松原さんは北広島の陶芸家。
グループ展のプロデュースなども手がける。
個展では、日常使いのうつわをならべることはまずない。
そこに展示されるオブジェは、見る人を「存在論の秘蹟」とでもいうべきなのか、深い思索にいざなう。
それは
「そもそも、ものが『在る』とは、どういうことか」
という問いである。
冒頭の画像で、手前に見えるのは古代文字のシリーズ。
古代文字といっても、実際にあるものは少なくて、ほとんどは松原さんがみずから考え出したものである。
焼く前に彫り込んで、そこに化粧土を埋め込み白く見えるようにしている。
「ミロやクレーも取り組んでいるけど、それを参照するのはやめて、じぶんで考えました」
手前の、骨のようなものは、半磁器の土を焼いて作った。
「じつは、もうすこし黄色がかって、焼くとほんとうに骨のように見える土があるんですが、さすがにあざといかと思って、やめました」
こちらは、骨のかわりに、やじりのようなものが配されている。
残響する古代の記憶。
ここでは
「始原とはなにか」
という問いが、胸の中にきざさずにはいられない。
具体的な文明の始まりということではなくて、もっと思弁的、形而上学的な、漠とした始まりの地点へのあこがれである。
一方、会場の奥のほうにあるのは、手を模したかたちを蓋につけたいれものと、腕輪のようなかたちのオブジェをペアにした、3組のもの。
3つのうち2つの手に、ひびが入っている。わざとではないとのこと。
松原さんは幼いときに母親を亡くし、母へのあこがれは人一倍強いという。
母のやさしい手。
あるいは、母をまさぐる手。
ここでも、見ているときに脳裡をよぎるのは、具体的な母親の面影というよりも、ゲーテではないが
「永遠に女性的なるものへのあこがれ」
というような「なにか」である。
最後に。
会場の隅にひっそりとならんだ白い貝殻のようなオブジェ。
ずっと、何かに似ている…と思いながら、思い出せずにきた。
2006年に見た「渡邉麻生展「生きし野々に草いろの火(霊)」である。
よくかんがえれば、かたちはそれほど似ていない。
ただ、神秘的、精神的なものを内包しているような点が、共通しているといえるのかもしれない。
松原さんの作品は、より深い精神の神秘に、垂線をおろしているのである。
08年7月1日(日)-6日(日)10:30-18:00
コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下)
地下鉄東西線「西11丁目」の「藤井ビル出口」から徒歩1分
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