現代アートのギャラリーとして、企画・レンタルの両方で、非常にユニークな展覧会を開いてきた札幌市中央区旭ケ丘2のギャラリー門馬・ギャラリー門馬ANNEX ( www.g-monma.com )が、今年秋で取り壊しになります。
オーナーの大井恵子さんは来年秋をめどに、跡地に小さなギャラリーを造るとのことです。
ギャラリー門馬は、もともと画家の故・門馬よ宇子さんの自宅でした。
門馬さんは全道展に出品していた画家でしたが、晩年に急速に現代美術に接近し、古い写真を用いたコンセプチュアルアートや立体造形を制作・発表するようになります。また自宅をギャラリー「Space M」として1998年から運用を始めました。
第1号の作家は、札幌の中橋修さんです。
版画や、木の立体造形など、さまざまな作品を、吹き抜けや中二階のある複雑な空間に並べていました。
これを発展させ、さらに自宅横に「ギャラリー門馬ANNEX」という空間を増設し、「ギャラリー門馬」として本格的にスタートさせたのが2002年8月でした。
最初の展覧会「Northern Elements」は企画展で、トラスト・C・ハワードさんがキュレーターとしてpart1、part2それぞれ8人の作家を選定しました。
顔ぶれは次の通り。
伊藤隆介、上遠野敏、伊藤ひろ子、吉田茂、國松明日香、佐々木徹、高幹雄、矢崎勝美
丸山隆、坂巻正美、端聡、阿部典英、一原有徳、楢原武正、坂東史樹、米谷雄平
すでに4人が故人。女性が1人しかいないあたり、時代を感じさせますが、ともあれ「2002年の札幌の美術」という切り口で考えて、ベテランから中堅までかなりのところをおさえたラインナップといえそうです。
その後、井上有一の書展もあったし、いろんな企画展があったなあ。
一方の「アネックス」は、白くて細長い空間で、突き当たりにテラスがあって、自然の小川の上に突き出ているという珍しいつくりで、こちらはもっぱらレンタルでした。
初期には、この会場である必然性の特にないふつうの陶芸展や絵画展も開かれていましたが、これまた中橋修さんが2006年、「内包」と銘打って、空間のつくりを生かしたインスタレーションを展開。このとき以降、独特の空間をどうやって生かすかにアタマをひねった発表が多くなったと思います。
門馬よ宇子さんは2007年に亡くなり、その後は娘さんの大井恵子さんが引き継いできました。
春には東京のアートショーに山本雄基さんやクスミエリカさんらの出品もしています。
オーナーの大井恵子さんは来年秋をめどに、跡地に小さなギャラリーを造るとのことです。
ギャラリー門馬は、もともと画家の故・門馬よ宇子さんの自宅でした。
門馬さんは全道展に出品していた画家でしたが、晩年に急速に現代美術に接近し、古い写真を用いたコンセプチュアルアートや立体造形を制作・発表するようになります。また自宅をギャラリー「Space M」として1998年から運用を始めました。
第1号の作家は、札幌の中橋修さんです。
版画や、木の立体造形など、さまざまな作品を、吹き抜けや中二階のある複雑な空間に並べていました。
これを発展させ、さらに自宅横に「ギャラリー門馬ANNEX」という空間を増設し、「ギャラリー門馬」として本格的にスタートさせたのが2002年8月でした。
最初の展覧会「Northern Elements」は企画展で、トラスト・C・ハワードさんがキュレーターとしてpart1、part2それぞれ8人の作家を選定しました。
顔ぶれは次の通り。
伊藤隆介、上遠野敏、伊藤ひろ子、吉田茂、國松明日香、佐々木徹、高幹雄、矢崎勝美
丸山隆、坂巻正美、端聡、阿部典英、一原有徳、楢原武正、坂東史樹、米谷雄平
すでに4人が故人。女性が1人しかいないあたり、時代を感じさせますが、ともあれ「2002年の札幌の美術」という切り口で考えて、ベテランから中堅までかなりのところをおさえたラインナップといえそうです。
その後、井上有一の書展もあったし、いろんな企画展があったなあ。
一方の「アネックス」は、白くて細長い空間で、突き当たりにテラスがあって、自然の小川の上に突き出ているという珍しいつくりで、こちらはもっぱらレンタルでした。
初期には、この会場である必然性の特にないふつうの陶芸展や絵画展も開かれていましたが、これまた中橋修さんが2006年、「内包」と銘打って、空間のつくりを生かしたインスタレーションを展開。このとき以降、独特の空間をどうやって生かすかにアタマをひねった発表が多くなったと思います。
門馬よ宇子さんは2007年に亡くなり、その後は娘さんの大井恵子さんが引き継いできました。
春には東京のアートショーに山本雄基さんやクスミエリカさんらの出品もしています。
先年の「塔を下から組む」や、川上りえさんの大作、白濱雅也さんや森本めぐみさんの個展など、見ごたえのある展覧会が次々と脳裏に浮かんできます。
冬の間はお休みというのも、北海道らしい行き方でした。
非常にとっちらかった走り書きになってしまいましたが、まだまだ思い出すことはいっぱいあります。
歴史をたどるのはまた後日ということにして、まずはお知らせまで。
冬の間はお休みというのも、北海道らしい行き方でした。
非常にとっちらかった走り書きになってしまいましたが、まだまだ思い出すことはいっぱいあります。
歴史をたどるのはまた後日ということにして、まずはお知らせまで。