1月8日(土)は国立能楽堂普及公演にて、あまり演じられない稀曲『龍虎』をはじめて勤めます。 物語は、諸国を巡った僧(ワキ)が天竺(インド)を目指し唐(中国)に辿り着きます。 雄大な景色を眺めていると、樵の老人(シテ)が若者(シテ連)を連れて現れ、老人は僧に天竺を目指すよりも自国に心を向けよ! 人の争いは儚いが畜類も同様に闘うことがあると伝え、竹林の巌洞に住む虎と、高 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



今年の流行語大賞は大谷翔平の「リアル二刀流・ショータイム」   二刀流で思い出すのは、子供の頃に遊んだチャンバラごっこです。 右手に長い刀、左手に短い刀の2本を持って友達とチャンバラをしていましたが、結局左の刀を上手く使えなく 「やっぱり、これ、いらない!」 と、投げ捨て長い刀一本で遊んだ事を思い出しました。   さて、私の生業のシテ方 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



先日のモンドパラレッロ歌劇団の能楽堂コラボ「花焔」の舞台写真が届きました。 舞台照明が、暗い舞台でルチアを演じる私の姿を、どのように照らし、どのようにお客様の目に映ったのか? とても気になっていました。 世阿弥の「離見の見(りけんのけん)」は、能役者が観る側に廻り、自分の姿、演技を客観的な視点で観ることの大事さを説いています。 創作舞を勤めるにあ . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



「して見てよきにつくべし。 せずは善悪定めがたし」   これは能『隅田川』の子方(子役)の演出について、父・世阿弥が子方は亡霊なのだから、本意を生かして、子を出さない方がよい、と忠告したのに対して、子の元雅が「えすまじき(出さなくては演じられない)」と強く反論します。すると父・世阿弥が   「して見てよきにつくべし。 せずは善悪定めがたし。 ( . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



「して見てよきにつくべし。 せずは善悪定めがたし」   これは能『隅田川』の子方(子役)の演出について、父・世阿弥が子方は亡霊なのだから、本意を生かして、子を出さない方がよい、と忠告したのに対して、子の元雅が「えすまじき(出さなくては演じられない)」と強く反論します。すると父・世阿弥が   「して見てよきにつくべし。 せずは善悪定めがたし。 ( . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



国立能楽堂定例公演 能『氷室』白頭 シテ粟谷明生 7月8日13 時始のチケットはあぜくら会は本日より、一般は明日より発売されます。   能『氷室』は亀山院に仕える臣下(ワキ)が丹波国の九世戸に参詣した帰途、氷室山に立ち寄ると、氷室守の老人(前シテ)と若い男(前ツレ)が現れます。老人は年々捧げる氷の謂れを語り、夏でも氷の溶けないのは君徳によるものだと讃えて、臣下に祭を見るように勧 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



「また、元の木阿弥になってもいけませんから・・・」 の、小池都知事のスピーチから、 あれ?と、頭に浮かんだ。   「元の木阿弥」は、ご承知の通り 一旦良くなったが、また元の状態に戻る事だ。   その由来は、戦国時代の武将・筒井順昭が病死し、その死を隠すために、その息子・順慶が成人するまで、声の似ていた木阿弥という男を寝所に寝かせて外来者を欺き、 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



2020年3月1日(日)の粟谷能の会にて『朝長』を勤めました。 演能レポートを更新しましたので、粟谷明生オフィシャルサイトからご覧いただけます。 こちらから http://awaya-akio.com/2020/03/18/tomonaga/ . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



能『朝長』は、16歳の若さで亡くなった源朝長を僧(脇)が観音懺法を読経し弔います。  が、しかし実は平安末期に観音懺法は、まだ存在していませんでした。 作者の観世十郎元雅が、当時流行っていた観音懺法を取り入れる事で、観客に親近感を持たせる、その効果を狙ったもの、と推察出来ます。 今ならば、最近流行っているラップを取り入れたような・・・ そんな感覚ではないでしょうか? 能は虚構の世界です。 「そんな . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



粟谷能の会の機関紙「阿吽」No.44が出来上がりました。 内容は下記の通りです。 ①巻頭 粟谷能夫 「令和になって思うこと」 ②演能レポート 粟谷明生 「『木賊』を演じて 酔狂で描く一途な親心」 ③我流『稽古条々』41 研究公演以降・その19 粟谷能夫 粟谷明生 『朝長』『白是界』について 粟谷能の会ホームページでもご覧いただけますが、冊子でお読みになりたい方は、国立能楽堂と喜多能楽 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



2019年11月24日(日)喜多流自主公演にて勤めました能『雨月』の演能レポートを粟谷明生オフィシャルサイトに更新いたしました。 ご覧いただきたくご紹介いたしました。 こちらからどうぞ . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



一昨日の「MOA美術館秋の演能会」能『紅葉狩』を撮影して下さいました中川喜代治様から写真が頂きました。 MOA美術館の了解を得てここに一部を記載いたします。 今回の『紅葉狩』は、初めて能をご覧になる方が大勢様いらしたので、演能に少し工夫を凝らしました。 通常一度のワキ(平維茂)へのお酒のお酌を三回にし、またゆっくり遅いスピードの序の舞を少し短縮して、出来る限り判り易く、退屈しないように . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



本日はMOA美術館能楽堂にて能『紅葉狩』を勤めます。 「『紅葉狩』はどのように勤めたらいいの?」 と、父に尋ねると 「BARモミジのママ・カエデちゃんの気持ちで演ればいい!」 と、教えてくれました。 こういう言葉のニュアンスがとても好きで、私の演能の心を掻き立たせてくれます。 この話は上梓した「夢のひとしずく・能への思い」に記載されていますので、ご興味のある方は是非ご購入いただきたく、 . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



昨日の涌泉能では高林白牛口二氏が素謡『鬼界島』を独吟で一番謡われました。これは珍しい事です。 謡は1人で謡う独吟と複数で謡う連吟があります。 謡は音の高さや速度が、洋楽のように厳密に決まっている訳ではありません。 ある程度、謡う人の感覚に委ねる自由さが、許されています。 ですから一人で謡う場合は、さほど気兼ねなく謡えますが、連吟となると、音の高さやスピード、その詞章への思いなど、相手と合わせ . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



先日、粟谷能の会にて勤めました 能『木賊』の演能レポートを粟谷明生のオフィシャルサイトに投稿更新いたしました。 当日ご覧いただきましたお客様、また『木賊』にご興味のある能楽愛好家の皆様にもご一読いただきたく、ご案内申し上げます。 こちらから こちら . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ