「して見てよきにつくべし。
せずは善悪定めがたし」
 
これは能『隅田川』の子方(子役)の演出について、父・世阿弥が子方は亡霊なのだから、本意を生かして、子を出さない方がよい、と忠告したのに対して、子の元雅が「えすまじき(出さなくては演じられない)」と強く反論します。すると父・世阿弥が
 
「して見てよきにつくべし。
せずは善悪定めがたし。
(そうだ、演じてみてよい方を選べばいいね)」
と、返します。
 
世阿弥の父親としての懐の広さが感じられる名台詞で、私は現代にも通じる大切な言葉として、忘れないようにしています。
良いか?
悪いか?
じゃあ、演ってみればいいね
 
この度、日本能楽会より「日本能楽会東京公演」にて、能『船弁慶』の義経役を依頼されました。
能『船弁慶』の義経はシテ(静御前)の恋人役で、子方(子役)が勤めるのが相応しいのですが、なぜか、65歳の私が勤める事となりました。
『船弁慶』の義経は子方を登場させることによって、観る側の視点がシテ一人に焦点が絞られ、また二人の恋人関係も薄らぐ効果があります。私は『船弁慶』の義経は子方が演じるべきで、大人が演じては損、と思っています。
ですから最初は損と思い、お断りしようと思いましたが・・・・
「せずは善悪定めがたし」
を思い出し、敢えて恥ずかしながら65歳にて勤めることにしました。
 
さて、結果は・・・
私の感想は案の定でしたが、不似合い感を体験出来たことは、これからの更なる「子方が吉」を強く次世代へ推奨する貴重な体験となり、得した気持ちにもなっています。
 
さあ、次は式能の能『東岸居士』に向けてスタートします!
(参考資料)
粟谷明生のオフィシャルサイト、
演能レポート
『隅田川』


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