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■松原成樹展 (7月6日まで)

2008年07月05日 22時11分58秒 | 展覧会の紹介-工芸、クラフト
 
 松原さんは北広島の陶芸家。
 グループ展のプロデュースなども手がける。
 個展では、日常使いのうつわをならべることはまずない。
 そこに展示されるオブジェは、見る人を「存在論の秘蹟」とでもいうべきなのか、深い思索にいざなう。
 それは
「そもそも、ものが『在る』とは、どういうことか」
という問いである。

 冒頭の画像で、手前に見えるのは古代文字のシリーズ。
 古代文字といっても、実際にあるものは少なくて、ほとんどは松原さんがみずから考え出したものである。
 焼く前に彫り込んで、そこに化粧土を埋め込み白く見えるようにしている。
 「ミロやクレーも取り組んでいるけど、それを参照するのはやめて、じぶんで考えました」

 手前の、骨のようなものは、半磁器の土を焼いて作った。
「じつは、もうすこし黄色がかって、焼くとほんとうに骨のように見える土があるんですが、さすがにあざといかと思って、やめました」

 
                   

 こちらは、骨のかわりに、やじりのようなものが配されている。

 残響する古代の記憶。

 ここでは
「始原とはなにか」
という問いが、胸の中にきざさずにはいられない。
 具体的な文明の始まりということではなくて、もっと思弁的、形而上学的な、漠とした始まりの地点へのあこがれである。


                   


 一方、会場の奥のほうにあるのは、手を模したかたちを蓋につけたいれものと、腕輪のようなかたちのオブジェをペアにした、3組のもの。

 3つのうち2つの手に、ひびが入っている。わざとではないとのこと。

 松原さんは幼いときに母親を亡くし、母へのあこがれは人一倍強いという。

 母のやさしい手。
 あるいは、母をまさぐる手。

 ここでも、見ているときに脳裡をよぎるのは、具体的な母親の面影というよりも、ゲーテではないが
「永遠に女性的なるものへのあこがれ」
というような「なにか」である。 


                   


 最後に。
 会場の隅にひっそりとならんだ白い貝殻のようなオブジェ。
 ずっと、何かに似ている…と思いながら、思い出せずにきた。
 
 2006年に見た「渡邉麻生展「生きし野々に草いろの火(霊)」である。

 よくかんがえれば、かたちはそれほど似ていない。
 ただ、神秘的、精神的なものを内包しているような点が、共通しているといえるのかもしれない。

 松原さんの作品は、より深い精神の神秘に、垂線をおろしているのである。


08年7月1日(日)-6日(日)10:30-18:00
コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下)

地下鉄東西線「西11丁目」の「藤井ビル出口」から徒歩1分


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