいに突然現れるほうが、異彩を放って、印象に残るような気がする。
共同通信のサイトに、亡くなったときの記事が残っていたので、引用しておきます。
彫刻家で京都清水焼の名家、7代目清水六兵衛の清水九兵衛(きよみず・きゅうべえ)氏が21日午後1時21分、腎がんのため京都市南区の病院で死去した。84歳。名古屋市出身。葬儀の日程は未定。密葬は親族のみで行う。
1953(昭和28)年東京芸大卒。大学在学中、清水焼の6代目清水六兵衛の養子になり、日展にも作品を発表した。66年ごろから彫刻に戻り、イタリアに留学。帰国後、アルミニウム合金を鋳造して磨いた柔らかみのある抽象彫刻シリーズを発表して注目を浴びた。77年に「個性的な形態感を有する空間彫刻」が評価され、日本芸術大賞を受賞するなど、国内外で多くの賞を受賞している。80年ごろから作陶も再開し、7代目を継いだ。
(この項続く)